旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ラグーンからライトハウスへ

2025-01-15 13:54:32 | スリランカ
ハイウエイのフードコートで売っていた↑バナナの皮で包まれたこれは何?
※後ででてきます(^-^)

※ジェットウィング・ラグーンについてこちらに書きました

1月10日、ホテルの出発は午後一時半。
砂嘴(さし)の一本道を南下。
こんな場所

地図で見ていた時はもっと交通量が多い四車線ぐらいの道かとおもっていた。
大通りはラグーンの東側で、西側はのんびりした散歩したいような道だった。

道路に沿って、確実に半世紀は経っているだろう広大な敷地を持つ屋敷が並んでいる。

スリランカは19世紀はじめに英国支配がはじまり1948年まで続いた。

英国風の教会や

サレジオ会の事務所など

キリスト教関連の施設が多いのはその影響だろう。

二百年の間に、支配層は白人と現地民の混血=通称「バーガー」と呼ばれる人々に移っていった。
ジェットウィング・ラグーンの建築家ジェフリー・バワもそういった人々の一人である。

ラグーンが終わったあたりJa-Elaからハイウェイに入り、さらに南へ。

スリランカ唯一の高速道路建設は日本の大成建設がはじめたが、
※「君の名は」の新海誠監督の短いCMにリンクします
途中から中国が資金も施工も半分を請け負うようになっている。

サービスエリアは日本と同じ雰囲気が感じられる。トイレ使用料は40Rp(20~30円)で領収書を手渡ししてくれる。料金を印刷してあることが、インフレがひどくない証拠。
かつてトルコリラやネパールルピーなどで、訪れる度に料金が高く修正されてついには料金表示がない入場券になってしまったのを見てきた。自国の通貨が安定していることは治安維持のための最重要事項である。

サービスエリアで軽食を。
見つけたのが「カレーリーフ」というお店で売っていた冒頭写真の一品↓

「イエローライス」と言っていたがどんな感じ?

↑なるほど黄色い!

「ランプライス」というオランダ由来のスリランカ料理だそうな。
黄色いのはサフランかと思ったが、食べてもサフランの風味はまったくしない。
カレー粉だけの黄色ではない気がする。
「ウコンです」と言われて納得。
アジア僧の衣の黄色はウコンで染めるとインドやネパールできいた。
修行中に調子がわるくなると衣を噛(しが)んで病気除けにするのだそうだ。

スリランカ人のように手で食べてみた。
30年ほど前に北インドで同じように食べた記憶がよみがえった。


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七年ぶりのスリランカに到着

2025-01-09 21:15:20 | スリランカ
スリランカ航空の尾翼には孔雀。

時差は三時間半。


「ジンジャー・ビアー」を今回の旅の手配会社担当が勧めてくださった。

生姜味、けっこうキツイです。

前回スリランカへ来たのはコロナ前2018年の1月だった。
※2018年のブログにリンクします
**

現地時間17時半過ぎ、コロンボ空港に到着。

VISAに代わるETAは通常US$50だが、現在日本など七か国については免除になっている。
入国書類もオンライン申請しておけば書く必要がない。

ネゴンボのジェットウィングホテルまでは45分ほど。
真っ暗な道でとつぜん魚市場がにぎわっていた。

このあたりの海は良い漁場なのだそうだ。

空港から干潟(ラグーン)を挟んで対岸にあるホテルに到着。

百メートルのプールがよく紹介されている。

途中に、2024年に新オープンしたスパとアーユルヴェーダ施療をしてくれる場所がある。

バワ建築らしい中庭も

建物の間にラグーンが見えてきた。

今日の我々の部屋はラグーン・ラグジェアリー




明日朝が楽しみ(^-^)




