3・11は2日後。昨年の今頃は何をしていた?と思った。
昨年の今頃は地元で地域活動の一大イベント
「つつじ祭り」の準備がほぼ終わっていたのだ。
「ポスター」「出演依頼」「役割分担」ほぼ終わっていた。
今年はどうか?
「ポスター」「出演依頼」「役割分担」いずれも手つかずだ。
何が変わったのか?と思ったら大きな点が「資金面」での工面の都合。
補助金、協賛金のメドがつかないと実施計画が頓挫する危険性が高かった。
7月から新潟市内で行われる「水と土の芸術際」。プレイベントとして企画提案し、
補助金をアテにしたかった。
決定を待って準備を急ぐ。そんな様子が見えた。
他にもいくつか事情があった。事務局体制の問題もある。
昨年より運営委員の動員力が落ちている。ただでも不足気味のメンバーの刃こぼれが
目立つ。定例会に参加しないメンバーが増えた。
外部に援助を求めたい人的パワー、発想力の導入を期待する動きも大きかった。
昨年まであった「つつじ」がない、「つつじ祭り」を催行しなくてはいけない。
実はまつり会場が現在大規模な工事を行なっている地域なのだ。
何百本もの「つつじ」が現在「疎開中」。
工事完了後移植される予定ではあるが「つつじまつり」のネーミングに由来する
「つつじ」のない「つつじ祭り」を行わなければならないのだ。
某大学の協力で学生と先生の協力が得られるメドが立った。
このことは九死に一生の快挙である。ただし問題もある。
全く経験の無い素人集団に短期間に多くの企画練り上げ、実行に移す集中的な取り組みが必要となった。
事務局に体制はあるのか。そこが問題だ。
予想より少なかったが「予算」はついた。
集中的な審議と決定、役割分担、手配と段取り。
コーディネーターが必要だ。誰が?小生でないことは確かだ。
小生ですら昨年は「東日本大震災」で中止となった「つつじまつり」の会計にすぎなかった。
大きな不安と力量不足。「やれる範囲の運営計画」
実態をしっかり把握して判断を間違えぬことだ。それこそが「責任」だ。
昨年の今頃は地元で地域活動の一大イベント
「つつじ祭り」の準備がほぼ終わっていたのだ。
「ポスター」「出演依頼」「役割分担」ほぼ終わっていた。
今年はどうか?
「ポスター」「出演依頼」「役割分担」いずれも手つかずだ。
何が変わったのか?と思ったら大きな点が「資金面」での工面の都合。
補助金、協賛金のメドがつかないと実施計画が頓挫する危険性が高かった。
7月から新潟市内で行われる「水と土の芸術際」。プレイベントとして企画提案し、
補助金をアテにしたかった。
決定を待って準備を急ぐ。そんな様子が見えた。
他にもいくつか事情があった。事務局体制の問題もある。
昨年より運営委員の動員力が落ちている。ただでも不足気味のメンバーの刃こぼれが
目立つ。定例会に参加しないメンバーが増えた。
外部に援助を求めたい人的パワー、発想力の導入を期待する動きも大きかった。
昨年まであった「つつじ」がない、「つつじ祭り」を催行しなくてはいけない。
実はまつり会場が現在大規模な工事を行なっている地域なのだ。
何百本もの「つつじ」が現在「疎開中」。
工事完了後移植される予定ではあるが「つつじまつり」のネーミングに由来する
「つつじ」のない「つつじ祭り」を行わなければならないのだ。
某大学の協力で学生と先生の協力が得られるメドが立った。
このことは九死に一生の快挙である。ただし問題もある。
全く経験の無い素人集団に短期間に多くの企画練り上げ、実行に移す集中的な取り組みが必要となった。
事務局に体制はあるのか。そこが問題だ。
予想より少なかったが「予算」はついた。
集中的な審議と決定、役割分担、手配と段取り。
コーディネーターが必要だ。誰が?小生でないことは確かだ。
小生ですら昨年は「東日本大震災」で中止となった「つつじまつり」の会計にすぎなかった。
大きな不安と力量不足。「やれる範囲の運営計画」
実態をしっかり把握して判断を間違えぬことだ。それこそが「責任」だ。