*
エヴォラを出てヴィラヴィソーザへ向かう道。コルクの林がずっと続いている
世界のコルクの半分を産出しているポルトガル。
コルクの木は植えてから二十年以上経たないと収穫できない。
なんせ樹皮をぐるっと剥ぐわけだからある程度の大きさが必要なのだ。
一回矧ぐと、その後は九年ごとに収穫できるのだとか。
この木はまだ一回収穫されただけだとガイドさんがおしえてくれた。
コルクは樫の木の一種。このドングリを食べて育つ豚が「アレンテージョの黒豚」となる。
これがしばしばスペインに持っていかれて「イベリコ豚」と称されたりするそうな。
**
ヴィラヴィソーザが近づいてくると、大理石がたくさん目に入ってくる
この地域はヨーロッパで第二の大理石産出地域でもある。
ヴィラヴィソーザの古い方の城が丘の上に見えてきた
ポルトガル最後の王朝となったブラガンサ家は、十六世紀初めにこの山城から出て、平地に宮殿を建てた。
そして、1640年にスペインから再独立したポルトガル・ブラガンサ王朝最初の王=ジョアン四世の騎馬像がある。
1584年、九州のキリシタン大名たちが派遣した少年使節団が四日間滞在した。
リスボンからマドリッドへ向かうルートになる。
見学の際、思いがけない情報があった。この宮殿の書庫を管理しているサルゲイロさんは、少年使節団の新しい資料から「戦国の少年外交団秘話」という本を書き、先週まで島原へいっていたのだそうだ。
こちらもご覧ください。
↑この写真の背景に写っているペルシャ絨毯は使節団からの贈り物と考えられる。
さらに、この壁飾りも。
中国製の磁器の一部と思われる中央部分にして花で飾ってある。
四百年以上を経ても彼らの旅はこの地の記憶に刻まれている。
回廊
そこにあるロマネスク調のおもしろい彫刻
庭園側からの出入り口はマヌエル様式の門。
ブラガンサ家のモットーとかけて設置されているそうな。
ヴィラヴィソーザはまだまだ見どころがあるが、次に《手造》をする機会にチャンスをつくろう。
***
エストレモスもまた大理石の一大産地である
近くにはたくさん大理石の「ぼた山」が見られる
丘の上の旧市街が見えてきた
18世紀からの新市街にあるカフェで昼食の後旧市街へ向かう。途中にあるペロウニーニョ
頂上にマヌエル一世の紋章である地球
大理石の階段が旧市街の城壁内へと誘う
旧市街の門をくぐると、いつものことだががらりと風景が変わる
坂道の途中にある元監獄を利用したレストラン
丘の頂上にある城はポサーダになっている
すぐ前の広場に、ポルトガル史の中で敬愛される王妃・イサベルがアレンテージョの平野を背に立っていた。
この城は彼女が亡くなった場所なのだ。
「聖女」とされている彼女は薔薇を手に持っている★その逸話とは…
身分差が当然の時代とはいえ困窮する人々をに心を痛めた王妃は、ある日王宮のパンを服に隠して施しをしようと城を抜け出した。
運悪く狩りから戻ってきた王とはち合わせ「そなたが服に隠しているのはなにか?」と訊ねられた。
とっさに「王様にさしあげるバラの花を摘んできたのです」と答える。
「見せてみよ」と言われ、手を広げると…
パンではなくホンモノのバラの花びらがあふれおちた。
という奇跡の物語(^.^)
中世の塔は修復され、表面に石工の残した印が見える
内部はしんと静かで、ゆったりとした時間が流れる
イサベル王妃
奥には廃城が続いている
テラスからは闘牛場
ポルトガルの闘牛はスペインと違って牛を殺すスタイルではない。
****
スペインとの国境ちかくにある標高850メートルの崖の上にマルヴァオンの街が見えてきた。
本日はあそこに泊まるのだ。
エヴォラを出てヴィラヴィソーザへ向かう道。コルクの林がずっと続いている
