国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

教員論と教育論言うかなんというか

2020-05-26 13:51:51 | その他・雑文

●教員研修センターというところがあった。現在の「NITS 独立行政法人教職員支援機構」である。そこで中堅教員研修というものをかなり昔に受けた。

 ベテランの教員の方々ばかりでびびったものである。

 今は知らないが原則として学校はピラミッド構造と違い、鍋のふた構造である。トップに校長先生がいて他は全教員が原則として平等であり、教頭先生、主幹教諭などの何人かの先生方が鍋の取っ手である校長先生と教員をつなぐのである。

そして、少なくとも10年以上の教員歴のある先生方(将来の教頭先生候補、そして校長先生候補)が中堅教員(今もそうなのかどうかよくは知らないが)として全国から集まっていたのである。

 そこへ担任経験のない(正確には一か月しかない)予備校あがりの私が参加したのだから、自分から志願したとはいえ(教員というものがよく理解できていなかったので自主的に希望した)、無謀なことをしたものだ。その年の中堅教員研修のメンバーからは教員歴2年の大手予備校あがりの人がいるらしいと、噂が広がっていた。そりゃあ、珍しい動物がまぎれこんだようなものだから噂もひろがるわけである。

●ただ言えるのは中堅教員研修に参加した人たちは本当に熱かった。私の参加した年度だけなのかもしれないが、どの教員も理想を持ち、自分なりの立場でそれを達成しようという気概のある先生方ばかりであった。今でもその研修に参加できたことは誇りに思う。教員というものが何かをある程度理解したと言えよう。教員からは脱落してしまったけれども。

●最終日の研修担当の先生(早稲田大学の教授だったと思う)が「みなさんもここにいるメンバーだけで学校が作れたらなあと思うことがあるでしょう」と言うと全員が深く頷いたのである。むろん、私も頷いた。校長先生になる決意を固めている一流校の先生と同じく校長先生になる決意を固めている県で最下位の学校の先生のどちら(同じ班に所属していた)でも校長になるから力を貸してくれと言われたら、馳せ参じていたやもしれない。他にも多くの経験値を持った教員や事務処理能力(実は事務処理能力は教員の必須能力である)の高い教員がたくさんいた。むろん教科を教える能力の高い先生方もいらした。そんなメンバーで作る理想の高校を妄想した直後に早稲田大学の教授はこう言った。「そんな学校、濃すぎるからやめなさい。あなたたちのすべきことは今回得た経験や情熱を全国に伝えることです。今の情熱を冷ますことなく全国にひろめなさい」。言葉は正確ではないかもしれないが、そう仰った。その場の各教員はそれを決意したはずである。

●私の代だけがたまたまそうだったのかもしれないが中堅教員である方の情熱や能力はすばらしかった。そして、おそらくは中堅教員に誰でもなれる(経験は必要だろうけど)はずの一般教員(鍋のふた構造ですからね)の情熱や能力もすばらしいものだろう。なにせ、研修から帰った私の視点が各先生方を尊敬する目線に変わっていたのである。それまでは自分のことで精一杯で教員とは何かについて考える暇がなかったせいもあるが。

●私がよく生徒の集会や中学校での講演会でよく言っていたのは「先生方は君たちの力を120%にも、いや、150%、200%にも伸ばそう努力している。君たちは先生方の持つ力を100%出せるようにしなさい。先生方のやろうとしていることより易しいはずだ。けど、それだけでいいんだ」ということであった。

●参考までに先生方が生徒をどのような視線で見られるようにしているかを説明しておくと、複数の角度から見られるようにしている。担任・前年度の担任、副担任、教科担当、部活動の顧問・コーチ、学年主任などの目線である。場合によっては校長、教頭、保健室の先生なども参加することがある。そうやって少しでも総合的に生徒をみようとしているのである。

●むろん、問題のある教員がいないとは思っていないが(いるよ、いる。必ずいる)、まずは、教員の力を100%出せる環境を作ってほしいし、また、先生方が持つ理想や情熱を信じてほしいものだ。

 

●なんか教育論を書いていて恥ずかしくなってきた。

 まあ、教員脱落者の戯言ということで勘弁してください。

●なお、中堅教員研修などの別の側面を言っておくと文科省の方針などを全国に一律化する機能を担っているよ。というかそちらがメインかと。

 

 

 

 

コメント
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