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晩期資本論(連載第31回)

2015-03-09 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(6)

 マルクスは、資本蓄積の一般法則として相対的過剰人口論を展開した後、今度は話題を転じて資本蓄積の歴史を出発点まで遡り、その歴史法則を抽出しようとしている。学術的には経済史に相当する部分である。マルクスはこのような資本主義の原初的な成立過程を「本源的蓄積」と呼ぶ。

・・・神学上の原罪の伝説は、われわれに、どうして人間が額に汗して食うように定められたのかを語ってくれるのであるが、経済学上の原罪の物語は、どうして少しもそんなことをする必要のない人々がいるのかを明かしてくれるのである。

 マルクスは本源的蓄積をキリスト教でいう「原罪」になぞらえていささかあてこすっているが、より世俗的な表現で、「このような原罪が犯されてからは、どんなに労働しても相変わらず自分自身のほかにはなにも売れるものをもっていない大衆の貧窮と、わずかばかりの人々の富とが始まったのであって、これらの人々はずっと前から労働しなくなっているのに、その富は引き続き増大してゆくのである。」と指摘している。いわゆる格差社会は、現代に始まったことではなく、資本主義の初めから存在しているのである。
 とはいえ、中間蓄積期の資本主義はこの「原罪」を自覚し、労働法や社会保障という政策的な用具を使ってそれなりに補償しようとしてきたのだが、晩期資本主義は「原罪」を労働者の「自己責任」に転嫁し、開き直っている点で、本源的蓄積の粗野な時代に立ち戻ろうとしているかのようである。

資本主義社会の経済的構造は封建社会の経済的構造から生まれてきた。後者の解体が前者の諸要素を解き放ったのである。

 より具体的には、「生産者たちを賃金労働者に転化させる歴史的運動は、一面では農奴的隷属や同職組合強制からの生産者の解放として現われる」。これは、喜ぶべきことのように思える。だが―

他面では、この新たに解放された人々は、彼らからすべての生産手段が奪い取られ、古い封建的な諸制度によって与えられていた彼らの保証がことごとく奪い取られてしまってから、はじめて自分自身の売り手になる。

 農奴制や徒弟制は隷属的ではあれ、それなりに隷民らにも生産手段を保証していたのであるが、皮肉なことに、資本主義的「解放」は、同時に封建的隷民から生産手段を奪い取る「剥奪」でもあった。ゆえに、「賃金労働者とともに資本家を生みだす発展の出発点は、労働者の隷属状態であった。そこからの前進は、この隷属の形態変化に、すなわち封建的搾取の資本主義搾取への転化にあった」。

本源的蓄積の歴史のなかで歴史的に画期的なものといえば、形成されつつある資本家階級のために槓杆として役だつような変革はすべてそうなのであるが、なかでも画期的なのは、人間の大群が突然暴力的にその生活維持手段から引き離されて無保護なプロレタリアとして労働市場に投げ出される瞬間である。農村の生産者すなわち農民からの土地の収奪は、この全過程の基礎をなしている。

 農民の賃労働者への転化が、本源的蓄積の一つの典型的な始まりである。ただ、マルクスはすぐ後で、「この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代も国によって違っている。」と指摘し、不均等発展の可能性を広く認めている。
 マルクスは、農民収奪から出発した本源的蓄積の典型例をイギリスに見るが、資本主義的生産が最も早くから発達したのはイタリアだとする。ちなみに、マルクスが封建時代の日本について、「その土地所有の純封建的な組織とその発達した小農民経営とをもって、たいていはブルジョワ的偏見にとらわれているわれわれのすべての歴史書よりもはるかに忠実なヨーロッパ中世の姿を示している。」と注記した日本においては、明治維新政府による地租改正という上からの政策的な収奪が本源的蓄積の土台となったところである。

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