こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏のフェイバリッツ⑪  Pale Fountains 「哀しみの風景(Unless)」'83

2010-07-28 23:34:41 | 音楽帳
1983年から、テクノへの反動・ナマな音への回帰を含んで、ニュー・アコースティック・ムーヴメントは発生した。

僕自身も、その中にあったスタイル・カウンシル、ベン・ワット、トレイシー・ソーン、トレイシー・ヤング、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ザ・ジスト、ウィークエンド、フェルト、初期のティアーズ・フォー・フィアーズ、ロータス・イーターズ・・・・、そして、このペイル・ファウンテンズ等々、日々が「常に」「新しい」日々であった80年代前半、いろんな音楽の中でもみくちゃになっていた。

***

80年代の日本の特徴の1つに「若造の背伸び」というのが、今ではやはり言えてしまう。

知性の背伸びが、オシャレの背伸びとイコールであるように、糸井さん・YMOが仕掛けた80年代の日本の革命には、哲学とSEXが直結するかのような錯覚が時代感覚としてあった。

浅田彰を筆頭とする「ポスト・モダン」を「カフェ・バー」や「ピテカントロプス」で女性に語りながら、オシャレなラヴ・ホテルでSEX・・・という錯覚。
田中康夫ちゃんの「なんとなくクリスタル」ではないが・・・・。

80年代は、表層と実像の二重構造にあった。

そのはざ間で、アイドル岡田有希子は飛び降り自殺し、中森明菜は自殺しそこねた。

***

まあ、それはともかく・・・・・・

ニック・ヘイワードもそうだったが、このペイル・ファウンテンズも同様、実に昔の音楽の要素をうまく取り入れながら、渋い曲を作っていたが、一方ではまぶしいほどの「蒼さ」「若さ」が、その音のヘタウマさの中に充溢していた。

むせるような若年寄のような、80年代感覚のこれらの音楽には、その後の若年寄をコピーした人々には無い、まさにリアルタイムでの背伸びの姿が見て取れる。

僕が、ペイル・ファウンテンズを初めて聴いたのは、1983年夏の夜の、12インチ・シングル「パーム・オブ・マイ・ハンズ」「サムシング・オン・マイ・マインド」だった。

だが、個人的には、夏の日差しの強いくらくらする日差しをよけて、日陰に入ってつぶやくような語りを聞くかのような、この「アンレス」が一番好きな曲かもしれない。

同じ位好きな曲に「ラヴズ・ア・ビューティフル・プレイス」という、12インチのB面の曲があるが、それは、夏の夕暮れの日の沈む間際に、海岸線に座って聴きたい1曲だ。



あくまで、僕は、「ネオアコ」などと訳の解からぬ日本流「造語」解釈をした馬鹿共とは一生相容れない。

ただ、純粋に、彼らの音楽を、コテコテの雑誌や評論や意見を一切遮断した領域で、装飾を外して、黙って聴き味わいたい。

毎年巡ってくる夏になると、「若さ」ゆえに漂う憂鬱感を持った、この「アンレス」が聴きたくなる。
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夏のフェイバリッツ⑩ Eno「Everything Merges with the Night」

2010-07-28 00:06:28 | 音楽帳
昨夜は、4人で恵比寿ガーデン・プレイスの中のオシャレな中華屋さんで、とあるささやかなお祝いをした。

ビールしか飲まないようにしている自分だが、久々に、已む無く紹興酒を氷を入れたロックで飲んだが、旨くてビール瓶でいう大瓶2本近くを4人で飲んでしまい、その後も、その中の人の家で更にビールを飲んで、深夜2時過ぎに寝たため、ひどい二日酔い。

そこに蒸し暑さまでもが、心身を打ちのめし、ノックダウン。

ロクに仕事出来ない状態で、しんどい状態。

***

ふらふらして、気持ち悪くなり、午前中仮眠室で横になっていた。

昼ご飯にお弁当を買いには行ったものの、珍しく、その食を残してしまった。
朝~水分補給をたくさんしていくが、いくら飲んでも、酒が抜けない感じ・自分が臭い感じが消えず、調子悪さは午後も続いた。

