浜松市 佐久間町マンホール
11.壺屋の助六を買って
新緑の佐久間ダム探訪を終え、中部天竜駅からは普通電車で帰ります。
16:31~18:28着
豊橋駅までは2時間ほどかかります。
友人と話しをしながら車窓を見る奇妙な駅舎が目に入りました。
愛知県に入り とうえい駅です。
東栄町は花まつりで有名なところですから
主役の鬼の顔が駅舎にデザインされているんですね。
豊橋からは新幹線こだまで孵りますが待ち時間の間に壺屋の助六を買いました。
美味しいお寿司です。
新幹線こだま号18:45~JR名古屋駅19:15
今日歩いた歩数は 19864歩でした
終
新緑の佐久間ダム探訪を終え、中部天竜駅からは普通電車で帰ります。
16:31~18:28着
豊橋駅までは2時間ほどかかります。
友人と話しをしながら車窓を見る奇妙な駅舎が目に入りました。
愛知県に入り とうえい駅です。
東栄町は花まつりで有名なところですから
主役の鬼の顔が駅舎にデザインされているんですね。
豊橋からは新幹線こだまで孵りますが待ち時間の間に壺屋の助六を買いました。
美味しいお寿司です。
新幹線こだま号18:45~JR名古屋駅19:15
今日歩いた歩数は 19864歩でした
終
10.この町のシンボル 龍のモニュメント
県道1号線から下ってくる途中
標高182m00、平沢 BM 水準点を紹介してくれました。
赤いアーチ橋 B形鉄橋の手前まで来ると佐久間町のシンボル?
如意宝珠を掴んで天に昇る龍のモニュメントが立っていました。
県道1号線から下ってくる途中
標高182m00、平沢 BM 水準点を紹介してくれました。
赤いアーチ橋 B形鉄橋の手前まで来ると佐久間町のシンボル?
如意宝珠を掴んで天に昇る龍のモニュメントが立っていました。
9.ベンケイソウの仲間
県道1号線のところどころに、
土留めとして丸い川石を運んできて積み上げてあります。
その隙間にベンケイソウの仲間 ツメレンゲが生えていました。
ツメレンゲは、
絶滅を危惧されているクロツバメシジミとう蝶の餌だそうです。
県道1号線のところどころに、
土留めとして丸い川石を運んできて積み上げてあります。
その隙間にベンケイソウの仲間 ツメレンゲが生えていました。
ツメレンゲは、
絶滅を危惧されているクロツバメシジミとう蝶の餌だそうです。
8.モリアオガエルの卵が
佐久間ダムの見学を終え帰途に就くと、道路わきの水たまりの上に白い塊が二つ
枝から垂れていました。モリアオガエルの卵です。
このカエルさんたちはちょっと場所を間違えたんではないかと思えるぐらいの水たまりです。
雨が降らなければ水がなくなってしまいそうです。
いやいや 賢いかえるかもしれませんね。
梅雨に入りもっと大きな池になるのを予想しているのかもしれませんね。
佐久間ダムの見学を終え帰途に就くと、道路わきの水たまりの上に白い塊が二つ
枝から垂れていました。モリアオガエルの卵です。
このカエルさんたちはちょっと場所を間違えたんではないかと思えるぐらいの水たまりです。
雨が降らなければ水がなくなってしまいそうです。
いやいや 賢いかえるかもしれませんね。
梅雨に入りもっと大きな池になるのを予想しているのかもしれませんね。
●幻の花 花かつみ園へ
万葉集にも歌われている花かつみ(野生の花しょうぶ)が保護されている
阿久比町 花かつみ園へ行ってきました。
2年ほど前にも行きましたが、その時よりも手入れが進み美しい花かつみ園になっていました、
花の見ごろはもう終盤になり最後のつぼみを咲かせている状態でしたが
まだまだ美しい花園でした。
水路には水連も2輪ほど咲いていました。
花かつみの由来を書いた記念碑
も建っていました。
万葉集にも歌われている花かつみ(野生の花しょうぶ)が保護されている
阿久比町 花かつみ園へ行ってきました。
2年ほど前にも行きましたが、その時よりも手入れが進み美しい花かつみ園になっていました、
花の見ごろはもう終盤になり最後のつぼみを咲かせている状態でしたが
まだまだ美しい花園でした。
水路には水連も2輪ほど咲いていました。
花かつみの由来を書いた記念碑
も建っていました。
7.慰霊碑のあるメモリアル広場
ダム湖が見渡せる小高い所にメモリアル広場が作られており
作間ダム建設中に亡くなった96名の冥福を祈るため慰霊碑が建立されています。
入れ碑の裏側には96名の名前が刻まれています。
ダム完成の翌1957年(昭和32年)10月28日、昭和天皇・香淳皇后が佐久間ダムに行幸しまた。
亡くなられた方への慰霊や水没住民などの労をねぎらうための御臨行でしょうね。
その際天皇・皇后御製御歌を篆刻し行幸樹周年を記念して建設された碑もありました。
御製
たふれたる 人のいしふみ 見て思ふ
たぐいまれなる そのいたつきを
皇后御歌
いまさらに 人の力の たふとさを
思いつつ見る 天竜のダム
ダム湖が見渡せる小高い所にメモリアル広場が作られており
作間ダム建設中に亡くなった96名の冥福を祈るため慰霊碑が建立されています。
入れ碑の裏側には96名の名前が刻まれています。
ダム完成の翌1957年(昭和32年)10月28日、昭和天皇・香淳皇后が佐久間ダムに行幸しまた。
亡くなられた方への慰霊や水没住民などの労をねぎらうための御臨行でしょうね。
その際天皇・皇后御製御歌を篆刻し行幸樹周年を記念して建設された碑もありました。
御製
たふれたる 人のいしふみ 見て思ふ
たぐいまれなる そのいたつきを
皇后御歌
いまさらに 人の力の たふとさを
思いつつ見る 天竜のダム