旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ゴールの旧市街を見学

2017-01-24 19:00:00 | スリランカ

午後三時半になって、ライトハウス・ホテルを出発した。 雨もパラつく、あいにくのお天気だが、城壁にとりまかれた世界遺産・ゴールの旧市街を少しはみておかなくては。

昨年、試行錯誤した★「海洋考古学博物館」へ↓入口に巨大な碇が展示されている。建物自体は東インド会社の倉庫だった場所。

 

千年以上栄えてきたゴールの港には、沈んだ船が眠っている。これを研究する「海洋考古学」は、ここ二十年ほどはじまったばかり。新しい発見も次々にある。地上の遺跡以上に、そのままの形で遺されたものは多い。

★船に積まれていたたくさんの壺や甕は、ばらばらになって海の底に沈んでいる。それらを引き上げて、もういちど元の形に復元すると製造地や用途が判明する。たいへんだけれど、おもしろい作業だ。↓これは、ペルシャでつくられた頑丈な石の甕。三世紀から七世紀のものと考えられ、中にはミヒンタレーの病院で使うため薬を運んでいたのではないかとされている↓

↓より多いのは、「マルタヴァン・タイプ」と呼ばれる陶器の甕。より汎用性のあるもので、現ミャンマーのマルタヴァンでつくられてたとされている↓

 ※こちらから⇒昨年訪れた時の写真日記をごらんいただけます

★★★中国の海洋提督・鄭和がのこした三か国語による碑文がおもしろい↓  

 ★鄭和について⇒こちらにもう少し書きました

●コンク貝は幸福のシンボルとして人気があったのだそうだ⇒

★1659年7月2日にゴールの港で難破したオランダ船が復元されている↓

 

↑写真で後ろに写っている大砲は、引き上げられたホンモノ↑

****

城壁には今でも灯台が建てられている↓

雨の切れ目を歩くと、インド洋の湿った暖かい風が心地よい↓

世界遺産の街といっても、住民は普通の生活をおくっている。まだまだ素朴なこの雰囲気、失われないでいてほしいもの↓

いちばん頑丈につくられた砦↓

*****

夕食は昨年と同じ「フォート・プリンタース」。ここは印刷物をつくっていた場所だという↓

●アミューズはガスパチョみたいなスープ⇒

チョイスのひとつ●まぐろの刺身。漬け、ですな⇒

●カジキのグリル⇒ 

●ロブスター⇒

足の下を、なにかが動いているとおもったら・・・↓

雰囲気のある小さなホテルでもあります↓

***2015年に泊まったアマンガラの前からバスに乗りライトハウスへもどる↓

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ライトハウス~朝から午後

2017-01-24 11:38:00 | スリランカ

ゴール、ライトハウスホテルの朝。昨夜の雨は止んでいた。

晴れていたら夜明けに旧市街へ行くアイデアがあったが、それほど天気がよくないようだ。

皆さんもゆっくりしたい雰囲気だったので、おもいきって午後三時半までホテルに滞在することにした。定評あるアーユルヴェーダを基調とするマッサージも楽しんでいただけるように、日本を出る前から予約を入れていた。※でも、この枠がおもうほどとれないんです・・・

**ホテル内を散歩するだけで楽しい。スィート・ルームのある廊下↓

ここのスィートの名前は特徴がある↓ 「FA HSIEN」とは誰?

FA HSIEN とは四世紀末から五世紀を生きた中国は東晋の僧「法顕」のこと。

中国本土の仏経典が不十分で不正確な事を嘆き、西暦399年に今の西安を出発。すでに六十四才だったそうだ。インドからスリランカへ至り、六年滞在。あしかけ十二年におよぶ大旅行を成し遂げ、日本語では「仏国記」と訳されている旅行記を書いた人物。 

もうひとつのスィートは↓スピルベルゲンという名前がつけられている

Joris van Spilbergenは17世紀はじめのオランダ人。つまり、東インド会社の最初期航海者の一人である。

1602年に当時のカンディ(キャンディ)国王と会談し、貿易の可能性について話し合ったとされている。

このホテルの建築家 ジェフリー・バワが選ぶ人物は、道を求めて旅をした人物。

***昨夜暗かった螺旋階段は、朝の光で違った表情をみせてくれている↓

バワの友人彫刻家、ラキ・セナナヤケの金属作品はスリランカに攻め入ったポルトガル人がシンハラ人と戦うう様子。火を噴く大砲も見える

 

頂上で笛を吹く王は、ラキ・セナナヤケ本人の姿をしているそうな↓

ラキ・セナナヤケの作品は繊細ではない。近寄ってみるとその「雑」とも見える荒々しさがわかる。三十年ほどを経て、そろそろ修復も必要かもしれない→

***ロビーにあがる

朝食はインド洋を見晴らすテラスも気持ち良い↓

新鮮なフルーツをたくさん食べて、ホッパー(アーッパ)↓をつくってもらって

紅茶と一緒に、甘いペイストリーを↓

紅茶ポットに隠れたのは・・・

この作り付けのテーブルは、よくみるとなかなか苦労しているのが分かる↓

↑バワとしては、どうしてもここにテーブルをつくりたかったのだろう。しかし、テーブルとちょうどよい位置に椅子をおくことが、つくりつけの椅子ではむずかしい。それではと、引っ張り出す小テーブルを考えたのだろう。バワ自身が大男だったから、ここに座るのはなかなか難しかったかもしれないが↑

