フランスの大学は、学部が三年で、三年生の最終学期に小論文を選択する学生もいるが、必修ではない。修士が二年で、修了するためには修士論文が必須である。学生たちにとって修士論文が生まれて初めて書く本格的な論文ということになる。これがかなり要求水準が高く、二年で書ける学生はほんのごく一部に過ぎない。三年で書ければ上出来で、四年以上かかる場合もある。それ以上になると、結局放棄してしまう場合が圧倒的に多い。学科としてそれは好ましいことではないが、要求水準を下げることもやはり望ましいことではない。
ストラスブール大学日本学科では、修士一年と二年の間に、日本の大学への一年間の留学が長年事実上必須とされていたが、これは非公式な内規に過ぎなかった。なぜなら、留学のために留年を強制することになり、これは法的に許されないからである。学生たちは皆日本に留学したがっているから、事実上強制的な留年を拒否する学生は過去にはいなかった。一回目の修士二年への登録を行うだけで、一年間「自主的に」留年していた。こんなことがまかり通っていたのには、修士一年間の登録料が三万数千円程度と安いこともある。過去はもちろんもっと安かった。
ところが数年前から、経済的な理由から留学が困難な学生は留学しないで卒業することも許容されるようになった。そもそも学生たちには留学せずに修了する権利があるのだから、それまで「強制」留学が問題にならなかったことのほうが驚くべきことだ。それに、二〇二〇年からのコロナ禍で留学を諦めざるを得なくなった学生も多数出た。このような状況下では、留学せずに卒業することを認めざるを得ない。
とはいえ、留学の主たる目的は修士論文のための一次資料調査・収集であるから、それができないまま論文を書くことは大きなハンディになってしまうのも事実だ。
今日の午後、私が指導教官だった二人の学生も修士論文の口頭試問があった。この二人のも留学を諦めざるを得なかった。それゆえテーマの変更を強いられた。そのハンディにコロナ禍の中での論文作成作業という困難も加わった。
口頭審査は指導教官と二人の教員で構成される審査員団によって行われる。二人の審査員の評価はかなり厳しいものだったが、それでも三年間で書き終えたのだから、私はよくやったと褒めてあげたい。