今日の授業で、「すると」と「そこで」という二つの接続詞の用法の違いについて説明した。
前者について、「夜遅くに玄関の呼び鈴が鳴った。すると、隣家の犬が鳴き出した」、後者について、「夜遅くに玄関の呼び鈴が鳴った。そこで、玄関まで様子を見に行った」という例文をそれぞれ挙げる。そして、前者については、前件として提示された「夜遅くに呼び鈴が鳴る」という事態に引き続いて、何らか別の事態が引き起こされたことを後件として記述する場合に使う、両者の間に因果関係があるかどうかは問題ではない、と説明する。後者については、同じ事態が、「玄関まで様子を見に行く」という話者自身あるいは誰かの意志的行為を誘発したことを記述する場合に使う、と説明する。この説明から導かれる帰結の一つは、この二つの例文においては、「すると」と「そこで」とは入れ替え不可能である、ということである。
ここまでの説明は一応間違ってはいない。が、説明のために都合よく作った例文ばかりでは不十分、あるいは誤解を招く場合がある。「いくら待っても彼女は来ない。そこで私はしかたなしに家に帰った」という「好都合な」例文については、「そこで」の代わりに「すると」は使えないことは上記の説明から学生たちにもすぐに納得がいく。しかし、次のような例文についてはどうであろうか。
「列車は規定のスピードをオーバーした。そこで運転士はブレーキを掛けて列車のスピードを落とした。」この例文ついて、後件は運転士の意志的行為だから、「そこで」の代わりに「すると」は使えない、と簡単に言えるだろうか。森田良行『思考をあらわすための基礎日本語辞典』(角川ソフィア文庫、2018年)では、そう決めつけられている。しかし、実は、この二文だけでは決定できない。なぜなら、完全に第三者の立場から目撃した事態の継起を記述することを目的とする文脈では、「すると」も可能、というよりも、「すると」の方が適切だからである。
このことは、「運転士」の代わりに、運転手である「私」を入れてみるとよくわかる。この「私」の場合、「すると」は使えない。「私」自身の意志による行為の選択が記述されているからである。もし「すると」か「そこで」かどちらか適切な方を選べという問題が出たら、「私」の場合は、確定的な解答が可能だが、上掲の例文のように「運転士」の場合は、文脈抜きに二者択一的な解答はできない。だから、そのような出題は不適切だということになる。
とまあ、こんなふうに二年生相手にフランス語で説明したのだが、さて何人が理解してくれただろうか。これは五月の期末試験の必出事項の一つだぜ、学生諸君。
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