内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

機上の読書と映画鑑賞 ― シモーヌ・ヴェイユのニューヨークからの手紙と是枝裕和監督『怪物』

2024-08-15 09:14:49 | 読游摘録

 昨夜ストラスブール帰着。定刻に着いたTGVを降り中央駅を出ると路面が濡れている。空気も湿っぽい。直前まで雨が降っていたようだ。気温は22、3度か。中央駅始発で自宅の最寄り駅である欧州議会が終点のバスが数年前に運行開始し、中央駅への往復は以来いつも利用していた。ところがリアルタイムの時刻表を見ると20分待ち。トラム乗り継ぎのほうが速いかなと思っているところへ中央駅が終点のC線が入ってくる。そちらを選ぶ。トラムだと République 駅でE線に乗り換える。そこの掲示板を見てはじめて気づく。夏期は線路交換工事を各線順次行っていて、E線は23日まで最寄り駅の一つ手前が終点。仕方ない。そこからスーツケース二つを引きずって歩く。幸いなことに、今回は購入書籍を最小限にしたのでどちらもさほど重たくない。それでも自宅まで20分以上かかる。くやしいことに、直通バスに欧州議会まで200メートルというところで追い抜かれた。結果から言えば、中央駅で20分待ったほうが楽だったわけだ。まあ、二つスーツケース引きずって一駅分余計に歩いただけ運動になったからよしとする。
 羽田からの復路の席はプレミアム・エコノミーの一番後ろの窓側の席。予約時になぜかエコノミーより安い席だったから選んだ。ちょうど主翼脇で飛行中眼下を見下ろすことはできなかったが、エコノミーよりかなり快適。席も広いし、席の前後の間隔も広い。今回の航路は北極海まわり。飛行時間は14時間半ほど。
 機内で交互に読んでいたのは冨原眞弓の『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波現代文庫、2024年)と前田英樹の『ベルクソン哲学の遺言』(講談社学術文庫、2024年)。座席が快適だったせいか、読書に集中できた。読書に疲れ、到着まであと4時間というところで、是枝裕和監督の『怪物』を観はじめる。虚像が現実であるかのように人びとを支配する。虚像によってレッテルを貼られ、差別され、冤罪で断罪され、取り返しのつかない事態が発生してはじめて、虚像に気づく。私はある人について、ある出来事についていったい何を知っているのか。光溢れる草原のなかを歓声を上げながら走ってゆく二人の少年の後ろ姿で終わるラストシーンがとても切なかった。
 読書では『シモーヌ・ヴェイユ』のなかに引用されていたヴェイユの手紙に胸を締めつけられる(同書224頁。この手紙が書かれたときにヴェイユが置かれていた状況については同書の前頁を参照されたし)。

 わたしの精神構造のせいなのですが、労苦と危険はわたしには不可欠なのです。万人がそうでないのはさいわいです。さもなければ、組織だった行動などまったく不可能となりましょう。けれども、わたしはこの自分の精神構造を変えることができません。長い経験から立証済みです。地表に蔓延する不幸はわたしに妄想のごとくつきまとい、手ひどくうちのめしたので、わたしの諸能力は崩壊に瀕しています。わたし自身が危険と苦しみの大きな分け前にあずからないかぎり、これらの能力を回復するすべはなく、この妄想から解放されることはないでしょう。苦難の状態にあることが、わたしが働くことができる条件のひとつなのです。

 お願いです。もしあなたにできることなら、わたしに多くの有益な苦しみと危険を与えてほしいのです。それなくしては、わたしは悲嘆のあまり無為に消耗してしまいます。いまこの瞬間に自分がいる状況では生きることができません。ほとんど絶望の淵にあるのです。

(アンリ4世校の後輩モーリス・シューマン宛、1942年、ニューヨークから英国へ。日付不明)
 
この手紙が収録されている Écrits de Londres et dernières lettres(Gallimard, 1957) はこちらのサイトから無料でダウンロードできる。こちらからも同じく。上の引用に対応する原文は以下の通り。

 La peine et le péril sont indispensables à cause de ma conformation mentale. Il est heureux que tous ne l’aient pas, sans quoi toute action organisée serait impossible, mais moi, je ne puis pas la changer ; je le sais par une longue expérience. Le malheur répandu sur la surface du globe terrestre m’obsède et m’accable au point d’annuler mes facultés, et je ne puis les récupérer et me délivrer de cette obsession que si j’ai moi-même une large part de danger et de souffrance. C’est donc une condition pour que j’aie la capacité de travailler.

 Je vous supplie de me procurer, si vous pouvez, la quantité de souffrance et de danger utiles qui me préservera d’être stérilement consumée par le chagrin. Je ne peux pas vivre dans la situation où je me trouve en ce moment. Cela me met tout près du désespoir.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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