旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「世界遺産」カステル・セプリオ

2018-04-13 22:32:23 | イタリア
ストレーザからミラノへの途中寄り道で、あまり行かない「世界遺産」~イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡 を構成する九つの要素のうちの一つ「カステル・セプリオ」を訪れた↓

●サンタ・マリア・フォリス・ポルタスは「門の外のマリア」という意味。実際かつてあった町の外に作られた。
ぽつんと、ロマネスクの聖堂があった↓

内部はがらんとしている↓

近代・現代の装飾をはぎとって、ロマネスク時代の装飾をなんとか見てわかるものとして残した↓
正教会的な表現が多い↓

↑イスタンブール(旧コンスタンチノープル)の教会でよく見られる表現スタイル



↓オリジナルの床面がこれ↓





ロンゴバルド族とは、中世前期に北イタリアを支配した部族。
世界遺産の項目では「(568-774年)」と年代が付記されている。北からイタリアに侵入して王国をうちたて、フランク王国のカール大帝に滅ぼされるまでの期間になる。
この遺跡は発掘当時にはロンゴバルド時代とされていたが…最近では9世紀ごろのものかも…と推定されているそうな。いまさら認定取り消しにはならないらしい(笑)

**少し移動すると、城壁内の教会の壁が見えてきた↓

「復員者ヨハネ教会」は、古くは5世紀から6世紀のものだと推察されている↓古い時代の教会跡

14世紀の墓からは拍車がみつかって、騎士の墓と推察されている


***バスに乗ってもうひとつの世界遺産構成要素になっているトルバの修道院跡へ↓

修道院が終わった後はずっと農家の納屋として使われてきた塔↓写真左↓

二十世紀末になって研究者が入手して調査した。
壁の裏からは修道女を描いたフラスコが↓

かつての城壁の残骸↓


そばの教会はロマネスク↓ずいぶん改修された様子がわかる

内部↓


*****
ミラノへ到着してすぐにピッツェリアへ↓


イイッタリーは誰でも楽しめるスーパー




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マジョーレ湖の崖にある修道院へ

2018-04-12 15:25:14 | イタリア

**


イゾラ・ベッラ(美しき島)のすぐとなりにあるイゾラ・ペスカトーレ(漁夫の島)へ向かう↓

とがった岩山だったイゾラ・ベッラにくらべてこちらは平たんだったので早くから人が住み魚を捕って暮していたと考えられている。
一周しても五分もかからない細長い島。島を縦断する路地から湖面が見える↓

「道に迷ったら『ヴァレリア~迷っちゃった~』と叫べば聞こえるわよ(笑)」とガイドさんが言ったほど小さい

島の教会はかつて小さなロマネスクの礼拝堂だった。その痕跡が見られる↓改修されて大きくなる前にはこの丸い部分が奥のつきあたりだった


島にかつてあった学校が、今は「漁師博物館」になっている↓

これまで何度かこの島を訪れたがここへ案内してくれたガイドさんははじめてだった。だが、話を聴いてこの小さな島にとって大事な場所なのだという事を理解した。

ここはかつてウーゴ・アラというヴァイオリニストの家だった
★彼がこの島に遺したものについてもう少し書きました

現在、島の漁師は五人しかいない。が、かつては島民すべてが漁民だった。
「水を吸うと重たくなるコットンの網は、三人がかりでないとひきあげられなったのよ」↓

ナイロンの網が出来てひとりでも漁をできるようになり、モーターボートが登場して漁師も毎日家に帰って来られるようになった。

***昼食を島のレストランで食べることにした↓

★魚ソースを使ったカヴァテッリ(パスタの種類)にタッジアのオリーブを加えている★

★湖のトラウトサーモン★丁寧に小骨が取り除かれており、香ばしいパン粉と甘い温野菜

この二品、あまりにおいしくて、三人前ぐらい食べてしまいました


午後になって青空がひろがってきた。ミモザの花も咲いている↓

小さな港を見守るマリア様の向こうにスイスの雪山?