最近、突然の歯の激痛にはじまり、やむを得ず10年以上ぶりの歯医者通いが続いているが、既に2本の親知らずを抜かれ、日々、歯医者の奴隷と化して、言われるがまんまに、1つ1つ歯を抜かれていっている。

今日は、まだ2本目の親知らず跡が痛む中、さらに次の歯を半分入れ替えられてしまった。

というのも、多分、相当昔にやったんだろうけど、上半分が虫歯で無くなったのを何かで固めたんだろう・・・・
それをトンカチとドリルで砕いて無くし、再度型取りして、一旦仮のふたの取り付け工事された。

まるで、「現場工事」さながらである。

説明すらなかったが、そのふただけで3,000円して保険が利かないと会計時に言われる始末(*_*)。

行く度に、次々虫歯が発見され、その度に冷や汗かく・・・・・。

***

夕方、売り込みに来られた業者さんと面談し、打ち合わせしたものの、それから後は、どうにも調子悪くて頭が働かない。

仕事場に居ても、一向に頭がはたらかないので、あきらめて、19時頃帰ることにした。
外は、まだ空が明るかったが、既に自分は、陰鬱な状態で、早々に家に帰り、冷たいコカコーラとつまみ程度をつまんでいるうち、いつのまにか、ござの上で、眠っていた。。。。。

***

すっかり元気を無くして仮死状態で寝ていたが、ラジオの音に、むくっと起きると22:30.

こんな夜には、夏の夜の静けさにひたりたくなる。
ひさびさに、ブライアン・イーノの1975年の「アナザー・グリーン・ワールド」の中に入っている、イーノの素朴なヴォーカル曲「Everything Merges with the Night」=全ては夜に溶けてゆく・・・を聴く。



このアルバム自体、夜の音楽だが、B面の一連の静けさへの傾斜は、日本ではない「どこか」の魔的な夜の無人の静かな場所に、自分をいざなっていく。



イーノは、交通事故でかなりの重症を負い、入院することになるが、そのひたすら横たわる中で、「アンビエント」というつぶさな時の間の、今までに無い、時間の在り方を発見する。
それまで、けばけばしい衣装や摩訶不思議なロック的音楽を奏で、後のパンクの創始者的位置づけの人となっていたが、この事故と時間の在り方の発見に伴い、その後、大きく彼の音楽は、静かで人を癒す「未開拓の分野」の音楽を紡ぎ出す。

「アナザー・グリーン・ワールド」は、同盟のロバート・フリップの力も借りながら、音楽実験が「化学変化」を起こした、100年経っても古くならないアルバムとして結実する。

***

「全ては夜に溶けてゆく」は、歌詞も素晴らしい。
イーノは、インテリで実験的・分析的な色合いを持つ印象が強いが、こういうロマンティックな面をも持っている点が、その音楽にも優しいふくらみを持たせている。

決して彼がプロデュースした過激な面(DEVO・第1期ウルトラヴォックス・トーキングヘッズ)だけの人では無いのだ。

その後、70年代の後半以降「ロック」なるもの、そのものへの嫌悪感に繋がり、カテゴライズされた「ロック」という枠そのものの陳腐化した流れを嫌い、U2のボノに強引な熱い説得・求愛を受けるまで、「ロック」畑を遠ざけるようになる。

***

以前にも紹介したが、「Everything Merges with the Night」の歌詞を紹介したい。
「どこか」夢の世界の色合いをしながらも、ロマンティシズムをたたえたこの夜想曲が自分は、とても好きである。


「全ては夜に溶けてゆく」

ロザリー 一晩中あなたを待っていた
いや、いつからかはっきりとはし得ぬ程 何年もの夜を過ごしたことだろう

過ぎてゆく時を数えながら 総ては夜の中に融けてゆく


私は海辺に立ちつくしていた

これまで出会った人々の違いを思い出そうとして成さずに
あの去年の9月より前に起こったことを 私は何一つ思い出せない

火山の麓のサンティアゴは 海に浮かぶクッションのように漂って
未だにそこでは私は眠ったことが無いものの 総ては夜の雷鳴だ


ロザリー 私達はあの夏をずっと語り過ごした
服についた麦藁を互いに取りあっては ごらん、そよぐ風は 何とやわらいできたことだろう

総てはあの夜に途切れてしまった
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