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近江長浜の魅力をもっと~古民家の宿

2025-01-06 07:31:24 | 国内
築150年の古民家宿。目の前に琵琶湖がうちよせる。
部屋の小さなまどから

「湖桑庵(こそうあん)」。
↓古い国鉄車両の客室もある。

《手造の旅》では使いにくいが、一度泊まってみたいかも。

**
12月21日朝十時過ぎ、伊吹山はうっすら雪をまとっていた。

無人の河毛駅で降りる↓

長浜ガイドの松山さんが迎えてくださった。
最初に「丸小舟の館」へ※2020年はじめて訪れた時のブログをごらんください


何度来ても発見がある。
↓船の中に乗っているマネキンのモデルはこの博物館がつくられた時の滋賀県知事國松氏で、現長浜市の出身だった。

**

すぐ目の前の老舗旅館でランチ

入ってすぐに巨大な孔雀

奥には日本庭園まであった。
昭和の冠婚葬祭には大賑わいだっただろう。
***
菅浦は落葉がまだまだきれいだった↓

紅葉も


昨年四月と同様にスリッパで石段を上った※その時のブログにリンクします

菅浦の集落専門のガイドさんに解説してもらいたいと思ってまだ果たせていない。


*****
冒頭写真の古民家「湖桑庵」を見学

↑一階部分はカフェになっている↑事前にお願いしておけばお弁当もある。

二階部分に百五十年前の柱がにょきにょきしている部屋が四つ。

ここの魅力は民家の雰囲気+その立地。

↑部屋からの眺め↑左にちょっと突き出しているあたりまで水位が低ければ歩いて行ける。
前出の国鉄時代の車両を使った部屋が表にひとつ。

↑東急車両?
******
6月27-29《手造の旅》で糸繰りを見学させていただく大音(おおおと)集落。賤ヶ岳のふもとにある。

すぐ近くに歴史ある伊香神社

こちらもしっかり案内していただきたいと思っております。
*******

木之本駅前の道の駅「おかん」でカブとカキモチを買った。
安くて!ほんとにおいしいカブでした(^^♪

********

すぐ近くの★江北図書館※こちら見どころをもう少し書きました

6月27-29の《手造の旅》でも、
図書館愛あふれる館長にご案内をおねがいします(^^)/


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近江長浜の魅力をもっと~江北図書館

2024-12-29 14:14:51 | 国内

江北図書館で「吾輩は猫である」初版本を間近に見せていただいた※右の版画はネコがビールを飲むラスト近くのシーン。
↓こういった希少本はこのガラス戸の向こうに保管されている。

希少図書だが予約すれば一般の人も閲覧することができる。
12/21館長が案内してくださった。

↑このエンクロサイペディア(ブリタニカ百科)の第九版は三面塗金↓
『Encyclopædia Britannica』第9版 
The Scholar's Edition(学究に愛された版)として名高い。
セント・アンドリュース大学教授T.S.ベインズやウィリアム・R.スミスが編集に携わる。
日本橋丸善で輸入販売が開始され、伊藤博文、尾崎行雄、徳富蘆花、犬養毅らが購入。
※上記のように解説されているブリタニカジャパンのヒストリーページにリンクします

↑江北図書館の現在の建物は昭和12年に建造された元「郡農会館」。

↑左上、法服を着た杉野文彌(1865-1932)が明治35年に開設した「杉野文庫」がもとになっている。
余呉湖の田舎で苦学し、自由に本を読めなかった自身の経験から、
故郷に私設の図書館を開いたのだった。
この時代は新しい日本文学の黎明期。
冒頭の「吾輩は猫である」は明治40年に刊行されている。

↑「夏目」のハンコが押してある↑

大河ドラマからみ「紫式部日記」の展示もあった↓

江戸時代の本から

わかりやすく解説してくださっている。


本をどう分類するかは難題。

↑「ネルソンとナポレオン」のとなりに「謡曲(能の言葉)評」、そのとなりに「法学通論」が並んでいる。

ご苦労が感じられます。
二階にあがってすぐに、古い木箱が目に留まった↓

「群書類従」は大著として名前をきいたことがあったが、塙保己一という人をちゃんと認識できた。
※こちらにもう少し書きました

↑二階天井の洒落たデザイン↑

↑この写真は江北図書館がこの建物に移ってくる前のものだと思われるが↑床は畳で、日本式に靴を脱いで上がる施設でありつづけているのがわかる。

片隅にあった↑回転書架は前出のエンクロサイペディア用のものだった↑

↑書籍カードはかつて図書館の必須だった↓

↑手書き文字が書かれた時のことを想像する。
↑ディッケンズの小説デビュー作「ピクウィック物語」ニューヨーク発刊

地方の小さな町で学ぼうとする人に、こういう本を手に取れる機会を提供していた場所なのだ。

久保寺館長↑2025年6月27-29《手造の旅》でまたお話いただけるのを楽しみにしています<(_ _)>






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「波の伊八」を知る~大山不動尊、行元寺、飯綱寺、+笠森観音、ホキ美術館、瑞洲亭

