旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

クルネガラの巨大仏を横目に

2017-12-29 15:45:12 | スリランカ

クルネガラにはゾウの形をした巨大な岩山がそびえている。
その姿に目を凝らすと、何か白いものが乗っている↓

ほとんどガイドブックには載っていないが、見る度にびっくりさせられる。
巨大な仏像だ↓

ガイドさんは「新しい、べつにたいしたものじゃない」とわりに冷淡なのだが、観光客としてはすなおに興味がわいてくるじゃありませんか。
しらべてみると、完成は2003年。確かにとても新しいものではある。
ネットの写真を見るとしかし、かなり行きたくなる場所になってきた※ここに引用しませんが(笑)

高さは二十メートルあるようだ。

なぜ?あそこに建設されたのだろう?
ちょっと歴史をしらべてみた。

スリランカの王朝首都は紀元前から一千年以上もアヌラダプーラにあった。
だが、南インドの王朝の侵略をうけて1017年にポロンナルワに遷都。
続く時代にも南インドの王朝は南下侵略を続け、シンハラ人の王朝はポロンナルワも失い、さらに南にあるいくつもの町に遷都した時代がある。

このクルネガラにはパラクラマ・バフー三世が1287年に都をおいて、
約半世紀の間三人の王がここからシンハラ人の王国を支配したのだった。
シンハラ人の王の証である「仏の歯」もまた、このクルネガラにあった時代があるのだ。
※現在は最後の王朝があったキャンディにあるものです

この歴史から、アヌラダプーラとポロンナルワには遺跡と呼べるものが数多く残されており多くの観光客も参拝客も訪れる。
それに比べこのクルネガラは、ずっと大都市であり首都でもあったのに、歴史的な遺構は少ない。
地元の人々から町の歴史を象徴するようなモニュメントを建てようという動きは、1960年代にはじまっていた。

それがかたちになったのは、1997年。クマラトゥンガ大統領が巨大仏像のプロジェクトに対し、街を見下ろすゾウ岩の上の土地1エーカーを使える許可を出したのだった。
コンペが行われ、2001年にはじまった建設はふもとから一キロ半の資材搬入道路を建設した。
岩を平らに削り、風速140メートルにも耐えられる基礎をつくって、土台から約三十メートルの巨大座像は2003年に完成した。

・・・この像へ行く日本のツアーはひとつもない。バスや車でどこまで上がっていけるのかも分からない。
だが、いつか(いつ?)、あの仏像の元からクルネガラの町を見晴てみたいと思った。

****
クルネガラは現在でも人口158万の大都市。
19世紀大英帝国の支配下においては1864年にはじめてコロンボ⇔クルネガラ間100㎞の鉄道が開通した町でもある。
↓今でもそれを記念する機関車が駅近くになにげなく置かれている↓


この鉄道は当時栽培していたコーヒーを産地から港まで運び出すために敷設されたものである。

あれから百五十年、未だにまったく電化されてはいないのだが。







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「ホッパー」を食べて出発、「ヘラパ」をつまんでから「ゾウの孤児院」へ

2017-12-29 12:56:08 | スリランカ
スリランカに来ないと食べられないこの「ホッパー」↓

スリランカ人にとってはソウルフード=故郷の味のようだ。
⇒※こちらにもう少し書きました

同じ材料を使っているが、見かけは一口サイズ麺のような「string hopper」↓


ヨーロッパやアメリカの朝食では見られないメニューがいろいろ用意されている。
この「ドーッサ」というのは南インドのクレープ↓

鉄板に記事を流してからシェフがしばし消えてしまい、ちょっと不思議に待つ我々
もどってきたころには、生地は焦げてしまってやりなおし。
こうなることはわかっているだろうに、ねぇ。

「ホッパー」とこの「ドーッサ」、
生地を焼くところは似ているが、生地を構成している材料が違う。
「ドーッサ」は米粉は使わず、小豆大の白い豆をつかうのだそうだ。

出来上がっていたこの生地に↓

カレー味のマッシュポテトを巻いたりするんです

↓こちらは「ウプマ」南インドとスリランカでセモリナ粉をベースにして練ったもの↓

これだけではあまり味がないお粥みたいなもの。

↓モルジブ・フィッシュのカレー↓

モルジブではカツオの加工品が大きな輸出品になっている。
カツオ風味のカレーです(^.^)

さすがスパイスの国、調味料は豊富に用意されております。


朝からどんどん食べてしまう。

空港近くの自由貿易地区は繊維メーカーをはじめ、たくさんの工場があって多くの人々が働いているのが感じられる

村にはこんなノボリがよくたっているとおもったら・・・今回も選挙なのだそうだ↓

★いつもスリランカの選挙の時期にいきあうなぁ、と思っていた。
調べてみると、北海道より少し小さめの国土に二千二百万人ほどの人口。
そこに国会議員は二百二十五人。対人口を考えれば日本とそれほど違わないか、むしろ少ない。

