内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自己感」あるいは「見守られている中で独りになれること」について

2024-10-11 08:27:27 | 読游摘録

 村上靖彦氏が「自己感」という概念にその著書の中で言及するときは、明示的にであれ暗示的にであれ、ウィニコットの sense of self を参照しており、この意味での自己感は「ホールディング(抱っこ)」構造において形成される。ウィニコットは、乳幼児の母子関係をモデルにこの構造についての考察を展開しているが、村上氏によれば、「ホールディングは、抱っこによって愛情を注ぎ、体を支えることだけを指すのではない」(『母親の孤独から回復する』 以下引用及び参照は同書に拠る)。「ミルクを与えること、温度を保つこと、刺激を減らすこと、といった環境を安定させるためのすべての気遣いの総称である」。「乳児期の母子関係だけでなく、人間のあらゆる成長段階で潜在的にこの構造が確立されていることが心身の健康の要件になる」。
 村上氏はそこからさらにグループが生むホールディングまで考察を拡張する。村上氏は自身がフィールドワークを行った「MY TREE西成グループ」というプログラムで学んだことを基に次のように述べる。このグループは、重い虐待に追い込まれた母親を対象としているが、多くの参加者は自分自身が暴力や虐待の被害者でもある。このプログラムは、もともとは職権保護や公的機関の介入による同意で分離された親子の再統合を促進することを意図して考案された。

そこでは暴力や貧困に苦しむお互いの人生を聴き、語り、声を出し、声をかけられるグループが、互いに互いをホールドする。そのとき、グループは(かつては出会い損ねて外傷となった)出来事との出会い直しを可能にする。ホールディングとは、言語を絶するような出来事を受けとめるための構造のことでもある。

 同書には、ウィニコットを直接参照しながら自己感に言及している箇所がもう一つある。マーガレット・リトルという、幼少期のネグレクトと環境の混乱に由来する後遺症から深い抑うつに陥っていた女性のウィニコットによる治療過程が述べられている箇所である。

(三時間のセッションの中で)ほぼ二時間の沈黙ののちにようやく患者が現実感を獲得し、その場をウィニコットと共有できるようになる場面が描かれている。静かな状態から出発することで初めて自己感を見出し、創造的な活動ができることを、ウィニコットはさまざまな臨床事例の中で観察してきた。思考を働かせる手前にある落ち着きは、思考を用いた創造的活動の基盤となる。「見守られた中で独りになれること」が創造性の出発点になる。つまり、見守られる中で「私はいる」と自己を見出すことが、傷についての深く自由な語りを可能にする。私たちの人生は「独りから始まる」としても、つながりの回復を通して「独りになれる」強さに変化する。

 明日の記事では『ケアとは何か』の中からやはり自己感に言及されている箇所を拾い出し、そのうえで自己感についての私見を述べることにする。