1978年、細野さんの声かけで、YMOは結成されたが、「いつもYMOの問題児」=坂本龍一は、YMOのプロデューサーだった細野さんへの反発から、3人は表面はともかく「坂本VS細野」の対立構造が生まれ、その間を取り持ったのが幸宏さんだった。
幸宏は、それを、よく「わたしはタイコ持ちですからねえ~(笑)」と笑いにすっ飛ばして誤魔化していたけど。
YMOの楽曲を振り返っても、坂本&幸宏、細野&幸宏の共作曲はあるが、坂本&細野の共作曲は唯一「浮気なぼくら」に入っているカッチョイイ「ワイルド・アンビションズ」1曲だけという事実が、その事実を語っている。
1999年、やっと「いつもYMOの問題児」=坂本龍一が、細野さんとの和解を持つ。
この2000年の放送でも、その辺りの話をしている。
これが、やっと、YMO3人の良い関係になり。。。そして、今の「3人の戦友」のフラットな関係とYMO名義での(周囲の軋轢から生まれた「再生」ではない)再結成に繋がっているのである。
そういった意味では、このテープは、非常に歴史的記録の意味あいを持つ対談だった。
幸宏は、それを、よく「わたしはタイコ持ちですからねえ~(笑)」と笑いにすっ飛ばして誤魔化していたけど。
YMOの楽曲を振り返っても、坂本&幸宏、細野&幸宏の共作曲はあるが、坂本&細野の共作曲は唯一「浮気なぼくら」に入っているカッチョイイ「ワイルド・アンビションズ」1曲だけという事実が、その事実を語っている。
1999年、やっと「いつもYMOの問題児」=坂本龍一が、細野さんとの和解を持つ。
この2000年の放送でも、その辺りの話をしている。
これが、やっと、YMO3人の良い関係になり。。。そして、今の「3人の戦友」のフラットな関係とYMO名義での(周囲の軋轢から生まれた「再生」ではない)再結成に繋がっているのである。
そういった意味では、このテープは、非常に歴史的記録の意味あいを持つ対談だった。