
8.シューメイギクが見事に咲いていた
大宝寺山門前にユーモラスな七福神の石像が並んでいました。

お参りして牛を振り返るとピンクのシューメイギクが真っ盛りでした。

パイナップルリリー

鶏頭
大宝寺山門前にユーモラスな七福神の石像が並んでいました。

お参りして牛を振り返るとピンクのシューメイギクが真っ盛りでした。

パイナップルリリー

鶏頭
20.クルスの海

展望台から眼下の海を見ると岩と海が十文字(クルス)に見えることからこの名前が付いた。


また漢字の叶うとも見えることから
ここで祈りをささげると願いが叶うといわれています。
見えるみえる!
よく見ると 叶 と見えてきますね

展望台から眼下の海を見ると岩と海が十文字(クルス)に見えることからこの名前が付いた。


また漢字の叶うとも見えることから
ここで祈りをささげると願いが叶うといわれています。
見えるみえる!
よく見ると 叶 と見えてきますね
7.大宝寺のマリヤ地蔵
奈良井宿の真ん中あたりまで来たところに
天生10年 領主の奈良井義高が自らの菩提寺として創建したという大宝寺があります。

境内にマリア地蔵尊が祀られているというので入っていきました。
山門をくぐり右手に進んでいくと首のないマリア地蔵が小さな祠のなかに座っていました。

説明分が書かれていました。

「 この石像は、昭和7年(1932)の夏に、
地元の人が藪のなかになかば埋もれているところを掘り出したと伝える。
抱かれる児が手にもつ蓮華の先が十字状になっているところから、
隠れキリシタンが観音像をよそおってひそかにまつったものではないかと言われている。」とあります。
隠れキリシタンは木曽の山奥にも潜んでいたんですね。
奈良井宿の真ん中あたりまで来たところに
天生10年 領主の奈良井義高が自らの菩提寺として創建したという大宝寺があります。

境内にマリア地蔵尊が祀られているというので入っていきました。
山門をくぐり右手に進んでいくと首のないマリア地蔵が小さな祠のなかに座っていました。

説明分が書かれていました。

「 この石像は、昭和7年(1932)の夏に、
地元の人が藪のなかになかば埋もれているところを掘り出したと伝える。
抱かれる児が手にもつ蓮華の先が十字状になっているところから、
隠れキリシタンが観音像をよそおってひそかにまつったものではないかと言われている。」とあります。
隠れキリシタンは木曽の山奥にも潜んでいたんですね。
19.はまぐり碁石の郷
日向市はまぐり碁石の郷で小休止しました。
はまぐりの産地で碁石の白石を加工しているところです。

製造工程が見られるようになっていました。
大きな肉厚のはまぐりの貝をくり抜き磨き上げて作るんですね。

それにしてもこんなに大きなはまぐりが採れるんですね。
2階には
ひょっとこミュージアムがありました。

日向ひょっとこ夏まつりが盛大に行われているようです。
ひょっとこの面がいろいろ展示されていました。

日向ひょっとこ踊りは、
毎年8月第一土曜日 赤い着物に白い帯、白いフンドシをつけ、豆絞りの手ぬぐいをかぶったひょっとこ、
おかめ、キツネが繰り広げる、こっけいな踊りで全国から踊り手が集まってくるようです。
日向市はまぐり碁石の郷で小休止しました。
はまぐりの産地で碁石の白石を加工しているところです。

製造工程が見られるようになっていました。
大きな肉厚のはまぐりの貝をくり抜き磨き上げて作るんですね。

それにしてもこんなに大きなはまぐりが採れるんですね。
2階には
ひょっとこミュージアムがありました。

日向ひょっとこ夏まつりが盛大に行われているようです。
ひょっとこの面がいろいろ展示されていました。

日向ひょっとこ踊りは、
毎年8月第一土曜日 赤い着物に白い帯、白いフンドシをつけ、豆絞りの手ぬぐいをかぶったひょっとこ、
おかめ、キツネが繰り広げる、こっけいな踊りで全国から踊り手が集まってくるようです。
6.古の佇まいを残す奈良井宿散策
道の駅 木曽の大橋駐車場にバスを止めて奈良井宿散策を始めました。
JR中央線の地下道をくぐって旧中山道奈良井宿は入り込みます。

まさにこの瞬間
東海道53次の浮世絵の世界へさまよいは入ったようです。

ふんだんに使われている格子の民家、伊勢屋、御休泊 徳利屋などの屋号が掲げられた
家なども生活感ありますからまさに江戸時代の佇まいです。

町内に6ケ所ある水場が現れてきました。
旅人ののどを潤す場所だったんでしょうね。

余りにもみすぼらしい篭を発見!
殿様の篭は良く見ましたが、庶民はこんな篭に乗っていたでしょうか。
道の駅 木曽の大橋駐車場にバスを止めて奈良井宿散策を始めました。
JR中央線の地下道をくぐって旧中山道奈良井宿は入り込みます。

