旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ヴィラヴィソーザの天正少年使節、大理石のエストレモス

2014-04-10 16:21:25 | ポルトガル

エヴォラを出てヴィラヴィソーザへ向かう道。コルクの林がずっと続いている

世界のコルクの半分を産出しているポルトガル。

コルクの木は植えてから二十年以上経たないと収穫できない。
なんせ樹皮をぐるっと剥ぐわけだからある程度の大きさが必要なのだ。
一回矧ぐと、その後は九年ごとに収穫できるのだとか。
この木はまだ一回収穫されただけだとガイドさんがおしえてくれた。

コルクは樫の木の一種。このドングリを食べて育つ豚が「アレンテージョの黒豚」となる。
これがしばしばスペインに持っていかれて「イベリコ豚」と称されたりするそうな。

**
ヴィラヴィソーザが近づいてくると、大理石がたくさん目に入ってくる



この地域はヨーロッパで第二の大理石産出地域でもある。

ヴィラヴィソーザの古い方の城が丘の上に見えてきた

ポルトガル最後の王朝となったブラガンサ家は、十六世紀初めにこの山城から出て、平地に宮殿を建てた。

そして、1640年にスペインから再独立したポルトガル・ブラガンサ王朝最初の王=ジョアン四世の騎馬像がある。


1584年、九州のキリシタン大名たちが派遣した少年使節団が四日間滞在した。
リスボンからマドリッドへ向かうルートになる。


見学の際、思いがけない情報があった。この宮殿の書庫を管理しているサルゲイロさんは、少年使節団の新しい資料から「戦国の少年外交団秘話」という本を書き、先週まで島原へいっていたのだそうだ。
こちらもご覧ください。

↑この写真の背景に写っているペルシャ絨毯は使節団からの贈り物と考えられる。

さらに、この壁飾りも。

中国製の磁器の一部と思われる中央部分にして花で飾ってある。

四百年以上を経ても彼らの旅はこの地の記憶に刻まれている。

回廊

そこにあるロマネスク調のおもしろい彫刻

庭園側からの出入り口はマヌエル様式の門。

ブラガンサ家のモットーとかけて設置されているそうな。

ヴィラヴィソーザはまだまだ見どころがあるが、次に《手造》をする機会にチャンスをつくろう。
***

エストレモスもまた大理石の一大産地である

近くにはたくさん大理石の「ぼた山」が見られる

丘の上の旧市街が見えてきた


18世紀からの新市街にあるカフェで昼食の後旧市街へ向かう。途中にあるペロウニーニョ

頂上にマヌエル一世の紋章である地球

大理石の階段が旧市街の城壁内へと誘う


旧市街の門をくぐると、いつものことだががらりと風景が変わる

坂道の途中にある元監獄を利用したレストラン

丘の頂上にある城はポサーダになっている

すぐ前の広場に、ポルトガル史の中で敬愛される王妃・イサベルがアレンテージョの平野を背に立っていた。

この城は彼女が亡くなった場所なのだ。

「聖女」とされている彼女は薔薇を手に持っている★その逸話とは…

身分差が当然の時代とはいえ困窮する人々をに心を痛めた王妃は、ある日王宮のパンを服に隠して施しをしようと城を抜け出した。
運悪く狩りから戻ってきた王とはち合わせ「そなたが服に隠しているのはなにか?」と訊ねられた。
とっさに「王様にさしあげるバラの花を摘んできたのです」と答える。
「見せてみよ」と言われ、手を広げると…
パンではなくホンモノのバラの花びらがあふれおちた。

という奇跡の物語(^.^)

