旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

サン・ジミニャーノの参事教会、ポポロ宮殿の塔に登る

2019-05-13 07:00:00 | イタリア
サン・ジミニャーノの守護聖女フィーナが亡くなった時、町中の塔の鐘がかってに鳴りはじめた伝説がある。

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サン・ジミニャーノのドゥオモ=参事会教会に入る↓
壁全面を覆うフレスコ画に圧倒される↓

建物は12世紀ロマネスクだが描かれているフレスコ画は14から15世紀にかけてのもの

↑ジョット的な表現や構図があるなかで…
特別なのは15世紀に装飾しなおされた
★「聖フィーナ礼拝堂」

1475年ドメニコ・ギルランダイヨ作のフレスコ画である
フィーナは十歳で身体が麻痺して動けなくなったが、あえて粗末な木の板の上に寝てキリストと同じ痛みを喜んだとされる。
↓十五歳で亡くなる一週間前に聖グレゴリウスが現れて彼女を祝福した図↓

↓寝ていた板の現物が、今も礼拝堂にたてかけられている↓

寝たきりの彼女のもとにやってきて祈ると様々な奇跡がおこった↓
↓世話をしていた老女(中央)のリュウマチが治り↓

↑足に触れた盲目の少年(フィーナの足元)の目がひらいた
↓亡くなった時には町中の鐘が自然に鳴りだして、菫の花がひらいた

↑★絵の左上で塔の鐘を鳴らしている天使が描かれているのが見えるでしょうか

今は使われなくなった教会入口裏の壁に描かれている聖セバスチャンの物語↓

疫病は放たれた見えない矢が突き刺さるのだと思われていた時代、何本矢にあたっても死ななかった聖セバスチャンが好んで信仰されたのだった。
絵を飾る枠の部分に前出の聖フィーナがベアート(福者)として描かれている↓

この絵の描かれた下の部分を見ると、もともとはこちらが後陣にあたっていたのがわかる↓

つまり、後の時代に入り口を真逆に方向転換していたのだ。
東西南北を確認すると確かにこちら側が東になっていた。
※教会は基本的に東を後陣にむけて建てる
***
中世の市庁舎=プブリコ宮殿へ入る↓

壁に残された「マエスタ」(「荘厳の聖母」と訳されるこの時代の定番人気図像)が目を奪う

↑リッポ・メンミ(シモーネ・マルティーニの義弟)の14世紀の作品

↓こちらはいちばんエライ人の部屋に残された夫婦の様子を赤裸々に描いたと思われる謎のフレスコ画↓


入場料に追加料金なしで、町でいちばん高いグロッサの塔(54m)に登ることができる

↑階段はしっかりした金属製で中央にこの町の歴史的なシーンが映し出されるスクリーンが縦長に吊るされている
↓最後はハシゴですが

360度素晴らしい眺望が待っている






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ボローニャ産業遺産博物館 

2019-05-12 15:00:00 | イタリア
井上ひさしさんが見て感動したというボローニャの模型はこれだったのか↓

20世紀はじめまでのボローニャには水路が縦横に流れていた。
この模型はボタンを押すとぐぐぐっと持ち上がり、地下の水流を可視化してくれるのだ

動きはだいぶん遅いですが(^.^)

★井上ひさしさんのこの本に出会っていなければここを訪れることはなかっただろう

ボローニャ空港から十分ほどの場所にあるこの博物館ももともとレンガ工場で

目の前に運河が流れていた

かつて工場が稼働していた時代には公害もたいへんだっただろう


工場群が建てられるよりはるか昔の13世紀に、ボローニャはシルク産業の街として隆盛した。
水車を使った絹の紡績機械がはじめて町の記録に登場するのは1341年6月23日、ルッカ出身のボルゲザーノという人物が認可を得たのだそうだ。
それ以前にすでにこの機械化ははじまっていたのだろう

絹のベールは聖母マリアのベールのように、女性や貴族階級の優雅な品として珍重された。

ボローニャ周辺の主要運河の図↓


運河の水力を使った機械化という流れが、その後もボローニャを発展させていった。
やがて産業革命が起こり、動力が水力だけではなくなってからも。
紡績の機械は大規模になってゆく。


工業機械のなかでも包装紙の分野では世界で活躍しているそうな


↓これは何をつくるの?

