ワイナピチュ登山からマチュピチュ遺跡にもどり、サンクチュアリー・ロッジでゆっくりしていたかたと待ち合わせて「インカ橋」まで行く予定にしていた。携帯で連絡をとりあって、「インカ橋」への入り口チェックポイントで合流橋がかかっている道もまたかつてのインカ帝国全土5万㌔以上にはりめぐらされたという「インカ道」のひとつである。崖にへばりつくような道が続いている。
マチュピチュ山の右側へ回り込むようにして続く道からは谷の水力発電所が見えた
この発電所の見えている裏側にあった村は近年の大雨・洪水で流されてしまったそうな
そして、これがその橋。見えました?⇒
インカ帝国は現在のペルーよりも広い領土をもっていた。征服した地域の支配を確実にするためには確実な伝達機能が不可欠。全国に張り巡らされた「インカ道」は五万㌔にもおよぶという。
地形も気候ものりこえて、こんな道を建造していたのはすごい。
こういう道をつかって飛脚制度が機能しており、クスコ⇔リマ間を三日で結んでいたとされている。クスコ⇔リマは飛行機でも一時間かかる距離なのに。
**
全員でゆっくりサンクチュアリーロッジに戻ると、正午少し前となった。予定通り。
実は、きのうチェックインした際にホテルの階段で滑って近くのクリニックからお医者さんにきてもらっていた方があった。ホテルを離れるタイミングで、もういちどホテルがドクターを呼んでくれていたのは、さすがサンクチュアリー・ロッジであります。マチュピチュ遺跡の入り口わきの道をはいってすぐにこのクリニック、近くて便利
ホテル目の前から出発する乗合バスでマチュピチュ村へ降りるかつて「グッバイボーイ」というのが出現していた道だが、少年は学校へ行くことになり、もう現れません。※何のことか分からないかたは「グッバイボーイ、マチュピチュ」で検索してみてください。
村はかつて「アグアカリエンテス(熱い水)」という名前だったが、今はマチュピチュ村と名前を変えた。
この温泉というのは、実は日系人の村長が開発したというのを「世界不思議発見」でやっていた。
日本からの移民は1899年に第一回がはじまり1923年の廃止までに一万七千人が渡航したとされている。彼らの勤勉さはそこから多くのリーダーを輩出し、そのなかの一人がこの町をつくり、日系人大統領も実現させたのか。
民族を越えて信頼を得て、異国でのリーダーになりえたという先人に敬意を払います。
村の広場ここに面して市庁舎がある。中を見てみたかったが、今日は日曜日で残念。
広場の道の名前にはインカ皇帝
スペイン時代の教会ももちろん、ある。
昼食はごく軽くカフェで、と話したら、こんな店を勧めてくれたオーナーがフランス人なのだとか。たしかにおいしいです
オリャンタイタンボまで、今日はインカレールにて
往路とちがって青空、雪山も見える
オリャンタイタンボ到着。今日は村祭りで町の方へバスが入れないとのこと。ごったがえす観光客はウルバンバ川方向へ誘導され、観光バスもそちらへやってきた
おととい通った峠をあがってゆき、オリャンタイタンボを見下ろす標高3800mのチンチェロ村をとおりそろそろ日が暮れるころ標高3400mのクスコに到着した今回の旅、今日のクスコと明日のプーノが三千メートルを超える宿泊地なので高山病の注意が必要になる。
今日の宿泊はドメニコ修道院=インカ神殿コリカンチャ跡のすぐまえに位置しているホテル。ライトアップ
夕食は徒歩で近くのポジェリア(ポッジョ=鶏肉をたべさせてくれるところをそう呼びます)へ。ツーリスト向けでなく、ごくふつうのクスコの人が行くお店へトリもおいしかったけれどアンティクーチョ=串肉もやはりたべたい
ホテルへの帰路にある立派な建物は裁判所
遅くまで開いていたスーパーでこんなものをお土産に買われた方があり、ひとついただきました。