しかし、全国が25の県に分けられていて、それをまた9つの州にして議会がある。
これは非効率・二重行政ではないかしらん。
日本で言えば、関東や関西といった地域でも議会があるようなものだ。
だから、いつ訪れても選挙ばかりやっているように思えたのかしらん。
**

★いつもお茶休憩をするアンベプッサで、スリランカらしいお菓子をみつけた↓

⇒「ヘラパ」についてこちらに書きました

午前十一時頃、ピンナワラの「ゾウの孤児院」に到着。はじめは孤児を助ける施設だったので、今でも「オルフェナージ(孤児院)」と呼ばれるが、今はここで生まれるゾウの方が多くて、現在八十八頭にもなっている。
入場料おいくらぐらいと思います?
実は国籍によって二種類に分かれている↓下の写真で、一般外国人は2,500ルピー(約二千円)、「SAARC」諸国は700ルピー(約五百六十円)と表示が見える↓

SAARC諸国の内訳は下記の通り↓

発展途上国においては、こういう措置も必要。モノに定価はない、入場料も貧富によって格差があってよい。

小象が鎖につながれていた↓※この話は別に書きました


今の時間は、ほとんどのゾウは川で水浴びしている、いってみよう
村の道をあるいていると、大きな「おとしもの」もあるので気をつけましょう↓犬のモノとはひかくになりませんから↓


ヤシの実ジュースを売っていた↓

地元の子供たちはもちろん大好き↓

飲み終わった後に実を割って、内側をこうやってすくって食べる↓これが「ナタ・デ・ココ」であります↓


川を楽しむゾウさんたち↓

でも、以前のように観光客のすぐ近くにゾウをこさせないようにしている。
やがて十二時になり、川から園へもどるタイミングが、いちばん身近にみられるチャンス↓

係り員は止めるが、バナナ売りは商売を止めない。
鼻の良いゾウさんたちがそこへ、んょ~んと鼻をのばす↓

こわがらなくても、噛まれません。鼻には歯はついてませんから(^.^)


★ゾウの行進2017、12月版動画、こちらからごらんください










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スリランカ到着、入国書類で

2017-12-28 14:14:54 | スリランカ
スリランカ入国の際に、台湾パスポートの方が止められた。
VISAにかわるETAと呼ばれる電子手続は日本でちゃんと完了していたのだが、何が足りないの?

入国係官によると台湾パスポートの方はETAに加えてもう一枚の書類が必要になるという。
そんなの日本で聞いてなかったなぁ…

ともかくも書類をもらって、事務室へ行く。
と、ちょっとえらい係官が「写真は?」と言う。
えぇ?そんなのきいてません、持ってません。

係官はなんの表情も変えず、パスポート本体をコピーしてそれをホッチキスで書類に止めてくれた。
「はい、完了」
あ、よくあることのようですね。
なんの手続追加料金も課さずにさっと手続してくれて感謝です。

空港から二十分ほどのホテルへ到着


到着後にバスで何時間も走る行程になっているツアーもあるが、ハイウェイを使うルートでない場合スリランカの道はまだまだ暗いし快適ではない。お勧めできません。




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ジャヤヴァルダナ・センター、ギャラリー・カフェ

2017-01-25 17:46:12 | スリランカ

「ネゴンボの空港が改築中なので、出発旅客はフライト時間の五時間前(!)に空港に来るように」というアナウンスがあった。
なので、コロンボでの時間は、予定していたよりも時間は少なくなってしまった。(こんな事を突然発表されても困ってしまいます)


それでも、訪れておきたいと選んだ二か所が表題の場所。
スリランカの国会議事堂を見学した後、「ジャヤヴァルダナ・センター」に向かった。ここはもともとジャヤヴァルダナ氏の父方ファミリーが持っていた家なのだそうな。そういえば、昔の高級住宅の雰囲気が感じられる↓



本館には、彼が外相、財務相、大統領として残していったいろいろな業績が展示されている。スリランカが独立を果たす署名をした時に使った椅子と、その場の写真も↓



そして、別館「日本館」が、我々の為に開けられる⇒ 


ここには、1951年の日本が主権を回復したサンフランシスコ条約をはじめとして、彼と日本とのかかわりを濃厚にとりあつかっている。


★戦後日本の取り扱いに、重要なムード転換を与えた演説。⇒こちらに書きました


※「未来世紀ジパング」でとりあげられたものがyoutubeにありました


 吉田茂夫妻との写真↓



 



