シモーヌ・ヴェイユは『ギリシアの泉』(La source grecque, Gallimard, 1953)のなかで、集団的言説を生みだすシステムを「巨獣」に譬えたプラトン『国家』の一節(第6巻)を引用しながら、詭弁を弄し人心を惑わせるとソフィストたちを非難する巷の人びとこそが「最大のソフィスト」だとソクラテスに言わせる。そして『国家』の一節をほぼそのまま引用する。「議会や法廷や劇場や軍隊など、大勢の人びとがつどう場所ではどこでもそうなのだが、集まった多数の群衆は、言葉や行動を大騒ぎして非難したり賞賛したりする。非難にしても賞賛にしても度が過ぎていて、やたらにわめきちらし、手をうち叩くのだ」(冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』、277頁)。
C’est, dit Socrate, quand une foule nombreuse réunie dans une assemblée, un tribunal, un théâtre, une armée, ou tout autre lieu de rassemblement massif, blâme ou loue des paroles ou des actes avec un grand tumulte. Ils blâment et louent à l’excès, ils crient, ils frappent des mains.
「さらに彼ら自身に加えて、岩々や彼らのいる場所までが、その音声を反響して、非難と賞賛の騒ぎを倍の大きさにするのだ」(プラトン『国家』、岩波文庫、藤沢令夫訳)。つまり、その大勢の人たちがいる場所自体が「エコー・チェンバー」となって非難や賞賛が増幅され、それ以外はすべて「雑音」として排除されるか、そもそも聞こえてこない。
上掲の引用のなかでプラトンが挙げている場所に SNS を付け加えれば、そこで言われていることは今私たちが生きている社会にそのまま当てはまる。誰でもがいつでもどこでも「最大のソフィスト」になりうる時代に今私たちは生きている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます