いっさいの医療・看護行為の手前のところで、人が人にできることはそもそも何なのかという、誰にとっても無縁ではありえない根本的な問いに、医療・看護としてできることはすべてやり尽くした後、苦しみを前にして「何もできない」という状況のなかで患者と向き合うことになった看護師Cさんは直面することになった。この経験について西村ユミ氏は次のような考察を記している。それはケアの実践とは何かという問いへの「何もできない」という極限状況のなかで見出された一つの答えにもなっている。
苦しみや、その苦しみのために助かる希望を見失いかける赤土さんのことが「すごく気になる」が、その苦しみを取り除く手立てがない。しかし、苦しみを前にして「何もできない」という状況が、Cさんを赤土さんの傍らに「ずっと一時間近く」留まらせもする。「何もできない」けれども、その場を立ち去れずに赤土さんの傍らに居続ける、そのことが、Cさんの手を彼女の背に伸ばさせ、苦しみの声に耳を傾けさせる。逆に言うと、それらの行為が、「何もできない」と言うCさんが赤土さんの傍らに居続けることを可能にしていたのかもしれない。それは数百日にも及んだ。(『看護実践の語り』100頁)