1999年に広島を訪れた際の写真↓


*****
建築家ジェフリー・バワのオフィスだった場所がカフェ・レストランとなっている「ギャラリー・カフェ」


  
食器もナプキンもトータルでデザインされている↓


昨年と変わっていなかったセットメニュー。カボチャのスープは、かぼちゃをそれほど好きではない小松でも、たいへんおいしい⇒
ベジタリアンにもOKのブリトー⇒

併設されている小さなショップには、シンハラ文字をデザインしたテーブルクロスやマグが置かれている↓

「カエルが笑ったような文字」って、たしかにそう見えますね(^^)↓


***
空港へは四時間前に到着、それでも十分すぎる時間であった。
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スリランカの国会議事堂を見学

2017-01-25 11:00:03 | スリランカ

 はじめて見た時、十円玉の裏・平等院鳳凰堂を思い出した。


 世界一長い名前の首都。スリ・ジャヤヴァルダナプーラ・コッテにある国会議事堂である。


 


※こちらに2015年はじめて見た時の写真を載せています


 コロンボから十五分ほどで着くこの町に、どこか日本的な雰囲気を感じさせる国会議事堂が完成したのは1982年4月19日のこと。


それまで、宗主国イギリスが建設したヨーロッパ風の建物を国会議事堂としてつかっていたのだが、シンハラ人王朝の首都だった古都コッテに遷都し、スリランカ人自身の文化をも体現する新国会議事堂の建設を決めたのである。


建設委員会は1972年に発足。大統領J・R・ジャヤヴァルダナ氏が、建築家ジェフリー・バワに依頼。実際に建設を担当したのは日本の三井建設。建築資材も多くが日本から輸入されている。日本的なのはそのせい?


いやいや、そうではなく、建築家バワのコンセプトのひとつが、「アジアのどの国も親近感をもってもらえるような建物」であったからだろう。 一方で、木工家具はすべてスリランカ人の得意な彫刻で装飾されている。


 


 今回の旅企画を進めている時期に、偶然国会議事堂の内部を紹介している旅番組を見た。


国会議事堂の建築というのは、どんな建築家にとってもこのうえない名誉に違いない。建築家バワがどんなふうにそれを体現しているのか、是非見ていただきたい。


手配会社を通じてオーダーすると、見学の料金は無料だがメンバー全員のパスポートデータが必要だという。申請して、許可を得る必要がある。 ほんの十年前は内戦をしていた国なのだからそれは必要なプロセスなのだろう。


現地に到着して、 内部の写真が撮れないのは予想していたが…


「ぜんぶ、おいていってください」


なにもかもの持ち込みが禁止。メモをとるためのペンと紙さえも許可されなかった。


 案内する専任ガイドさんもいない。我々は、先導してくれた若い兵士に、いろいろ質問しながらの見学となった。


入ってすぐに、旧国会議事堂からこの議事堂に至る歴史的な流れが説明してあった。そこで、小松が気になったのがMACEと呼ばれる「王尺」の様な飾り立てられた棒。英語版案内の紙のトップにも描かれている↓




★1949年、イギリス下院(House of commons)が贈ったもの。※自治領セイロンとして独立した翌年。重さ28ポンド(約12.7キロ)、長さ48インチ(約1.22メートル)。象牙の軸に銀と十八金、ブルーサファイアで装飾されている。

 ひと目見て、似たものを、かつてスコットランド議会を見学した時に見た記憶がよみがえった。 スコットランド議会は1707年に停止された後、1999年に復活。英国女王がその権威の印としてMACEを与えた。それが暫定議会に置かれていた当時、見たことがあった⇒※こちらのページ中ほどに、その当時MACEの置かれていた写真があります。


MACEとは、もともとは王などの行く道を露払いする者が持つ武器の一種だった。それがだんだんと儀式化して、このような飾られた棒に変化したもの。


**


最上階までエレベーターで上がると、議場観覧席=記者などが入る席の近くにでる。議場に入る廊下が雨風の吹き込む場所だったのはびっくり。屋根と壁はあるものの、屋外の風を感じられるようにつくられている。バワは英国式とは徹底的に違う建築にしようとしている。


扉をあけて議会を見下ろす場所に入る。議員席の配置は、英国風の二大政党が向かい合うスタイルだった。日本のような扇方ではない。現在ではほとんどの国の国会が、扇形を採用しているにもかかわらず、スリランカはやはり英国の影響を強くうけている。


議長席の前にMACEが鎮座するための専用台が置かれている。


議場の天井は目を見張るような銀の板が何千枚もぶら下げられている。バワ建築のガイドブックによると、これはバワの母がいつも持っていたハンドバッグがモチーフになったとのこと。その天井の真ん中に、バワの友人ラキ・セナナヤケのデザインした椰子の木のようなデザインの金色のシャンデリアが下げられている。※⇒こちらにその写真が見ていただけます


※⇒国会議事堂のHPはこちら



今日も午後から審議があるという事で、それぞれの席に資料を配るスタッフが忙しそうにしていた。一枚の写真も、一遍のメモもとることを許されなかった我々は、一階に降りてきて、お土産物屋で何か解説書でもないかと訊ねた。出てきたのはA4二つ折り四ページの解説リーフレット20ルピーのみ。まだまだ観光の場所として人々を招き入れる体制には至っていない。
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