七 資本の循環(2)
貨幣資本の循環に続き、マルクスは第二の生産資本、及び第三の商品資本の循環の解析に進む。原典ではより詳密な解析が行なわれており、『資本論』の中でも難解な箇所であるが、ここではそうした細部にはあえて立ち入らず、要点のみを参照していく。
この(生産資本の)循環が意味するものは、生産資本の周期的に繰り返される機能、つまり再生産であり、言い換えれば価値増殖に関連する再生産過程としての生産資本の生産過程である。剰余価値の生産であるだけでなく、その周期的な再生産である。
第一巻で剰余価値の生産という視座から総論的に扱われていたのは、専らこの生産資本の循環の部分であった。この「貨幣資本から生産資本への転化は、商品生産のための商品購買である」。従って、ここでは「本当の流通は、ただ周期的に更新され更新によって連続する再生産の媒介として現われるだけである」。またその流通過程は商品の交換取引を媒介する商品流通形態をとる。
このような再生産過程にも、剰余価値がすべて資本家の個人的消費に帰する単純再生産と剰余価値が資本に追加されていく拡大再生産とが区別されるが、前者の単純再生産は理論モデルに等しく、現実の資本主義経済は拡大再生産の過程である。
生産資本の循環は、古典派経済学が産業資本の循環過程を考察する際に用いている形態である。
現代資本主義においてもイデオロギー面でなお支配的な古典派経済学では、労働による生産を国富の源泉と規定し、貨幣を単に媒介的流通手段とみなすことを共通視座としているが、反面、古典派が批判の対象とした重商主義学派が国富の源泉と規定した貨幣蓄積の面が軽視されがちとなっている。
その点、マルクスは「資本循環」という動的な視座から、二つの新旧視座の対立を止揚し、資本循環の大枠を貨幣資本の循環と規定しつつ、その形態転化として生産資本の循環を位置づけようとしたと言える。よって、「資本の循環過程は、流通と生産との統一であり、その両方を包括している。」とも言われるのである。
商品資本の循環は、資本価値で始まるのではなく、商品形態で増殖された資本価値で始まるのであり、したがって、はじめから、単に商品形態で存在する資本価値の循環だけではなく剰余価値の循環をも含んでいるのである。
資本循環の第三の機能形態である商品資本の循環は、はじめからすでに購買済み生産要素から成り、従って剰余価値を含み増殖された資本価値の循環となる。第一の貨幣資本の循環では、生産過程が流通過程の媒介とみなされ、第二の生産資本の循環においては流通過程が再生産過程の媒介として理解されたが、第三の商品資本の循環では生産過程と流通過程とが止揚され、相互媒介関係として把握される。その意味では、これはまさに資本主義的生産様式における中核的な循環形式である。
・・・支配的な生産様式としての資本主義的生産様式の基礎の上では、売り手の手にある商品はすべて商品資本でなければならない。それは、商人の手のなかでも引き続き商品資本である。あるいはまた、それまではまだそうでなかったとすれば、商人の手のなかで商品資本になる。あるいはまた、それは、最初の商品資本と入れ替わった商品、したがってそれにただ別の存在形態を与えただけの商品―たとえば輸入品―でなければならない。
別の箇所では、「資本主義的に生産された物品は、その使用形態がそれを生産的消費用にしようと個人的消費用にしようと、あるいはまたその両方にしようと、とにかくすべて商品資本である。」とも言明されている。いずれも、第一巻冒頭、すなわち『資本論』全体の始まりの一句「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。」とも呼応する総括である。