世界のコルクの半分を産出しているポルトガル。
コルクの木は植えてから二十年以上経たないと収穫できない。
なんせ樹皮をぐるっと剥ぐわけだからある程度の大きさが必要なのだ。
一回矧ぐと、その後は九年ごとに収穫できるのだとか。
この木はまだ一回収穫されただけだとガイドさんがおしえてくれた。
コルクは樫の木の一種。このドングリを食べて育つ豚が「アレンテージョの黒豚」となる。
これがしばしばスペインに持っていかれて「イベリコ豚」と称されたりするそうな。
**
ヴィラヴィソーザが近づいてくると、大理石がたくさん目に入ってくる
この地域はヨーロッパで第二の大理石産出地域でもある。
ヴィラヴィソーザの古い方の城が丘の上に見えてきた
ポルトガル最後の王朝となったブラガンサ家は、十六世紀初めにこの山城から出て、平地に宮殿を建てた。
そして、1640年にスペインから再独立したポルトガル・ブラガンサ王朝最初の王=ジョアン四世の騎馬像がある。
1584年、九州のキリシタン大名たちが派遣した少年使節団が四日間滞在した。
リスボンからマドリッドへ向かうルートになる。
見学の際、思いがけない情報があった。この宮殿の書庫を管理しているサルゲイロさんは、少年使節団の新しい資料から「戦国の少年外交団秘話」という本を書き、先週まで島原へいっていたのだそうだ。
こちらもご覧ください。
↑この写真の背景に写っているペルシャ絨毯は使節団からの贈り物と考えられる。
さらに、この壁飾りも。
中国製の磁器の一部と思われる中央部分にして花で飾ってある。
四百年以上を経ても彼らの旅はこの地の記憶に刻まれている。
回廊
そこにあるロマネスク調のおもしろい彫刻
庭園側からの出入り口はマヌエル様式の門。
ブラガンサ家のモットーとかけて設置されているそうな。
ヴィラヴィソーザはまだまだ見どころがあるが、次に《手造》をする機会にチャンスをつくろう。
***
エストレモスもまた大理石の一大産地である
近くにはたくさん大理石の「ぼた山」が見られる
丘の上の旧市街が見えてきた
18世紀からの新市街にあるカフェで昼食の後旧市街へ向かう。途中にあるペロウニーニョ
頂上にマヌエル一世の紋章である地球
大理石の階段が旧市街の城壁内へと誘う
旧市街の門をくぐると、いつものことだががらりと風景が変わる
坂道の途中にある元監獄を利用したレストラン
丘の頂上にある城はポサーダになっている
すぐ前の広場に、ポルトガル史の中で敬愛される王妃・イサベルがアレンテージョの平野を背に立っていた。
この城は彼女が亡くなった場所なのだ。
「聖女」とされている彼女は薔薇を手に持っている★その逸話とは…
身分差が当然の時代とはいえ困窮する人々をに心を痛めた王妃は、ある日王宮のパンを服に隠して施しをしようと城を抜け出した。
運悪く狩りから戻ってきた王とはち合わせ「そなたが服に隠しているのはなにか?」と訊ねられた。
とっさに「王様にさしあげるバラの花を摘んできたのです」と答える。
「見せてみよ」と言われ、手を広げると…
パンではなくホンモノのバラの花びらがあふれおちた。
という奇跡の物語(^.^)
中世の塔は修復され、表面に石工の残した印が見える
内部はしんと静かで、ゆったりとした時間が流れる
イサベル王妃
奥には廃城が続いている
テラスからは闘牛場
ポルトガルの闘牛はスペインと違って牛を殺すスタイルではない。
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スペインとの国境ちかくにある標高850メートルの崖の上にマルヴァオンの街が見えてきた。
本日はあそこに泊まるのだ。