昨日の記事で紹介した鈴木論文にはまだまだ学ぶべき点が含まれているのだが、それらには後日立ち戻ることとして、今日の記事では、その論文の次に置かれた森岡健二の論文「言語過程説の展開」の第一節「時枝学説と昭和初期の学問の動向」に一瞥を与えておきたい。当時の国語学を取り巻く学問的傾向についての当事者の一人の証言として興味深いからである。
森岡は、昭和十二年に東京帝国大学に入学、十五年には同大学院に進学しており、本人の言によれば、「まさしく時枝旋風のさ中に学生生活を過ごしたといっていいかもしれない」ということである(214頁)。他方、森岡が学生の頃は、ソシュールの一般言語学講義の小林英夫訳『言語学言論』(昭和三年末刊行)が出版されてからすでに十年近く経っており、「ソシュールを学ばずして、国語学にはいって行けない有様であった」という(同頁)。つまり、当時の学生たちは、〈ソシュール〉対〈時枝〉という「まさに対立する学説の渦中にあったのである」(同頁)。
そのような状況の中で、言語過程説を、新しい時代の動きとして、他の西欧思想の動向との関連においてとらえていたと筆者は言う。昭和初期の哲学界の動向について、門外漢の自分には正確にはわからないがと断った上で、「ディルタイ(Wilhelm Dilthey)およびその一派が日本に大きな影響を与えていたことは確かだと思う」と証言する(215頁)。
その証拠の一つとして筆者が挙げている例が興味深い。本人が受験した昭和十二年の東大文学部の入試に「ディルタイの哲学について概説せよ」という問題が出題されたというのである。その主題に対して用紙いっぱいに答案を書いた覚えがあるという。つまり、この事例は、ディルタイの思想が当時「ある程度一般教養として普及していたことを物語るものであろう」ということになる。
そして、このディルタイの思想を背景にすることによって、実際、「時枝学説は理解しやすく受け入れやすいものとなった」と森岡は言う(同頁)。
ディルタイによれば、自然科学とは厳密に区別される精神科学においては、精神生活を全一的な意味連関として捉え、直接的に追体験しなければならず、これがすなわち「理解」( « verstehen ») だということになる。精神生活は、それ自体が何らかの価値目的を含み、そのため一切の機能を意味ある全体に統一している。それゆえ、この種の対象を正しく認識するためには、認識主体(観察者)が対象の内からの統一に合致するように追構成することによって、対象を追体験しなければならない。
確かに、このディルタイによる認識主体の立場の規定を前提すると、時枝理論が前面に打ち出す主体的立場がより理解しやすくなる。時枝の対象認識方法は、「当時の精神科学のそれと全く一致していると考えられる」(218頁)とまで森岡は言う。
時枝理論の通時的理解のためには、日本の伝統的文法体系の系譜を辿り直す必要があることは言うまでもないとして、同理論の共時的理解のためには、上の森岡の証言にも見られるように、単にソシュールとの対質だけでなく、広く当時の哲学思潮の中に時枝理論を位置づけて考察する必要がある。
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