今日は午後から、対岸の
★サンタ・カタリーナ修道院へ向かう


崖にへばりつくようにして建設された建物が見えてきた↓

以前、波が高い時には上陸できないこともあったが、今日は大丈夫↓

小さな船着き場から階段を上り、修道院の回廊へ入る↓

☆漁師アルベルトは1195年のある日嵐に遭遇した。聖カタリーナに祈って九死に一生を得た彼は、残りの生涯を流れ着いたこの崖に住むと決意した。アルベルトが暮らした岩屋は教会の一番奥に残されているが、その手前には16世紀後ごろの修道院がある。まずはその部分に入る↓

新しいほうの修道院部分に残るフレスコ画↓牛馬のために蹄鉄を考案した聖者の図↓

ここの主な「檀家」さんたちは、崖の上の小さな村の農夫たちだったのだ。納得。

さらに、回廊を進む。壁の上部に「死の勝利」または「死のダンス」のフレスコ画↓

ワインプレス機↓

教会に入ったところのフレスコ↓

上には別の新しいフレスコ画があったのを剥がして見つかったのだろう↓


下の写真で左に写っている場所がアルベルトが祈り、亡くなった場所↓

右側にガラスケースに入った彼自身が見える↑
ガラスの棺の上・天井部分に穴が開いているのは17世紀のある日、崖から落ちてきた石がつくった↑
幸いアルベルトの遺体は無傷だったのも「奇跡」のひとつとされる。

祭壇の新しい花崗岩はここ十年ほどの修復時にマジョーレ湖近くに古くからある採石場から奉納されたもの↓


再び船に乗り、ストレーザへ戻る。
↓港に白い像が立っているのが見えた。これは・・・大道芸人でした(^.^)


今日はお昼をしっかり食べたので夕食はあえて全員いっしょにはしなかった。ストレーザの中心広場↓










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マジョーレ湖のイゾラ・ベッラへ

2018-04-12 12:12:12 | イタリア
こちら、湖にうかぶイゾラ・ベッラからストレーザを見たところ↓

こちら、ストレーザのホテルの部屋から湖をみたところ↓
暗いうちから鳥のさえずりがきこえていたので雨はやんでいるとおもった

朝七時、湖面が穏やかだから船は出るだろう。朝食へおりてゆく↓

クラシックなホテルのクラシックなヨーロピアンな朝食は、も少し野菜がほしくなる


朝九時になってガイドさんとミート。現地の英語ガイド・ヴァレリアさんと歩き出す。
「このホテルはストレーザの観光開発がはじまって二番目に出来たのよ。ボロメオホテルをつくったのと同じ兄弟が手掛けたの」
開業して百十年ほどになる↓

名物の中央階段はもとは最上階まで螺旋状に続く木製だったそうだ。それはしかし火事の際に全階に火を回す煙突の役割になってしまうとして、消防法で改築を命じられた。現在はロビーから一階にあがる部分にかけてだけ、元の姿で残っている。この階段はたしかにわくわくさせる。

ホテルのすぐ右隣にある御屋敷はかつてのイタリア王国サボイア王家のマルゲリータ妃が幼少を過ごしたそうな↓胸像があった


チャーターした船に乗り十五分ほど
★ボロメオ諸島いちばんの見所 イゾラ・ベッラ↓

雲がきれてきた上陸するとすぐに宮殿の下

ここは今でもボロメオ家の個人所有の宮殿。
公開しているのは地上階とその上の一階部分だけ。二階と三階は夏の間にボロメオ家の人々がやってくる。
二十年前から何度か訪れているが、昨年から内部の写真撮影がOKになった!世の流れですかね。やっと内部を紹介できる

入口からの階段に巨大な紋章が掲げられている↓

ボロメオ家はヴィスコンティやスフォルツァとはもちろん、ファルネーゼやメディチとも何重にも縁戚関係になっているそうだ。
当主は「プリンチペ」と称され、三つの爵位を持つ。娘たちの嫁ぎ先もフィアットの社長、石油会社の社長、などなど経済界にも影響力を持つ。
↓絵画室も昨年から公開された部屋↓壁一面を埋め尽くす、昔の絵画展示方法

置かれた工芸品はほとんど実用ではなく、ただ細工の美しさを見せるために製作されたもの。引出しもついていない↓

18世紀から王侯がゲストにやってきた時に提供されていた寝室↓
政略結婚で没交渉の夫妻にも快適なように(とヴァレリアさんが説明した)二つのベッドが縦列に配置されている↓

ひときわ天井の高い音響良いボールルーム↓

こちらは室内楽が演奏された部屋↓

第二次大戦の足音が聞こえてくるような1935年、ストレーザでドイツの進出を食い止めるための会談が行なわれた↓

↑英国首相マクドナルドとフランス首相ラヴァル、そしてイタリアのムッソリーニのサインがある「ストレーザ協約」の写し↑
マクドナルドは二年後に死去、ラヴァルはフランス敗北後のヴィシー政権の幹部となり戦後に銃殺、ムッソリーニはレジスタンスに捕まって銃殺。

