シエナは三つの丘の上に出来た街。大聖堂はいちばん高い丘の頂上からせり出して建てられている。後陣部分が丘からはみ出して下に支える石の部屋が二層になっているのがわかる↓
↑二層の下の部分=三つの扉がつくられているのが半地下の洗礼堂、その上の窓のない部分がかつて礼拝堂で近年まで瓦礫が詰め込まれていた階※後程入ります
↓大聖堂正面入口のある広場から、洗礼堂入口扉のある広場まで降りてくる階段↓
↓その途中に刻まれたこの小さな十字架は何を意味する?
↑聖女カタリーナが子供の頃にここで転んだんだそうです
なるほどぉ、昔からつるつる滑りやすい階段だったのかと納得
★半地下洗礼堂が一番下にある
↓扉を開けて入ると…
↑フレスコ画で被われた空間が待っている
↓中央の洗礼盤は15世紀はじめにヤコポ・デッラ・クエルチャがデザインしたもの
↕下部のブロンズ彫刻はヤコポではない。
彼は二十代の時にフィレンツェの大聖堂洗礼度扉のコンペで落選して以来ブロンズ制作に自信がなくなっていたらしく、同時代のライバル職人たちに依頼していた↓その一人=ロレンツォ・ギベルディによるキリストの洗礼↓
フレスコ画に描かれた主題のひとつが面白い↓下の左右二枚
↓動物のロバも聖ベルナルディーノの前に跪く奇跡(右)
↓強欲な金貸しが死んだ(左)↓
↑遺体をしらべると彼の心臓が無い事が分かって皆が首をひねっている(左下)
そこにやってきた聖ベルナルディーノが
「強欲だったこの者の心臓は金庫にある」と示唆…
↓金庫の中にほんとにあった(右上の黄色い箱)
↑中から出されたしなびてしまった心臓に手を残念そうに見ながら手を合わせている↑
**
ひとつ上の階、近年まで瓦礫が詰め込まれていた礼拝堂↓別の入口から入る
↑より古い時代のフレスコ画が残されていた
↓この場所は大聖堂の床下すぐに位置している↓
↓それが分かるようにガラスがはめ込まれた天井↓
↑大聖堂の床にあたるわけだ
色大理石の太い柱が見える↓
この部屋の瓦礫を取り除くと大聖堂の床が壊れてしまわないか心配されていたので、このフレスコ画の存在はわかっていたけれどそのままにされていたのだそうな。
↑二層の下の部分=三つの扉がつくられているのが半地下の洗礼堂、その上の窓のない部分がかつて礼拝堂で近年まで瓦礫が詰め込まれていた階※後程入ります
↓大聖堂正面入口のある広場から、洗礼堂入口扉のある広場まで降りてくる階段↓
↓その途中に刻まれたこの小さな十字架は何を意味する?
↑聖女カタリーナが子供の頃にここで転んだんだそうです
なるほどぉ、昔からつるつる滑りやすい階段だったのかと納得
★半地下洗礼堂が一番下にある
↓扉を開けて入ると…
↑フレスコ画で被われた空間が待っている
↓中央の洗礼盤は15世紀はじめにヤコポ・デッラ・クエルチャがデザインしたもの
↕下部のブロンズ彫刻はヤコポではない。
彼は二十代の時にフィレンツェの大聖堂洗礼度扉のコンペで落選して以来ブロンズ制作に自信がなくなっていたらしく、同時代のライバル職人たちに依頼していた↓その一人=ロレンツォ・ギベルディによるキリストの洗礼↓
フレスコ画に描かれた主題のひとつが面白い↓下の左右二枚
↓動物のロバも聖ベルナルディーノの前に跪く奇跡(右)
↓強欲な金貸しが死んだ(左)↓
↑遺体をしらべると彼の心臓が無い事が分かって皆が首をひねっている(左下)
そこにやってきた聖ベルナルディーノが
「強欲だったこの者の心臓は金庫にある」と示唆…
↓金庫の中にほんとにあった(右上の黄色い箱)
↑中から出されたしなびてしまった心臓に手を残念そうに見ながら手を合わせている↑
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ひとつ上の階、近年まで瓦礫が詰め込まれていた礼拝堂↓別の入口から入る
↑より古い時代のフレスコ画が残されていた
↓この場所は大聖堂の床下すぐに位置している↓
↓それが分かるようにガラスがはめ込まれた天井↓
↑大聖堂の床にあたるわけだ
色大理石の太い柱が見える↓
この部屋の瓦礫を取り除くと大聖堂の床が壊れてしまわないか心配されていたので、このフレスコ画の存在はわかっていたけれどそのままにされていたのだそうな。