パスタの生地からラヴィオリをつくっておりました

機械の横にそれがどんな風に稼働していたかの動画があって分かりやすい。

こういった工業の歴史が、マセラティ(1914年創業)やドゥカティ(1926年創業)につながっていったのか。


ものづくり産業を支える工場をつくる煉瓦がこの場所でつくられていた。
一階に降りるとその遺構が建物の中に残されていた


かつてここで働いていた様子も展示されている↓

↓鋳型も

↓煙突の跡


「未来は過去の中にある」と、この博物館の館長が言ったと、井上ひさしさんが前出の本に書いていた。
この博物館で過ごした一時間半で、その意味がじわじわと理解できた。

通常の観光のツアーに組み込むには華やかさに欠ける場所だけれど、今回の《手造の旅》ご参加の方からたってのご要望があり、五度目のボローニャ訪問にしてはじめてコースに入れました。


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ボローニャのゆるキャラに出会う、アジネッリの塔に登る

2019-05-12 09:15:51 | イタリア
雨の朝、プブリコ宮殿の下で

ピンク色の丸いのが飛び跳ねているのが見えた

ナニ者かとおもったら、ボローニャ名物のハム=モルタデッラのゆるキャラだった

イタリアでもこんなものをつくるようになったんですね
空港の売店でぶらさがっていたこのハムだ↓

↓朝食で出てきたところ

↓エミリア・ロマーニャ名産の食材地図にもど真ん中に載っております↓

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ボローニャのシンボル、二つの斜塔のうち高いほうがアジネッリの塔↓

1109から1119の間に建設された、日本の平安時代のものだが高さは97mもある
登ってみたくなりますよね?
しかーし、きのうの午後に行ってみると
「今日の入場券は全部売り切れー!」と叫んでいたので
翌日(今日)の16:15の分を予約したのだった。
もちろんエレベーターなどありません

こういった中世の塔の内部、多くはがらんどうになっていて、木製の階段がとりつけられている

まっくらになりそうなところに、ところどころ明り取りの窓

↑赤い屋根がきれいにみえる
ボローニャは「赤の街」とも呼ばれる

五百段弱をのぼりきると

吹きさらしの頂上に出た

***
市庁舎の二階は無料開放されている↓二階からの眺め
↓右手にペトロニウス大聖堂

雨だがきのうに引き続きジーロ・イタリアが開催中
市庁舎内でも関連した展示、イタリアの自転車レース伝説のチャンピオン、ファウスト・コッピをとりあげていた


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聖ドメニコ教会

ドメニコは母の胎内にいるときから松明を咥えた犬の姿になって世界を照らすために走り出ていたあという伝説

棺は15世紀に現在の姿に飾りたてられた↓

ミケランジェロが刻んだ天使の像もある

↓ボローニャの名家ペポリ家の墓碑↓
↓ファミリーのシンボルは市松模様↓

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お昼前、街角でパスタ作りの実演

セルフサービスのお店でちょっとだけランチ


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ボローニャで自転車レースのスタートに遭遇

2019-05-11 01:07:38 | イタリア
2019年5月11日、今年のジーロ・イタリー自転車レースの出発がボローニャになっているとは知らなかった。ファンでなくてもわくわくさせてくれる街のにぎわい(^.^)

上の写真でも写っているピンク色の円筒形↓

ここから、選手が一分ごとにスタートする。一斉スタートではありません。

ボローニャのシンボル、アジネッリの塔を背景にして、ちょうど絵になる場所を選んでますねぇ。
↓スポンサーのシマノの車もずらり

ホテルの人にたずねたら、最初のスタートは16:50だというのでホテルでひとやすみ。
時間が近付くと空にヘリコプターの音がきこえてきた。


日本人選手は三人出走すると、ホテルのスタッフが時間もおしえてくれた。
それにあわせていくことにする。

↓お土産のTシャツ子供用

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なんとか、スタートの姿を確認できる場所を確保
電光掲示に選手の名前が示される。国籍も↓

「がんばれ~!」こういう時には誰でも愛国心がでます(^.^)
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出走したあとのルートにも出てみる
おお、やはり塔を背景に絵になる夕方


でもね、どこかでコースを横切らないとホテルに帰れない…
おなじ問題を抱えた人はもちろん他にもたくさんあるので、一分ごとにやってくる選手の合間をぬって渡らせてくれるかぎられた場所↓
「さぁ!わたって」

