1983年から、テクノへの反動・ナマな音への回帰を含んで、ニュー・アコースティック・ムーヴメントは発生した。
僕自身も、その中にあったスタイル・カウンシル、ベン・ワット、トレイシー・ソーン、トレイシー・ヤング、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ザ・ジスト、ウィークエンド、フェルト、初期のティアーズ・フォー・フィアーズ、ロータス・イーターズ・・・・、そして、このペイル・ファウンテンズ等々、日々が「常に」「新しい」日々であった80年代前半、いろんな音楽の中でもみくちゃになっていた。
***
80年代の日本の特徴の1つに「若造の背伸び」というのが、今ではやはり言えてしまう。
知性の背伸びが、オシャレの背伸びとイコールであるように、糸井さん・YMOが仕掛けた80年代の日本の革命には、哲学とSEXが直結するかのような錯覚が時代感覚としてあった。
浅田彰を筆頭とする「ポスト・モダン」を「カフェ・バー」や「ピテカントロプス」で女性に語りながら、オシャレなラヴ・ホテルでSEX・・・という錯覚。
田中康夫ちゃんの「なんとなくクリスタル」ではないが・・・・。
80年代は、表層と実像の二重構造にあった。
そのはざ間で、アイドル岡田有希子は飛び降り自殺し、中森明菜は自殺しそこねた。
***
まあ、それはともかく・・・・・・
ニック・ヘイワードもそうだったが、このペイル・ファウンテンズも同様、実に昔の音楽の要素をうまく取り入れながら、渋い曲を作っていたが、一方ではまぶしいほどの「蒼さ」「若さ」が、その音のヘタウマさの中に充溢していた。
むせるような若年寄のような、80年代感覚のこれらの音楽には、その後の若年寄をコピーした人々には無い、まさにリアルタイムでの背伸びの姿が見て取れる。
僕が、ペイル・ファウンテンズを初めて聴いたのは、1983年夏の夜の、12インチ・シングル「パーム・オブ・マイ・ハンズ」「サムシング・オン・マイ・マインド」だった。
だが、個人的には、夏の日差しの強いくらくらする日差しをよけて、日陰に入ってつぶやくような語りを聞くかのような、この「アンレス」が一番好きな曲かもしれない。
同じ位好きな曲に「ラヴズ・ア・ビューティフル・プレイス」という、12インチのB面の曲があるが、それは、夏の夕暮れの日の沈む間際に、海岸線に座って聴きたい1曲だ。
あくまで、僕は、「ネオアコ」などと訳の解からぬ日本流「造語」解釈をした馬鹿共とは一生相容れない。
ただ、純粋に、彼らの音楽を、コテコテの雑誌や評論や意見を一切遮断した領域で、装飾を外して、黙って聴き味わいたい。
毎年巡ってくる夏になると、「若さ」ゆえに漂う憂鬱感を持った、この「アンレス」が聴きたくなる。
僕自身も、その中にあったスタイル・カウンシル、ベン・ワット、トレイシー・ソーン、トレイシー・ヤング、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ザ・ジスト、ウィークエンド、フェルト、初期のティアーズ・フォー・フィアーズ、ロータス・イーターズ・・・・、そして、このペイル・ファウンテンズ等々、日々が「常に」「新しい」日々であった80年代前半、いろんな音楽の中でもみくちゃになっていた。
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80年代の日本の特徴の1つに「若造の背伸び」というのが、今ではやはり言えてしまう。
知性の背伸びが、オシャレの背伸びとイコールであるように、糸井さん・YMOが仕掛けた80年代の日本の革命には、哲学とSEXが直結するかのような錯覚が時代感覚としてあった。
浅田彰を筆頭とする「ポスト・モダン」を「カフェ・バー」や「ピテカントロプス」で女性に語りながら、オシャレなラヴ・ホテルでSEX・・・という錯覚。
田中康夫ちゃんの「なんとなくクリスタル」ではないが・・・・。
80年代は、表層と実像の二重構造にあった。
そのはざ間で、アイドル岡田有希子は飛び降り自殺し、中森明菜は自殺しそこねた。
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まあ、それはともかく・・・・・・
ニック・ヘイワードもそうだったが、このペイル・ファウンテンズも同様、実に昔の音楽の要素をうまく取り入れながら、渋い曲を作っていたが、一方ではまぶしいほどの「蒼さ」「若さ」が、その音のヘタウマさの中に充溢していた。
むせるような若年寄のような、80年代感覚のこれらの音楽には、その後の若年寄をコピーした人々には無い、まさにリアルタイムでの背伸びの姿が見て取れる。
僕が、ペイル・ファウンテンズを初めて聴いたのは、1983年夏の夜の、12インチ・シングル「パーム・オブ・マイ・ハンズ」「サムシング・オン・マイ・マインド」だった。
だが、個人的には、夏の日差しの強いくらくらする日差しをよけて、日陰に入ってつぶやくような語りを聞くかのような、この「アンレス」が一番好きな曲かもしれない。
同じ位好きな曲に「ラヴズ・ア・ビューティフル・プレイス」という、12インチのB面の曲があるが、それは、夏の夕暮れの日の沈む間際に、海岸線に座って聴きたい1曲だ。
あくまで、僕は、「ネオアコ」などと訳の解からぬ日本流「造語」解釈をした馬鹿共とは一生相容れない。
ただ、純粋に、彼らの音楽を、コテコテの雑誌や評論や意見を一切遮断した領域で、装飾を外して、黙って聴き味わいたい。
毎年巡ってくる夏になると、「若さ」ゆえに漂う憂鬱感を持った、この「アンレス」が聴きたくなる。