****朝食を終えて、テラスで過ごす時間。こういう時間を過ごすために生きてきたのかもしれない↓

小松が資料をひらいていると、そこへガイドのマーティンさんがやってきた。「日本語で、これ、どう説明するといいかな?」と、ちょっとした勉強会。いいことですね(^^)↓

*****

午前10時過ぎ、そろそろ予約してあった最初のSPAの時間だ。SPAのビルは、客室棟から少し離れてた平屋の建物になっている↓

みなさん、楽しんでいただけるでしょう↓

 

 

 

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古都カンディ(キャンディ)からゴールのライトハウスへ

2017-01-23 23:11:11 | スリランカ
**翌朝、小雨を部屋から眺める↓



 今日も引き続き結婚式の地元の方々。男性の民族衣装が独特↓




***仏歯寺を見学


ここは政教一致のキャンディ王朝の王宮でもあった場所。


1815年イギリスへ政権を譲り渡す調印式が、ここで行われた。この屋根の下がその場所↓



精巧な彫刻が施されている↓



イギリスがカンディ王朝の主権をゆっくり引きはがしてゆく過程は、観光旅行であまり説明されない。 しかし、イギリスに対する抵抗を象徴するこういった記念碑・像のことは↓



小松としてはやはり知っていただきたいのです↓



★昨年訪れた時に調べて書いたものを⇨こちらから読んでいただけます


**


カンディのマーケットを、今年もごらんいただいた。


多様な米はスリランカの主食である↓



トマトも唐芥子も、もとはといえば南米原産だけれど、おいしそうにそだっております↓




****


スリランカは世界的な宝石の産地。ダイヤ以外はなんでもとれるとか。ラトナプラ(そのまま「宝石の街」という意味)近郊では、こんな風に採掘がおこなわれている⇒再現図

今回、ピンクとオレンジの間の色をしたサファイアの存在をはじめて知った。


←これについて→こちらに書きました



生地屋さんへも寄る
インドのサリーなんてなかなか着る機会がない。買わなくてもお店の人が選んで試着させてくれる。それぞれの似合う色を上手に選んでくれるんです。お似合いですねぇ(^^)

******
カンディ(キャンディ)のペラデニア植物園は、もともと王室のための場所だった。王室といってもそれは、イギリスの王室なのだが。

雨模様で、地元のみなさんもランチの場所に苦労して、こんなふうにしている方々も↓手で食べるのがふつうなんですね↓



お茶のお店へも寄った↓今回の行程で、よくばりきれなかったのが、お茶の産地ヌワラエリアへ行く事。高原のティー・ファクトリーを改築したホテルへは、やはりゆっくり滞在したい。別の機会に企画することにします。二兎は追いません(^^)


*******
夕暮れてきたハイウェイで何西岸の古都ゴールへ向かう。日本の援助で建設されたので、やはり日本的↓



ライトハウスへ到着。騒々しい一般道に面した入口から、この階段をのぼると、インド洋をみはらす別世界となる↓


部屋も開放的↓





夕食はダイニングで

今日、お誕生日を迎えた方があった。亡くなったお父様の年齢を超えられたとのこと。感慨深い日を、この場所でご一緒することが出来て、光栄です↓


*********
夜、ホテルの敷地内を散歩していると、ホテルのスタッフが何やら手のひらに包んで大事そうに運んでいる。声をかけるとそれは、ちいさなちいさなシマリスだった。「巣から落ちちゃってたの。元気にしてもとへもどしてあげる。」↓




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スパイスガーデンを見てから、キャンディ(カンディ)へ

2017-01-23 10:31:52 | スリランカ

 シンハラ人最後のキャンディ王朝最後の首都。日本語では「キャンディ」なのだが、もともとの呼び方は「カンディ」の方が近いようだ。食べ物の「ホッパー」がもともとは「アーッパ」であったように、英語化されて、実質的に別の名前がついてしまう事は多い。 逆に西洋のクッキーがスリランカのKOKISコキスになってしまったものもあるし。 名前が変わると、そこからまた別のモノへの変化がはじまる。 余談でした。


