岩波日本古典文学大系の川口久雄校注『菅家文草 菅家後集』(1966年)は、大岡信の道真論にとって「最も重要な拠りどころ」である。
幸いなことに、弊日本学科には、同大系全巻がいつでもすぐに閲覧できるように共同研究室の書架に並んでいる。教員以外、それも古文を参照する必要がある二人の同僚以外、まず誰も開きもしない。いや、近づきもしないだろう。それに、現状では、寄贈された雑多な本が大系全巻の前を覆っていて、函の背表紙さえよく見えない。そんなきわめて「良好な」保管状態なので、全巻本体はほとんど新本のようにキレイなままだ。赴任十一年目だが、この間同大系をもっともよく利用しているのは私である。
『菅家文草 菅家後集』を先日借り出してきた。全巻寄贈されてから三十年ほどになると思われるが、今回はじめて本体が函から取り出され、開かれたのは間違いない。
同巻の校注者、川口久雄による巻頭解説は、本文だけで六十頁に及ぶ雄編である。大岡信はこの解説について、「多くの蒙を啓かれただけでなく、校注者川口氏の道真の文学によせる情熱にいたく感銘を受けた」と称賛している。同書は現在も道真研究の基本文献の一つとされている。
大岡信が『詩人・菅原道真』のなかに引用しているその解説の一節を摘録しておきたい。
道真は晴れのとき、おおやけのときには、これまでの日本文学にみることのできなかった繊細妖艶を極めた美の世界をことばで構築してみせた。わたくしのとき、ひとりのときには、人間の奥底にひそむやむにやまれぬ名付けがたいものに肉迫して、これに表現を与えた。彼は十世紀の列島社会において、言葉の真の意味で文学したひとりの人間といえよう。彼はわが文学史の上で、和漢ふたつの領域に出入した、まれにみることばの魔術師であり、ことばとの格闘者であった。彼の作品における和習そのものが、ある意味ではかかる道筋の軌跡ともいえよう。彼は日本人の言語表現の能力の振幅をひろげ、多様さと豊富さとをもたらした。感情の微妙さ、繊細な顫動とてりかげりを自由に表現する技術と語法とをきりひらいた。彼の作品が千年の風雪にたえて生きのこりえたのも、あながち天神信仰のせいばかりではあるまい。
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