個体性の定義は難しい。生物学、心理学、哲学など分野によって異なってもいる。
『岩波生物学辞典』(第5版)は「個体性」を次のように説明している。
個体であること.単細胞生物もそれぞれ個体であるが,個体性が特に重大な意味をもつのは多細胞生物の段階においてである.また,生物体が細胞・組織・器官のように階層構造をとり,かつ各部分間は密接な関係を保って統合され個体性を成立させていることをオルガニゼーション(organization,体制,有機構成)と呼ぶ.また単細胞あるいは多細胞の生物の群体において,個体性はしばしば問題になる.例えば,コケムシの群体は「個体性が明瞭」である(独 individualisiert)が,珪角海綿類の群体は「個体性が不明瞭」であるなどと表現される.
つまり、生物体の個体性はつねに自明とはかぎらない。植物に個体性を認めうるかどうかも自明ではない。草原の真ん中に一本立っている木を個体として視認することは一見自明なことに思われるが、その木がある別の木から株分けされた場合、その二本の木は遺伝的に同質である。同辞典の「栄養系分離」の項に以下のような説明がある。
植物の1個体から栄養生殖によって生じた個体を分離すること.こうして分離された各個体は原則的に遺伝的同質である.実際には株分けや挿木・接木・取木などの栄養繁殖による操作である.
生物の個体性を individualité の原義に基づいて定義するならば、「これ以上分割できない最小の生物体」ということになる。ところが、この定義に従うと、上記の例のような株分けの場合、その結果得られたそれぞれの木を個体とみなすことはできない。
形態的にその周囲とは明瞭に区別され、内含された無機物とも判明に区別され、一つの有機体として自律的なシステムを形成し、外部とのエネルギー交換を行う生命体が個体だと定義するとき、植物と動物の境界は曖昧になる。あるいは程度の違いに過ぎなくなる。
したがって、植物と動物との境界を截然と確定するためには、その他の基準を導入する必要がある。神経中枢、可動性、感覚、意識、自己保存本能、環境の変化への動的適応力、自己と非自己との識別、外界への反応における選択可能性、主観性・主体性などの有無が考えられる。ところが、これらの基準のどれを取っても、あるいはそれらのうちのいくつかを組み合わせても、植物と動物の境界の確定は決定的とはならない。
そもそも植物と動物という二分法に問題があるのかも知れない。かといって、両者の間の差異を生命体としての組織の複雑さの程度の差に還元することは、個体性の質的・次元的な差異の把握を不可能にする。
これらのアポリアから抜け出す途の一つだと思われるのが、すべての存在の生成をいくつかの階梯を異にした個体化過程として捉えるジルベール・シモンドンの個体化の哲学である。そこにさらに非連続の連続と連続の非連続という相補的な存在様態把握を導入することで、さまざまなレベルの個体性を個体化のある段階における準安定性として捉えつつ、それらのレベルをダイナミックに総合化するパースペクティブが開かれてくる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます