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晩期資本論(連載第33回)

2015-03-23 | 〆晩期資本論

七 資本の循環(1)

 今回以降は『資本論』第二巻及び第三巻を参照しながらの考察となるが、実のところ、マルクス自身の筆で書き上げたのは第一巻までで、第二巻以降は盟友・エンゲルスがマルクスの遺稿を編集して仕上げたものであるので、エンゲルスの手が入っている。よって、第二巻から先はマルクス‐エンゲルスの実質的な合作とみなすほうが正確である。
 そういう前提でまず「資本の流通過程」と題された第二巻を見ると、本巻では第一巻での総論的な考察を踏まえ、資本の流通的な側面を考察している。マルクスは第一巻でも「商品流通は資本の出発点である。」と記し、流通を資本の動因とみなしていた。実際、資本主義は発展の過程で複雑な流通機構を形成しており、流通過程の維持が資本の生命線ともなっている。
 第二巻では、こうした流通の観点から、資本が姿を変えつつ、巡り戻ってくる運動の過程―資本の循環―を原理的に考察しようとしているが、そうした資本循環にも、貨幣資本・生産資本・商品資本の三つの流れが区別される。

資本の循環過程は三つの段階を通って進み、これらの段階は、第一巻の叙述によれば、次のような順序をなしている。

第一段階。資本家は商品市場や労働市場に買い手として現われる。彼の貨幣は商品に転換される。すなわち流通行為G―Wを通過する。
第二段階。買われた商品の資本家による生産的消費。彼は資本家的商品生産者として行動する。彼の資本は生産過程を通過する。その結果は、それ自身の生産要素の価値よりも大きい価値をもつ商品である。
第三段階。資本家は売り手として市場に帰ってくる。彼の商品は貨幣に転換される。すなわち流通行為W―Gを通過する。

 このような第一巻の簡潔な「復習」に始まる第二巻の冒頭で、マルクスは貨幣資本の循環の三つの段階を指摘している。おおまかに言えば、第一段階は労働力の購買―雇用―、第二段階は労働力の消費による生産―労働―、第三段階は生産物の販売である。
 このうち、「第一段階と第三段階は、第一部では、ただ第二段階すなわち資本の生産過程を理解するために必要なかぎりで論及されただけだった。だから、資本が自分の通るいろいろな段階で身につけるところの、そして繰り返される循環のなかで身につけたり脱ぎ捨てたりするところの、いろいろな形態は、顧慮されていなかった。これからは、これらの諸形態がまず第一の研究対象になるのである。」というのが、第二巻の趣旨説明である。

資本価値がその流通段階でとる二つの形態は、貨幣資本商品資本という形態である。生産段階に属するその形態は、生産資本という形態である。その総循環の経過中にこれらの形態をとっては捨て、それぞれの形態でその形態に対応する機能を行なう資本は、産業資本である。―ここで産業とは、資本主義的に経営されるすべての生産部門を包括する意味で言うのである。

 マルクスは産業を資本主義的生産部門という特定的な広い意味で用いており、そうした産業資本が貨幣資本、商品資本、生産資本という三つの機能形態を兼ね備えるという発想である。

独立の産業部門でも、その生産過程の生産物が新たな対象的生産物ではなく商品ではないような産業部門もある。そのなかで経済的に重要なのは交通業だけであるが、それは商品や人間のための運輸業であることもあれば、単に通信や書信や電信などの伝達であることもある。

 ここでマルクスの言う「交通業」とは通信分野も含む広い意味であるが、マルクスの時代、まだ黎明期であったこの種「交通業」は、技術革新が進んだ現代の晩期資本主義で隆盛を見ている。この分野では、工業のように生産過程で新たな生産物が生み出されるわけではないが、「交通」のサービスそのものを無形的な「商品」とみなすこともできる。その限りで、上記叙述は修正されてよいであろう。

産業資本の循環の一般的な形態は、資本主義的生産様式が前提されているかぎりでは、したがって資本主義的生産によって規定されている社会状態のなかでは、貨幣資本の循環である。

 産業資本が流通過程で三つの機能形態を兼ね備えるとはいえ、出発点となるのは貨幣資本であり、煎じ詰めればカネの循環にほかならない。よって、「貨幣資本の循環は、産業資本の循環の最も一面的な、そのためにまた最も適切で最も特徴的な現象形態なのであって、価値の増殖、金儲けと蓄積という産業資本の目的と推進動機とが一目でわかるように示されるのである(より高く売るために買う)。」とも指摘されるのである。

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