23.東洋のマチュピチュマイントピア別子へ
道後温泉ホテルでのフリータイムを終えて10:00バスでかって日本三大銅山のひとつだった
別子銅山へ向かいます。
昭和43年に休鉱するまで5000人が暮らす町として大変な賑わいをみせて、また住友財閥
発祥の地であった別子も栄華から廃墟に埋もれてしまいましたが、
今また世界的産業遺産として人々を集め出しています。
私たちもマイントピア別子の駐車場からマイクロバスに乗り換えて
標高750mの山中にある東平(とうなる)へ向かいます。
大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、
社宅・小学校・劇場・接待館が建てられていたところです。
マイクロバス一台がやっと通れるような山道を40分ほど登ります。
猿やイノシシの棲みか、人が棲むような場所ではないです。
やっとかっての鉱山の中枢部 東平ゾーンまで来ると新築された東平歴史資料館
と索道基地跡・東平貯鉱庫跡が現われてきました。
道後温泉ホテルでのフリータイムを終えて10:00バスでかって日本三大銅山のひとつだった
別子銅山へ向かいます。
昭和43年に休鉱するまで5000人が暮らす町として大変な賑わいをみせて、また住友財閥
発祥の地であった別子も栄華から廃墟に埋もれてしまいましたが、
今また世界的産業遺産として人々を集め出しています。
私たちもマイントピア別子の駐車場からマイクロバスに乗り換えて
標高750mの山中にある東平(とうなる)へ向かいます。
大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、
社宅・小学校・劇場・接待館が建てられていたところです。
マイクロバス一台がやっと通れるような山道を40分ほど登ります。
猿やイノシシの棲みか、人が棲むような場所ではないです。
やっとかっての鉱山の中枢部 東平ゾーンまで来ると新築された東平歴史資料館
と索道基地跡・東平貯鉱庫跡が現われてきました。
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