まさにこの瞬間
東海道53次の浮世絵の世界へさまよいは入ったようです。

ふんだんに使われている格子の民家、伊勢屋、御休泊 徳利屋などの屋号が掲げられた
家なども生活感ありますからまさに江戸時代の佇まいです。

町内に6ケ所ある水場が現れてきました。
旅人ののどを潤す場所だったんでしょうね。

余りにもみすぼらしい篭を発見!
殿様の篭は良く見ましたが、庶民はこんな篭に乗っていたでしょうか。
18.日本海軍発祥の碑

ここ美々津は神武天皇が大水軍を編成され御親率されて御船出されたのに因んで
日本海軍発祥の地とされている。

日本海軍発祥の地の碑が建てられています。

海軍両爪錨

神武天皇は美々津の沖の黒島と八重島の間を通って船出され遂に日向にはお帰りにならなかったので、
今でもこの二島の間を通るのを忌むと伝わる。

ここ美々津は神武天皇が大水軍を編成され御親率されて御船出されたのに因んで
日本海軍発祥の地とされている。

日本海軍発祥の地の碑が建てられています。

海軍両爪錨

神武天皇は美々津の沖の黒島と八重島の間を通って船出され遂に日向にはお帰りにならなかったので、
今でもこの二島の間を通るのを忌むと伝わる。
5.みはらしファームで野菜詰め放題
標高900m南アルプスと伊那谷を一望するロケーションにあるみはらしファーム農産物直売所で
高原野菜の詰め放題とうたわれ、期待で胸ワクワクしながらてやってきました。

天候も
小雨模様の早朝とは打って変わって、空は青く高く、秋めくアルプスの風が頬をかすめるみはらしファームでの
高原野菜詰め放題はがっかりでした。

机の上に並べられた大根、ケットカボチャ、馬鈴薯、カッとネギ、ピーマン、青ナス、コーン
それに現地栽培のお米小袋をナイロン袋に入れるだけの
イベントでした。
もっと素敵なイベントを期待し過ぎていましたもの。
標高900m南アルプスと伊那谷を一望するロケーションにあるみはらしファーム農産物直売所で
高原野菜の詰め放題とうたわれ、期待で胸ワクワクしながらてやってきました。

天候も
小雨模様の早朝とは打って変わって、空は青く高く、秋めくアルプスの風が頬をかすめるみはらしファームでの
高原野菜詰め放題はがっかりでした。

机の上に並べられた大根、ケットカボチャ、馬鈴薯、カッとネギ、ピーマン、青ナス、コーン
それに現地栽培のお米小袋をナイロン袋に入れるだけの
イベントでした。
もっと素敵なイベントを期待し過ぎていましたもの。
17.美々津の祭り おきよまつり
立磐神社を清掃していた地元の方がすすんで説明してくれました。

おきよ祭りとは、
旧暦「八朔」(8月1日)の夜に子どもたちが短冊飾りのついた笹を手に町の家々の戸を午前4時
「起きよ、起きよ」と叩いて回る祭りですが、
神武天皇が東征の際、風向きの変更で急に出航がきまり
町の人に「起きよ、起きよ」と声を掛けて回り、出発の準備をしたことがこの祭りの起源だそうです。
立磐神社を清掃していた地元の方がすすんで説明してくれました。

おきよ祭りとは、
旧暦「八朔」(8月1日)の夜に子どもたちが短冊飾りのついた笹を手に町の家々の戸を午前4時
「起きよ、起きよ」と叩いて回る祭りですが、
神武天皇が東征の際、風向きの変更で急に出航がきまり
町の人に「起きよ、起きよ」と声を掛けて回り、出発の準備をしたことがこの祭りの起源だそうです。
16.神武天皇船出の地 美々津の街並み散策
ホテルから宮崎市内を抜け東九州自動車道を都農ICまで走り

神武東征の伝説が残る日向市美々津の古い街並みを散策します。
美々津は、江戸時代高鍋藩の商業港として栄え、

廻船問屋や商家の建物などが今も残っており
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
派手さはないですが当時を彷彿とさせる佇まいが素敵です。

街並みの家々には神武天皇が乗った古代船が描かれた郵便ポストがかけられています。

港に面して建つ立磐神社には、
神武天皇が日向から東方に向かって船出する際、

神武天皇が座ったとされる御腰掛之磐が祀られていました。、
ホテルから宮崎市内を抜け東九州自動車道を都農ICまで走り

神武東征の伝説が残る日向市美々津の古い街並みを散策します。
美々津は、江戸時代高鍋藩の商業港として栄え、

廻船問屋や商家の建物などが今も残っており
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
派手さはないですが当時を彷彿とさせる佇まいが素敵です。

街並みの家々には神武天皇が乗った古代船が描かれた郵便ポストがかけられています。

港に面して建つ立磐神社には、
神武天皇が日向から東方に向かって船出する際、

神武天皇が座ったとされる御腰掛之磐が祀られていました。、