内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

テキスト読解を再開する前に ― ジルベール・シモンドンを読む(12)

2016-03-01 05:15:00 | 哲学

 一昨日に投稿した、写真を交えたパリのお散歩日記へアクセス数は、普段の記事の四倍近くの 200pv でした。そりゃあそうでしょうよ。「花の都パリ」からのいかにもおフランスな写真入りの肩の凝らない記事の方が受けはいいに決まってますよね。でもね、ああいう記事は書いている私にとっても息抜きになり楽しくもあるのですが、そんなのばかり書く気にはとてもなれないのですよ。二三日も書いていると虚しくなってきちゃうんです。
 やはり、このブログの主たる「戦場」は、哲学なのだ。
 というわけで、今日からまたシモンドンの地味ぃーな読解作業を再開することにします。
 ただ、三月は、予想に反して、というか、最近になって予期せぬ仕事がいくつか入ってしまって、あまりじっくりと考えている時間はなさそうなのです。しかし、書くことによって思索に集中する時間をたとえ僅かでも毎日確保することがこのブログを休まずに続けている主たる理由ですから、どんなに短い記事であろうとも、そこに少なくとも一つは考えるべき問題が含まれている内容になるように心掛けます。

 さて、シモンドンのテキスト読解「レポート」を再開する前に、先月読んできたテキストに基づいて「個体化」についての私なりの暫定的な理解をまとめておけば、以下のようになる。

 個体化は、本来的に未完の過程である。それによって形成される諸個体を構造化しつつ、かつそれとともに原理として自己形成されていく過程、それが個体化だからである。したがって、個体化というそれ自体は不変の原理が現実世界ではつねに不完全な仕方でしか実現され得ないというような事実的な未完性が問題なのではない。
 完全な諸個体が最終的に完成され、もはやいかなる変異も変化もなくなり、まったく不動な世界が実現されないかぎり、個体化はつねに過程として実在する。というよりも、個体化は過程としてしか実在しない。個体は、その個体化過程の中で、つねに未完なもの・非固定的なもの・非安定的なものとして、有限の時間内に形成されるものであり、非時間的な自己同一的実体でもなく、存在構成の最小単位としてのこれ以上分割不可能な原子でもない。























































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