内的自己対話-川の畔のささめごと

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メーヌ・ド・ビランの哲学をその〈外〉へと開き、その〈外〉から考察する手がかりとなる2つの論文

2024-10-27 17:00:18 | 哲学

 メーヌ・ド・ビランを哲学者として研究対象としたモノグラフィーはフランス語圏でもさほど多くはなく、1948年に出版されたアンリ・グイエのビラン研究から数え始めても主要な著作に限れば十指で足りるのではないかと思う。
 パスカル生誕400年であった昨年2023年には、特に目立った出版物に限っても優に10冊を超える研究書や伝記が刊行されたことと引き比べると、フランス哲学史におけるビランの影は薄いと言わざるを得ない。フランス哲学史をひととおり学んだ人たち以外にはフランスでもその名さえほとんど知られていない。
 ところが、面白いことに、哲学書以外でその名をときどき見かけることがある。管見によると、それは主に三つのテーマに関わる。フランス近代における、特に19世紀最初の四半世紀における、日記の歴史、感情の歴史、気象と生理の関係研究史というテーマである。これらのテーマのいずれかを扱った著作にビランの名前が出てくることがある。そして、ビラン研究にとって重要なことは、この三つのテーマはビランその人において重なり合っているということである。
 例えば、La pluie et le beau temps dans la littérature française. Discours scientifiques et transformations littéraire, du Moyen Âge à l’époque moderne, sous la direction de Karin Becker, Hermann, 2012 というとても面白いテーマをめぐる論文集があるが、収録された21本の論文のうち2つがメーヌ・ド・ビランをかなり詳細に取り上げていて大変興味深い。タイトルはそれぞれ、« Météores et perception de soi : un paradigme de la variation liée »、« Naissance du sujet moderne dans les intempéries : météorologie, science de l’homme et littérature au crépuscule des Lumières » である。
 この2つの論文の筆者はどちらもフランス文学研究者であり、その論文には哲学論文では扱われることのない論点についての考察が示されている。前者は、ビランの日記の記述スタイルと内容とが当時発明され社会的に流行した自己管理のためのシステムダイアリーの形式とどのような関係にあるかが問題にされ、後者では、当時の自然科学(特に気象学と生理学)の進歩とビランの自己観察とがどのような関係にあるかが考察されている。どちらもビランの日記と当時の一次資料に基づいた実証的な歴史研究になっている。
 ビランの哲学は哲学史において「分類できない inclassable」と形容されることがある。哲学史内部にとどまるかぎり、そのような評言はそれとして理解できる。しかし、ビランの哲学をよりよく理解するためには、哲学としてのレッテル貼りはひとまず留保し、ミッシェル・アンリのビラン論は括弧に入れ(「封印しろ」とは言わない)、ビランが生きた時代の政治状況・社会的変化・自然科学の躍進等を考慮に入れる哲学の〈外〉への眼差しとそれらの視角からビランの哲学を考察する〈外〉からの眼差しとの両方が必要だと私は考える。
 そのために上掲の2つの論文は有力な手がかりを与えてくれる。