今回は、ヒジョーに恥ずかしい内容であるが、自分は、右翼男子校のアウシュビッツのような巣鴨学園での高校の3年間~素浪人としての痴呆ボートピープル生活を2年間と、極道的世界を抜けてきたので、「女性」はどれだけ愛こがれた存在だったか知れないが、その抑圧は計り知れない。
大先生のみうらじゅん博士は「人生は、いかに童貞をこじらせるかが重要だ。」という名言を吐き、それに賛同した伊集院光先生と、「童貞」を「POP」にしていこうという事で「DT」と呼び、それに関する本を出版なされておられる。
まさに、その「DT」をこじらせたのは、このかたちんばも同様だったので、みうら兄貴の名言は、ある意味、オトコの真意を突いている。
***
過去にも何度か話しているが、そういう自分が、1984年(高校3年生)~1985年にかけて、毎週土曜日、夜中から朝方までの「オールナイトフジ」のブラウン管の向こう側の「彼女」たちと一緒に、隠れてのんだタバコと安いウイスキーは、自分の青春には、忘れえぬ記憶として刻まれている。
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今日は、午後から東京ビッグサイトに行って、雑貨や小物を見て周り、2万なんぼかの自費で、仕事の商材も含め、様々なアクセサリーグッズを購入して、汗をかきかき、イナカモンが「千葉でずにーらんど」に行った帰り道みたいにして、大荷物を抱えてやっとこさ22:30帰宅した。
今日は、それほど湿気を感じない晴れ間の1日だった。
そういう陽気もあって、帰ったら、ついまた、遠き想い出に浸るように、おかわりの「心はシーズンオフ」を聴きたくなったという訳です。
現代2010において、エロについてもマスゴミにおいても、素人とプロの区別境目が付かないボーダーレス(80年代終わり頃の古い表現だなあ・・・・)な状況下、理解されないだろうが、この80年代において、サブカルチャー[シロウト]側が、メインカルチャーを浸蝕していく段階の、とある断面が、この「オールナイトフジ」~「夕やけニャンニャン」なのである。
かつても同じ事を言ったが「時代を共にして寝たオンナ」というのは、いつになっても忘れえぬ存在なのだ。
たとえ四半世紀たとうが、恥ずかしき1人の「DT」の深き想い出に変わりは無いのである。
まぶしかったナツが恋しい。
大先生のみうらじゅん博士は「人生は、いかに童貞をこじらせるかが重要だ。」という名言を吐き、それに賛同した伊集院光先生と、「童貞」を「POP」にしていこうという事で「DT」と呼び、それに関する本を出版なされておられる。
まさに、その「DT」をこじらせたのは、このかたちんばも同様だったので、みうら兄貴の名言は、ある意味、オトコの真意を突いている。
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過去にも何度か話しているが、そういう自分が、1984年(高校3年生)~1985年にかけて、毎週土曜日、夜中から朝方までの「オールナイトフジ」のブラウン管の向こう側の「彼女」たちと一緒に、隠れてのんだタバコと安いウイスキーは、自分の青春には、忘れえぬ記憶として刻まれている。
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今日は、午後から東京ビッグサイトに行って、雑貨や小物を見て周り、2万なんぼかの自費で、仕事の商材も含め、様々なアクセサリーグッズを購入して、汗をかきかき、イナカモンが「千葉でずにーらんど」に行った帰り道みたいにして、大荷物を抱えてやっとこさ22:30帰宅した。
今日は、それほど湿気を感じない晴れ間の1日だった。
そういう陽気もあって、帰ったら、ついまた、遠き想い出に浸るように、おかわりの「心はシーズンオフ」を聴きたくなったという訳です。
現代2010において、エロについてもマスゴミにおいても、素人とプロの区別境目が付かないボーダーレス(80年代終わり頃の古い表現だなあ・・・・)な状況下、理解されないだろうが、この80年代において、サブカルチャー[シロウト]側が、メインカルチャーを浸蝕していく段階の、とある断面が、この「オールナイトフジ」~「夕やけニャンニャン」なのである。
かつても同じ事を言ったが「時代を共にして寝たオンナ」というのは、いつになっても忘れえぬ存在なのだ。
たとえ四半世紀たとうが、恥ずかしき1人の「DT」の深き想い出に変わりは無いのである。
まぶしかったナツが恋しい。