赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

15.5つ目の島岡村島へ

2018年10月24日 08時47分38秒 | 瀬戸内14島巡り
15.5つ目の島岡村島へ

小さな平羅島、中ノ島は素通りです、
平羅橋、中ノ瀬戸橋、岡村橋を渡ってとびしま海道7つ目の島岡村島へやってきました。





本土呉からはここまでが陸路で来ることができます。

ミカンなどの果樹栽培と漁業が盛んな島ですが陸路で広島県とつながっていますが、
岡村島は愛媛県に入ります。
フェリーで今治にわたります。
岡村島を含めて3島を関前諸島と言いますが、カーフェリーは小大下島と大下島に立ち寄ります。

小大下島は立ち寄りましたが乗降客が居なくて接岸することなく大下島へ寄港、



乗客の実3人ほど乗船しました。

日が落ち来島海峡の海上交通センター信号所の光がはっきり見えるようになったころ
フェリーは来島海峡大橋の下をくぐって


今治港へ入港しました。

岡村島16:15第二せきぜん今治17:35  今治港

11.樹齢300年ひょんの木

2018年10月23日 06時59分35秒 | 瀬戸内14島巡り
11.樹齢300年ひょんの木

若胡子屋の裏庭に樹齢300年ひょんの木がどっしりと構えています。


時の流れとともに移り変わる栄華と悲しい物語を見つめてきたのでしょうね。
イスノキと言います。


大木になると樹肌が赤くなり
葉に大きな虫こぶを作り,子供がこれを笛にして遊ぶので,蒲刈地方ではヒョンノキ
と呼びます。

10.華やかだった茶屋 若胡子屋と悲劇

2018年10月22日 08時56分40秒 | 瀬戸内14島巡り
10.華やかだった茶屋 若胡子屋と悲劇

白壁の屋並みの一角に茶屋と呼ばれた遊郭 若胡子屋の建物が残されていました。



潮待ち・風待ちの港町として大いに賑わった御手洗には当時4件の茶屋がありその中でも
最大の茶屋が若胡子屋で、遊女100人を抱え入母屋造りの二階建,本瓦葺きの建物です。
内部を案内してくれました。


太い材木で作られた大きな建物ですが、中でも奥座敷は特別な部屋です。
五色の小石で築いた塀で囲まれた裏庭を配した特別な客のための座敷です。

華やかさの反面、貧しさ故幼くして身売りされてきた少女たちの悲しい物語
が漫画で紹介されていました。



13歳から25歳までの女性が働いていたそうですが、遊女の世話をする少女を
かむろと言ったそうです。
ある時
そのかむろが花魁に煮えたぎったお歯ぐろを口に注がれて死んだ
若胡子屋おはぐろ事件の現場でもあります。

9.御手洗の地名が付いた菅原公の井戸

2018年10月22日 08時53分35秒 | 瀬戸内14島巡り
9.御手洗の地名が付いた菅原公の井戸

天満神社拝殿の奥には、菅原公の井戸があります。
菅原道真が太宰府に流される途中、
ここで手水を使ったことから「御手洗」の地名が付いたといわれています。

「この井戸の水でで書初めをすると、頭がよくなるぞ」 
と案内マップに書かれていますが
書道が上達すよ と書いた方が良いのにね。

可能門
願いを込めてくぐると願いが叶うと言われている可能門があります
私も
秘密の願い事を心でつぶやきながら可能門を潜り抜けました。

顔に見えると案内マップに書かれていました。
言われてみれば見えますね。

8.大崎下島・国の伝統的建造物群保存地区を歩く

2018年10月21日 06時34分01秒 | 瀬戸内14島巡り
8.大崎下島・国の伝統的建造物群保存地区を歩く

4つ目の島大崎下島 
御手洗地区にある国の伝統的建造物群保存地区を現地ガイドとともに散策します。
御手洗は潮待ち・風待ちの港町として大いに賑わった所で、
現在も江戸後期から昭和初期の建物が数多く残っています。


瀬古道を進むと各戸に生け花が飾られています。


毎日地元の方たちが季節の花を飾ってくださっているようです。


江戸の町屋が立ち並ぶ道を通り過ぎると菅原公を祀る天満宮があります。


菅原道真が左遷され大宰府へ流されるときに立ち寄ったとされています。

球を抱く狛犬が守る鳥居をくぐると




大きな石に菅原公の詩を刻んだ菅原公の碑が建てられており、
桜の並木参道を進むと、



天満神社拝殿です。