中世の塔は修復され、表面に石工の残した印が見える

内部はしんと静かで、ゆったりとした時間が流れる


イサベル王妃


奥には廃城が続いている

テラスからは闘牛場

ポルトガルの闘牛はスペインと違って牛を殺すスタイルではない。

****
スペインとの国境ちかくにある標高850メートルの崖の上にマルヴァオンの街が見えてきた。

本日はあそこに泊まるのだ。

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アズレージョ絵付け体験をしてからエヴォラへ

2014-04-09 01:19:52 | ポルトガル
パルメラのポサーダでの朝食で出たトマトのジャム意外に?美味しかった。カステラの原型であるパン・デ・ロー
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バスでものの15分でタイル工房があるキンタ・ド・アンジョへ到着。ここは運転手さんも子供のころ学校で絵付け体験に来たという。はじめに陶器とタイルの制作について説明してもらいタイル絵付けの部屋へ長テーブルひとつでちょうど15人が座れた。焼く前の作品がこちら出来上がりは一週間後のお楽しみ。リスボンのホテルへ届けてくれることになっている。

***
12時半に、アレンテージョ地方の中心の街エヴォラに到着。城壁を入ったところにある新しい設備のホテルを選んだチェックインには早いランチの時間。いろいろ注文してみたが、このアレンテージョ地方のポークは脂がのっていておいしいコリアンダー(いわゆるパクチーです)の風味は慣れない日本人が多いが、ここで食べるとわりに気にならない。
大きな蛸とトマトとの煮込み

****
ゆっくり食事を終えて部屋に荷物を置き、地元のガイドさんと徒歩観光スタート。

エヴォラは14世紀建造の四キロの城壁に取り囲まれているが、市内にはローマ時代の城壁も一部を見ることが出来る
この城壁は紀元後四世紀頃かと推察されるそうだ。それ以前のローマ帝国は城壁を築く必要がないほど平和だった。 外敵が侵入するようになり、それを防ぐ壁を作ることになった際、壊された民家の壁が発見されている。ここに見えるのはその外壁のフレスコ画の赤色

19世紀に建造された市庁舎は、この時代らしくガラスと鉄骨の天井地下にはしかし、ローマ時代の大きな浴槽の跡がある
※このローマ浴槽と水のルートについてはまた書きます

さらに丘を上がっていくと、通称「ディアナ神殿」の柱が残されている

これは実はアウグストス帝に捧げられた神殿であったらしい。

丘の上に建つ12世紀からの大聖堂ここは1584年に天正少年使節団が訪れ、今でも使われているパイプオルガンを弾いた記録が残されている 気になったのは豪華なバロックの祭壇に安置された、とてもバロック時代とは思えない聖母マリアの像妊婦姿のマリアは制作されたと思われる15世紀当時には大事にされなかった(なんせ処女マリアの筈なのですから)が、バロック時代になってからこのように飾られたそうな。

大聖堂の屋上に上れる時間にぎりぎり間に合ったとなりの回廊も見下ろせる降りて行ってみると、ゴシック初期の彫刻がおもしろい回廊の四隅には余人の福音書記者が設置されていた

最後に訪れたフランシスコ教会では、横の入り口から入る骨の礼拝堂へも入場した

*****
ホテルへ戻りひと休み。

夕方になって、さっきの観光で訪れなかったエリアにある水道橋を見に行くことにした。現在見えるものは1537年頃に、ローマ時代に建設されたルートをなぞって建設された。
もともとは18キロあったそうだが、うち9キロが現存している。


壁を越えて市内へ入る水道橋

この水のルートを追いかけてあるいてみると、堅牢な構造がさまざまに利用されているのがおもしろいそして、たどり着いたは前出の市庁舎なるほど、この地下にあるローマ浴場に水を供給していたのである。

水は、その後も街の外へむかって導かれていく。水道が曲がるところに設置されていた構造そして・・・ジラルド広場の噴水もまた、この水道橋の水によって可能になったのである。アーケードが美しい広場と噴水

この地方はヨーロッパでも有数の大理石の産地。そのピンク色が美しい石をつかった現代アート?翌日地元のガイドさんに何を表していたのか訊ねると、「地母神」とでも訳せそうなものを表しているのだとか
この広場の聖アントニオ教会方向に向かうところで、水道管はぷつんと途切れていた
※この水道橋についてはまた別に書きたいと思います
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丘の上のパルメラの街

