●ズミッ!宮古島 9
不時着機記念碑に涙が
船の到着時間に合わせて、再びタクシーの友利さんが迎えてくれた。今から日本百景にも選ばれている宮古諸島随一の景勝地「東平安名崎」へ向けてタクシーは走る。
一人旅だから気が向いたところで車を止めることができる。
運転手の友利さんが「これが宮古牛の飼育場ですよ」車を止めてカメラを向ける。ここが日の出を見るのに、格好の場所だといえば降りてみる。
外周道路を外れてぬかるみ道をすこし入ったところへ案内してくれた。
戦時中の不時着機記念碑だという
昭和17年1月24日
日本軍99式戦闘機が台湾・フィリピン方面への出撃途上ここに不時着した。修理後搭乗の小田機長(22歳)から滑走路つくりの協力を懇願された住民が全島一丸となって1ヶ月で300mの滑走路造ってしまった。
戦後来島した小田さんが「みなさんのお蔭で、任務が遂行できた」と感謝した。・・・・老若男女全島民の親切・協力心を称え記念碑を建てたそうだ。
このようなことが書かれている記念碑を読んで目頭が熱くなってきた。
不時着機記念碑に涙が
船の到着時間に合わせて、再びタクシーの友利さんが迎えてくれた。今から日本百景にも選ばれている宮古諸島随一の景勝地「東平安名崎」へ向けてタクシーは走る。
一人旅だから気が向いたところで車を止めることができる。
運転手の友利さんが「これが宮古牛の飼育場ですよ」車を止めてカメラを向ける。ここが日の出を見るのに、格好の場所だといえば降りてみる。
外周道路を外れてぬかるみ道をすこし入ったところへ案内してくれた。
戦時中の不時着機記念碑だという
昭和17年1月24日
日本軍99式戦闘機が台湾・フィリピン方面への出撃途上ここに不時着した。修理後搭乗の小田機長(22歳)から滑走路つくりの協力を懇願された住民が全島一丸となって1ヶ月で300mの滑走路造ってしまった。
戦後来島した小田さんが「みなさんのお蔭で、任務が遂行できた」と感謝した。・・・・老若男女全島民の親切・協力心を称え記念碑を建てたそうだ。
このようなことが書かれている記念碑を読んで目頭が熱くなってきた。