ずしっと重たい300g。チョコレートかと思ったらそうではなく、ホットチョコレートをつくるためのノンシュガー材料なのだそうです。
マチュピチュ山の右側へ回り込むようにして続く道からは谷の水力発電所が見えた
この発電所の見えている裏側にあった村は近年の大雨・洪水で流されてしまったそうな
そして、これがその橋。見えました?⇒
インカ帝国は現在のペルーよりも広い領土をもっていた。征服した地域の支配を確実にするためには確実な伝達機能が不可欠。全国に張り巡らされた「インカ道」は五万㌔にもおよぶという。
地形も気候ものりこえて、こんな道を建造していたのはすごい。
こういう道をつかって飛脚制度が機能しており、クスコ⇔リマ間を三日で結んでいたとされている。クスコ⇔リマは飛行機でも一時間かかる距離なのに。
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全員でゆっくりサンクチュアリーロッジに戻ると、正午少し前となった。予定通り。
実は、きのうチェックインした際にホテルの階段で滑って近くのクリニックからお医者さんにきてもらっていた方があった。ホテルを離れるタイミングで、もういちどホテルがドクターを呼んでくれていたのは、さすがサンクチュアリー・ロッジであります。マチュピチュ遺跡の入り口わきの道をはいってすぐにこのクリニック、近くて便利
ホテル目の前から出発する乗合バスでマチュピチュ村へ降りるかつて「グッバイボーイ」というのが出現していた道だが、少年は学校へ行くことになり、もう現れません。※何のことか分からないかたは「グッバイボーイ、マチュピチュ」で検索してみてください。
村はかつて「アグアカリエンテス(熱い水)」という名前だったが、今はマチュピチュ村と名前を変えた。
この温泉というのは、実は日系人の村長が開発したというのを「世界不思議発見」でやっていた。
日本からの移民は1899年に第一回がはじまり1923年の廃止までに一万七千人が渡航したとされている。彼らの勤勉さはそこから多くのリーダーを輩出し、そのなかの一人がこの町をつくり、日系人大統領も実現させたのか。
民族を越えて信頼を得て、異国でのリーダーになりえたという先人に敬意を払います。
村の広場ここに面して市庁舎がある。中を見てみたかったが、今日は日曜日で残念。
広場の道の名前にはインカ皇帝
スペイン時代の教会ももちろん、ある。
昼食はごく軽くカフェで、と話したら、こんな店を勧めてくれたオーナーがフランス人なのだとか。たしかにおいしいです
オリャンタイタンボまで、今日はインカレールにて
往路とちがって青空、雪山も見える
オリャンタイタンボ到着。今日は村祭りで町の方へバスが入れないとのこと。ごったがえす観光客はウルバンバ川方向へ誘導され、観光バスもそちらへやってきた
おととい通った峠をあがってゆき、オリャンタイタンボを見下ろす標高3800mのチンチェロ村をとおりそろそろ日が暮れるころ標高3400mのクスコに到着した今回の旅、今日のクスコと明日のプーノが三千メートルを超える宿泊地なので高山病の注意が必要になる。
今日の宿泊はドメニコ修道院=インカ神殿コリカンチャ跡のすぐまえに位置しているホテル。ライトアップ
夕食は徒歩で近くのポジェリア(ポッジョ=鶏肉をたべさせてくれるところをそう呼びます)へ。ツーリスト向けでなく、ごくふつうのクスコの人が行くお店へトリもおいしかったけれどアンティクーチョ=串肉もやはりたべたい
ホテルへの帰路にある立派な建物は裁判所
遅くまで開いていたスーパーでこんなものをお土産に買われた方があり、ひとついただきました。
ずしっと重たい300g。チョコレートかと思ったらそうではなく、ホットチョコレートをつくるためのノンシュガー材料なのだそうです。