こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

デイジーワールドより  「”世界の”坂本 と”音楽の神様”細野さんの和解の瞬間」 '99

2010-07-05 20:45:11 | 音楽帳
1978年、細野さんの声かけで、YMOは結成されたが、「いつもYMOの問題児」=坂本龍一は、YMOのプロデューサーだった細野さんへの反発から、3人は表面はともかく「坂本VS細野」の対立構造が生まれ、その間を取り持ったのが幸宏さんだった。

幸宏は、それを、よく「わたしはタイコ持ちですからねえ~(笑)」と笑いにすっ飛ばして誤魔化していたけど。

YMOの楽曲を振り返っても、坂本&幸宏、細野&幸宏の共作曲はあるが、坂本&細野の共作曲は唯一「浮気なぼくら」に入っているカッチョイイ「ワイルド・アンビションズ」1曲だけという事実が、その事実を語っている。

1999年、やっと「いつもYMOの問題児」=坂本龍一が、細野さんとの和解を持つ。



この2000年の放送でも、その辺りの話をしている。
これが、やっと、YMO3人の良い関係になり。。。そして、今の「3人の戦友」のフラットな関係とYMO名義での(周囲の軋轢から生まれた「再生」ではない)再結成に繋がっているのである。

そういった意味では、このテープは、非常に歴史的記録の意味あいを持つ対談だった。
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