ボロメオ家がマジョーレ湖半に最初に築いたアローナの城が描かれた絵↓

この城はナポレオンによって壊され、石材はマジョーレ湖半の軍も通れる道をつくるのに使われてしまった。
きのう訪れた「ボロメオの巨像」はその一部始終をみていたはずである

ここまでのいかにも宮殿といった豪華な部屋は、ヨーロッパではめずらしくない。
このイゾラ・ベッラにしかない部屋は湖面に近い「地下階」にあるのだ↓

↑ボールルームで演じられたという人形劇の箱の横からその部屋に入っていける↓

小さな丸い川石を敷き詰め張りつめた空間↓

今はなくなってしまった噴水の跡↓

夏のいちばん暑い時期、湖面すぐちかくのこの部屋は昼寝に最適だったそうである(^.^)


そこからタピスリーの間をとおって
あ、変な象さん↓


有名な階段庭園へ至る。古代の世界七不思議のひとつ「バビロンの空中庭園」をイメージしたとされる↓

階段をゆっくりあがってゆくと・・・
ボロメオ家のシンボルで飾られた壁がたちあがってくる↓当主が宮殿に来られた際には、この壁の上の旗竿にボロメオ家の旗が掲げられる↓

白いクジャクが放されている↓

テラス上階へ









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ボロメオの巨像にのぼってからストレーザへ

2018-04-11 18:18:18 | イタリア
ミラノを横目に北上しマジョーレ湖畔を走る。湖面標高は二百メートルほど。アローナという小さな町に聖カルロ・ボロメオの巨像がある↓台座だけで11メートルある。日本の江戸時代初めに建てられた↓

★内部にのぼりました!こちらからごらんください

アローナはカルロ・ボロメオの出身地でボロメオ一族の重要な城があったのだが、ナポレオンによって破壊され、その石は湖畔に軍隊の通れる道を建設するのに使われたのだそうだ。この道、もうすぐストレーザ↓


かつてオリエント急行の乗客もここで一泊させられたというリゾートタウン。せっかくだから歴史ある優雅なホテルを選んだ↓




部屋はもちろんレイク・ビューを


今晩は雨もつよくなってきたし、ホテルのダイニングで夕食にしよう
みんなで好き好きにいろんなメニューを楽しもう(^.^)

アミューズにこれだけの一皿が登場↓

手前のはトマトでした

vigezzo谷からのハムとマッシュルームのコンフィ


ホウレンソウと洋ナシとアシアゴ・チーズ

※Vigezzoもアシアゴもスイスと接するイタリアの地方名

スカモルツァ(燻製チーズ)のリゾットをプロセッコ(シャンパン)で調理してピスタチオを散らす


野菜スープ 


ニョッキとムール貝


メインコース、セコンドにはお肉。アカチコリとゴルゴンゾーラのソースで
これはとてもたべきれないので予め半分の量にしてとりわけてもらいました


雨の降る日は外のレストランにはいかずにダイニングでゆっくり過ごしたい(^.^)


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クレモナの紋章、洗礼堂と鐘楼にのぼる

2018-04-11 12:12:12 | イタリア
クレモナの紋章は少し変わっている↓右側のボールをつかんでいる手は何?

注意して見ていると、街のいろんな場所に玉を持った人物が居る↓大聖堂の横壁にも

調べてみると、この人物はジョヴァンニ・バルデジオという11世紀クレモナの施政者だった人物。

手に持っているのは、三キロの金の玉。これは神聖ローマ皇帝ハインリッヒ四世がクレモナ市に税金として納めるのを求めていたもの。
バルテジオは皇帝に直談判。騎馬試合?をして皇帝を落馬させ、税金を免除させたと伝えられている。
**
洗礼堂に入る↓

洗礼堂の中にある像は、バルテジオの横に同じように玉を持つ女性がいる↓

バルテジオが手に入れた金の玉はこの年ベルタという町の女性の結婚持参金になったというから、彼女にちがいない。
洗礼堂は12世紀、日本でいえば平安時代の姿をよくとどめている。内部を見上げる↓シンプルな八角形



***
ヨーロッパで一番高いレンガ造りの塔にも登ろう↓はじめはけっこう広い階段↓

さっきのバルテジオがみえる↓




洗礼堂の頂上に天使ガブリエル↓

螺旋階段になってきた↓

着いた!とおもったら、さらに上がある↓




ここがほんとの頂上!502段、おつかれさま(^.^)


八角形の洗礼堂↓


市庁舎↓




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