2014-04-08 16:16:21 | ポルトガル
リスボンからテージョ川を渡り、遠くパルメラの街が見えてきた丘の上の城跡には、修道院を利用したポサーダがある。「ポサーダ」とは、スペインのパラドールにあたる由緒ある場所を利用した雰囲気あるホテルチェーンであります。

バスを降りて城門をくぐりようやくポサーダの建物がみえた回廊はガラスがはめられていて、ロビーとレストランとして使われている。四月、藤の花を愛でながら昼食
二階の回廊、部屋はかつての宿坊中庭を見下ろす

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ガイドさんと共にパルメラを歩く。ポサーダのすぐちかくには1755年の大地震で倒壊した教会の名残城塞の部屋の地下には、かつてイスラム時代の建物の基礎がみつかっている。丘の上の楼閣からこぢんまりとした赤い屋根の集まるパルメラの街が見渡せる 城跡にもうひとつある15世紀頃の教会内部はがらんとしているが、ひとつだけかつての騎士の墓が壁に残されている。この装飾はまさに「マヌエル様式」ポルトガルの輝ける大航海時代の王の名前にちなんだ様式は、船のロープなどをモチーフとする。

城を降りて街のいちばん高いところにあるペドロ教会こちらは18世紀頃と思しき青一色のアズレージョと金で装飾されている さらに街へはいると、「ペロウリーニョ」と呼ばれる石の柱これは、罪人をつないで見せしめにしたり、お上からの布告を告知したりした場所になる。
すぐちかくの小さな教会の壁こちら黄色が混じるアズレージョは青一色のモノより古く17世紀頃と想定される。

坂の道にはバルコニーがあり、見知らぬ我々を不審げに見下ろす住人も 19世紀頃にはこれらファサードが装飾されたようだ


先週は雨ばかりだったそうだが、今日は初夏の様な陽射し、紫の花の下でちょっと休憩しましょ
1ユーロのビール

ポサーダに戻る入口のこの十字架はサンチャゴ騎士団のものらしい。ここはこの騎士団が任されていたのだそうだ。

夕暮れてゆく中庭
眼下に街の灯りがきらめいていた
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《手造の旅》ポルトガル~リスボン到着

2014-04-07 05:02:42 | ポルトガル
羽田空港を夜出発する便でパリへ。午前四時に到着しターミナルを移動。七時ごろ、朝のざわめきのFターミナル

パリからリスボンまで二時間強のフライトタイム。正午少し前、「気温17度・晴れ」の機内アナウンス。

旋回する窓から大西洋がひらける。テージョ川河口にかかる長い橋がみえた。

★ヴァスコ・ダ・ガマ橋
資料によると長さ17.21㎞。ヨーロッパ最大だそうな。1998年、ヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達してからちょうど500年。この年に開催されたリスボン万博にあわせて開通。

少し上流にサンフランシスコの金門橋のような赤いつり橋がかかっている。

★4月25日橋
2277m。1966年開通した時には、当時の独裁者サラザールの名前がつけられていたが、1974年4月25日にその体制を覆した通称「カーネーション革命」が起こると、その日の名前に代えられた。
右側の少し向こうの岸辺にリスボンの旧市街丘の上の森が見える。

橋の近くを飛ぶと、「発見の記念碑」とその向こうに「ベレンの塔」まできれいに見下ろせた。

この旅で、一週間後に訪れる予定の場所である。

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空港から今日の宿泊であるパルメラへ向かう。
リスボン市外の外郭を通る時18世紀頃の水道橋を通る そしてすぐに、さっき飛行機から見えた赤い橋が近づいてくる。すぐ近くに巨大なキリスト像があるのが分かるだろうか「4月25日橋」

この橋が架かるより前・1959年からこのキリストの巨像はあった。高速道路を降りて市街地から見上げる間近からはさらに高く感じる。


入場口4ユーロ。券売機は最大20ユーロ札までしか受け付けない。

キリストの足元像自体の高さは25メートル。台座を合わせて82mになる。


さっき渡ってきた4月25日橋が美しい

・・・パルメラの修道院をつかったホテル、いわゆるポサーダには午後一時過ぎに到着した。※明日の日記に続く
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