2024-12-23 14:02:59 | 国内
北斎にも影響を与えたと伝わる武志伊八郎信由は今、「波の伊八」と通称されている。

※こちらにも書きました
12月8日午後に訪れた大山不動尊は↓今年開山1300年を迎える古刹。

修験道、神道、天台宗、真言宗、変転はしたが近在の信仰を集め続けている。
1802年に建て替えた本堂の入り口に↓伊八が彫った二匹の龍↓

↑下に臥す脚に宝珠を握る「海の龍」↑波が大きな波頭をつくり上昇して雲に変わっている↑
↑左上の翼のある「空の龍」↑両方の周りに稲妻が見える↑
宗教宗派が変わっても、大山不動尊はずっと雨乞いの場所だった。
雷は科学的にも雲の中に溜まったマイナス電荷が地上のプラス電荷と接触して起きる放電現象。
伊八の龍は期せずしてそれを表しているようにさえ見える。

彫刻と同じ1802年に完成している本堂には↓より古い時代の厨子が見える↓

↑日光東照宮の彫刻に携わった彫り物大工が療養のために暖かい房総に滞在し、彫ったと伝わっている↑
↑たしかに東照宮の陽明門を思い出させる↑
厨子の縁台に↓伊八の写真集で見おぼえていた「俱利伽羅龍」がみえた↓

↑後ろに見える厨子の龍と呼応するようだ↑この場所のために彫られたのだろうか?
※間近に見せていただけるタイミングで俱利伽羅龍の足元に見事な波が彫られているのを教えていただいた。この波が見えなくなるような場所にもともと置かれていたとは思えなくなった…

↑外陣の巨大な絵馬など興味惹かれるモノはまだまだみられる…他日を期します。

翌日12月9日、冒頭写真の波の欄間がある行元寺を訪れた。

円仁については2015年に山形の立石寺(いわゆる「山寺」)を訪れた時にはじめて知った。
※この時のブログにリンクします
円仁が唐から持ち帰ったサンスクリット語⇔漢字の辞書を、2022年に東洋文庫で見た※リンクします
最澄の弟子で、最澄を超えた人物だったと思う。
円仁が東国で最初にひらいた寺なので「東頭山(とうずさん)」と称されている。

江戸時代以前の天正14年(1586)に建設され↑元禄時代に拡張された本堂は火災に遭っていない。

↑拡張の際に、幕府から派遣された御用宮彫師 高松又八郎邦教の彫った鮮やかな欄間彫刻がある。
現代では伊八の方が有名だが、当時は高松又八郎の方がずっと格上。
伊八は先人の技に学んでいただろう。
一方、北斎の兄弟弟子五楽院等随の鷹の杉戸絵もある。
※行元寺のHPにリンクします

「波の伊八」の最高傑作と言われる「牛若丸と天狗」がある飯綱寺へ。

「千葉虹色こまち」さんのページに写真たくさん紹介されています※リンクします
屋外で風雨にさらされている伊八の木彫もたくさんある↓


↑この裏側

どれも波が躍動している。


注目される作よりもその周辺を見ていくことで真価が感じられる。


伊八もさることながら、次の世代になる※大木茂八の木彫にも惹きつけられた↓

※こちらにも書きました



江戸時代に奉納されたたくさんの天狗たち。

境内のキンカンを味わうこともできた。

**

外房の波はオリンピックのサーフィン会場につかわれるほど。

釣ヶ埼海岸にもよった。

五十嵐カノアをはじめ日本チームのサイン入りボード↑

房総の蜂蜜買ってみました
***
笠森観音へ

日本唯一の四方係=岩山のてっぺんにお堂を建て四方すべてを柱で支えている。

後一条天皇の勅願で最澄が彫った十一面観音立像を収めるために平安時代に建てられたと伝承は語るが、
昭和35年の調査で天正(安土桃山時代)の墨書が見つかり、その頃の建築ではないかとされている。

昭和の解体修理以前はいったいどんなだったのだろう。

周囲の森が見晴らせる。
****

ホキ美術館は、日本人画家の超写実絵画を専門に集めている。
2010年に開館した時には周囲の住宅街はなかったとのこと※HPにリンクします

*****
ご希望の方と「瑞洲亭」で夕食。

旧スイス大使館を移築した。

格天井の応接室の個室でいただきました。

燻製の煙を閉じ込めた球をひらくと




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