前の人に続いて渡っちゃおうとする心理はでおこでも同じ。
それを止める係員は一苦労「ここまで!、だめだめ」

万が一選手の走行に支障がでるようなことになったらたいへん。簡単な仕事のようで神経使うことでしょう。
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翌日の朝、雨になった。
今日はもうないのかとおもったら、どうやらやってくるらしい。
雨の石畳で滑らなきゃいいのだけれど

我々は観光なのでずっとみてはおりませんでしたが

きのうとはうってかわった寒い雨の日になったのでした。







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ミラノの「EATALY」、聖アンブロージョ教会、アンブロジアーナ図書館 ヘルシンキ経由成田帰着

2018-04-15 11:12:08 | イタリア
ミラノのガリバルディ門そのとなりにあるイタリアの食材屋EATALYへ↓ここは元劇場だった建物を改装して使っているのだそうだ↓

内部は広い吹き抜けになっている↓

二階部分に突き出したテラス部分、かつてのステージ↓なるほど


地上階には生鮮野菜がずらり↓

奥には牛乳の味がするジェラート風アイス屋さんをはじめ甘いモノもたくさん。
ワインはこんなふうに↓自分で瓶に入れて買うスタイルもある↓

安いけどきっと普通においしいんだろうなぁ

入口のこの犬は「ぼくはこれより大きいから入口で番してるね」と言っている↓
つまり、「この大きさより大きい犬は中に連れて入ってはいけません」という意味↓


***
定番ツアーのミラノ観光はすでに経験したことがある皆さんなので、聖アンブロージョ教会へご案内↓ミラノは「最後の晩餐」なしでも十分に見所がたくさんあるのです↓
ローマ時代の町の門のところで降りて↓

くぐると二つの塔に挟まれた本堂が見える↓

今日は花市をやっていて、緑多い庭園の中の教会になっている↓

★教会内部について、昨年書いたブログをお読みいただけます


↓「悪魔の角が刺さった柱」についてはこちらに書きました


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アンブロジャーナ図書館は、カルロ・ボロメオのいとこにあたるフェデリコ・ボロメオ枢機卿が設立した↓彼の立像↓

何度来ても発見のある場所
ヴァチカンの「アテナイの学堂」の実物大下絵は今回修復中↓修復部屋が公開されている。寝かされているのがそれ↓いつもは突き当りの壁一面に展示されている

デジタル解説版より↓


レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子やレオナルド派と呼ばれるひと目でそっくりの絵画もたくさんある↓

↑ベルナルディード・ルィーニはレオナルドと直接一緒に仕事をしていたと言われる。この作品はレオナルドが構図や下絵を描いたのではないかと言う人もあるそうな。
ルイーニの描いた壁一面のフレスコ画もここにある↓


あ?これはパリのルーブルにあるレオナルドの「洗礼者ヨハネ」とそっくり↓

モデルはレオナルドのお気に入り弟子だったサラーイ(本名ジャン・ジャコモ・カプロッティ)だった。容姿端麗でレオナルドに愛されていたが、レオナルドのモノを度々盗むなど素行には問題があって「サライ(小悪魔)」のあだ名で呼ばれるようになった。
絵描きとしての技量はこれまでたいしたことはないとされていたのだが、下の絵がサライの自画像と考えられるところから、実は腕前もかなりのモノだったのかもしれないと、近年評価が変わってきているとか↓ううむ、そう確かに巻き毛の表現など近くで見ると迫真↓

↑この顔が前出の「洗礼者ヨハネ」のモデルだった美少年が中年になった姿なわけですな。

巻き毛といえば、ここにはルクレツィア・ボルジアの巻き毛が所蔵されている↓

ルクレツィアは毎年一度自分の髪の毛を探しにやってきて、自分の髪の毛にもどして洗っているので(笑)ずっときれいなのだそうです。

アンブロジャーナ図書館の必見は、レオナルドの遺稿、通称「アトランティック・コード」↓
最後の図書館らしいへやに飾ってある↓

展示替えを常にしているので同じものは見たことがない↓

間近にみるデッサン、鏡面文字、四百年以上を経てもその知的で端正な雰囲気が伝わってくる

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大聖堂近くのホテルにチェックインし、夕方のガレリアへ


夕食の代わりにカフェで一皿いただきました


マロッキーノ


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翌朝、この朝食があるのでこのホテルにしたのです(^.^)


今回はヘルシンキ経由のフィンランド航空を利用。
成田上空が強風で着陸をやりなおし、三回めに二時間遅れで到着できた


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