吉増剛造氏は『詩とは何か』第一章「詩のほんとうの「しぐさ」」の中で、その作品に衝撃を受けた詩人や自分にとても大切な詩人をそれら詩人たちの作品とともに何人か紹介しています。その中のひとりがアメリカ十九世紀の詩人エミリー・ディキンソン(1830-1886、ディキンスンと綴られることもある)です。吉増氏は、今日アメリカで最も偉大な詩人の一人に数えられているディキンソンについて、「詩作の上での大変深い影響を受けるようになりました」と書いています。
ディキンソンは生涯に一八〇〇に近い詩作品を書いていますが、そのほとんどはノートに手書きで記されて筐底にしまわれたままで、生前発表されたのはわずか数篇に過ぎず、その作品のすべてが広く知られるようになったのは一九五五年に刊行された『全詩集』によってです。彼女自身、自らの作品によって世間に知られたいとは思っておらず、生地であるアマースト(Amherst、マサチューセッツ州の西部コネチカット川バレーのハンプシャー郡に位置する町)の生家にほとんど引きこもったまま生涯を終えました。親しい友だち何人かはときどき彼女を訪ねてきました。膨大な詩作品と友人宛ての手紙が彼女が後世に遺した文学的遺産です。
吉増氏はまず次の作品を引用します。ディキンソンの作品にはまったくタイトルが付けられておらず、索引で作品を検索するときは各作品の第一行の詩句が使われます。引用する作品は四行二連の短詩です。
This is my letter to the World,
That never wrote to Me –
The simple News that Nature told –
With tender Majesty
Her Message is committed
To Hands I cannot see –
For love of her – Sweet – countrymen –
Judge tenderly – of Me
これは まだ手紙をもらったことのない
世間の人々にあてた私の手紙です
自然がやさしく厳かに話してくれた
そのままの知らせです
彼女の通信を
私の見ることのない手へと委ねます
どうか親しい皆さん 彼女への愛のためにも
私をやさしく裁いて下さい
(『エミリ・ディキンスン詩集』中島完訳、国文社)
ディキンソンの詩の特徴として、語頭に大文字を多用することとダッシュを多用することを挙げることができます。それらからも詩の「声」を聴き取る注意深さが読み手に求められます。
そして、もうひとつ特筆すべきことは、発表を意図してはいなくても、彼女の作品は、会ったこともない見えない未来の読み手に宛てて、読まれる保証もないままに書かれていることです。しかし、まさにそのことが彼女の作品に神秘的とも言えるような奥行を与える要因の一つになっています。
吉増氏は他にもいくつかの作品を引用していますが、今日のところは、あと一篇だけ引用します。それについての吉増氏のコメントは明日の記事で紹介します。
If I can stop one Heart from breaking,
I shall not live in vain
If I can ease one Life the Aching,
Or cool one Pain,
Or help one fainting Robin
Unto his Nest again
I shall not live in vain.
もし私が一人の心の傷をいやすことができるなら
私が生きるのは無駄ではない
もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ
一人の苦痛をさますことができるなら
気を失った駒鳥を
巣にもどすことができるなら
私の生きるのは無駄ではない