内的自己対話-川の畔のささめごと

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あらゆる人間の心の奥底の「聖なるもの」― シモーヌ・ヴェイユ『人格と聖なるもの』より

2024-08-16 18:06:04 | 哲学

 日本語で「期待する」と言うとき、「そうなってほしいと心の中で思っていること」(『三省堂国語辞典』)、「望ましいととらえられる事態の実現、好機の到来を心から待つこと」(『新明解国語辞典』)を意味するとすれば、フランス語の s’attendre が意味するところはそれとは微妙に異なる。「(あることの実現が当然のこととして)予想、予期される」ということで、こちらがそれを望む、欲するということはそこには含まれていないからである。
この違いを念頭に置いたうえで、次の文章を読んでみよう。

 Il y a depuis la petite enfance jusqu’à la tombe, au fond du cœur de tout être humain, quelque chose qui, malgré toute l’expérience des crimes commis, soufferts et observés, s’attend invinciblement à ce qu’on lui fasse du bien et non du mal. C’est cela avant toute chose qui est sacré en tout être humain.
                                        Simone Weil, La Personne et le sacré.

 ほんの小さな子どものときから墓場まで、あらゆる人間の心の奥底には、犯された罪、苦しめられた罪、目の当たりにした罪などの経験があるにもかかわらず、人は自分に悪ではなく善をなすことを(当然のこととして)どうしても予期するなにかがある。それこそがなにものにも先立ってあらゆる人間において聖なるものなのである。(私訳)

 この文章での s’attendre を「期待する」と訳すと誤解を招くおそれがある。なぜなら、人の心の中にはそうなって欲しいという期待があるということではないからである。人が自分に善を為すことを当然のこととして待っている、しかも抗しがたくそうであるなにかが心の底にはあり、それは万人においてそうなのだとヴェイユは言っているのだ。そのなにかは私の意志や願望に因らないいわば自然の傾向性とでも言うべきもので、この私(という人格)が善の到来を期待するかどうかによって左右されるものではない。だからこそ、それは、私の裡にあって私を超えた「聖なるもの」なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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