 **


途中、スパイス・ガーデンに立ち寄る。上手な日本語で分かりやすく説明してくれる↓手に持っているのはカカオ↓



いつもおもしろとおもうのが★ナツメグとメースが同じ植物の実のちがう部分だということ↓


下がそのナツメグの実。種を覆っている赤い網状のものがメースの素。そして種を割って出てくるのがナツメグなのだそうだ。 


※MACEという単語は、イギリス系の議会で権威の象徴として置かれる先端に丸い球がついた棒をあらわす言葉と同じ。これについてはまた別に


★同じ植物からとれる二種類のちがうスパイス シナモンとニッキもそう。


シナモンは樹皮の部分で、ニッキは同じ植物の根っこ。


シナモンの葉のオイル↓少し赤いのは葉が赤くなっている影響だと説明された↓入れ物の中にシナモンが入っている↓



**


下はどこでも安価なバナナちゃん輸送中↓ここでも青いうちに収穫されるんだぁ



***


カンディに到着して、すぐにカンディアン・ダンスを見学。 終わってから同じ場所で「火渡り」も披露してくれる↓ こんな体育館みたいな場所で、火を使ってだいじょうぶかしらん↓




***市内から少し離れたリージェンシーホテルへチェックイン


日が良いらしく結婚式も↓



夕食バッフェが見た目だけでなく、価値あるおいしさ


   


 


**翌朝、小雨を部屋から眺める↓



 今日も引き続き結婚式の地元の方々。男性の民族衣装が独特↓




***仏歯寺を見学


ここは政教一致のキャンディ王朝の王宮でもあった場所。


1815年イギリスへ政権を譲り渡す調印式が、ここで行われた。この屋根の下がその場所↓



精巧な彫刻が施されている↓



イギリスがカンディ王朝の主権をゆっくり引きはがしてゆく過程は、観光旅行であまり説明されない。 しかし、イギリスに対する抵抗を象徴するこういった記念碑・像のことは↓



小松としてはやはり知っていただきたいのです↓



★昨年訪れた時に調べて書いたものを⇨こちらから読んでいただけます


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カンディのマーケットを、今年もごらんいただいた。


多様な米はスリランカの主食である↓


 


トマトも唐芥子も、もとはといえば南米原産だけれど、おいしそうにそだっております↓




 ****


スリランカは世界的な宝石の産地。ダイヤ以外はなんでもとれるとか。ラトナプラ(そのまま「宝石の街」という意味)近郊では、こんな風に採掘がおこなわれている⇒再現図

今回、ピンクとオレンジの間の色をしたサファイアの存在をはじめて知った。


←これについて→こちらに書きました


 


生地屋さんへも寄る
インドのサリーなんてなかなか着る機会がない。買わなくてもお店の人が選んで試着させてくれる。それぞれの似合う色を上手に選んでくれるんです。お似合いですねぇ(^^)

******
カンディ(キャンディ)のペラデニア植物園は、もともと王室のための場所だった。王室といってもそれは、イギリスの王室なのだが。

雨模様で、地元のみなさんもランチの場所に苦労して、こんなふうにしている方々も↓手で食べるのがふつうなんですね↓



お茶のお店へも寄った↓今回の行程で、よくばりきれなかったのが、お茶の産地ヌワラエリアへ行く事。高原のティー・ファクトリーを改築したホテルへは、やはりゆっくり滞在したい。別の機会に企画することにします。二兎は追いません(^^)


*******
夕暮れてきたハイウェイで何西岸の古都ゴールへ向かう。日本の援助で建設されたので、やはり日本的↓



ライトハウスへ到着。騒々しい一般道に面した入口から、この階段をのぼると、インド洋をみはらす別世界となる↓


部屋も開放的↓





夕食はダイニングで

今日、お誕生日を迎えた方があった。亡くなったお父様の年齢を超えられたとのこと。感慨深い日を、この場所でご一緒することが出来て、光栄です↓


*********
夜、ホテルの敷地内を散歩していると、ホテルのスタッフが何やら手のひらに包んで大事そうに運んでいる。声をかけるとそれは、ちいさなちいさなシマリスだった。「巣から落ちちゃってたの。元気にしてもとへもどしてあげる。」↓



 


 



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シギリアに登るか、カンダラマでゾウに乗るか

2017-01-22 10:48:12 | スリランカ

天気は良くないが、インフィニティ・プールで泳ぐ人はいる。湖にそのまま続いているかのように見えるこのスタイルはバワがはじめて出現させたものといわれている↓

本日、もともとの予定はスリランカを代表する世界遺産シギリア・ロックへ登る日。 

だが、「見るだけでいいよ。そそりたつ岩山には登らなくていい。」という方もある。そういう方に、ただ待っていただくというのは芸がない。ゾウさんに乗ってお散歩していただくのに、ちょうどよいタイミングではあるまいか。

日本出発前からこのアイデアはあったので、現地に問い合わせをしてもらって、利用を知らせていた。

ところが、前々日の夜になって「ゾウが病気で…」と電話がかかってきた。

ううむ、それではこのカンダラマ・ホテルでもゾウさんライドはやっているから、こちらを利用してみよう。料金は一人三千ルピーと、スリランカとしては高いけれど、安心だ。

朝、シギリアに行く皆さんが乗ったバスを送り出して、ゾウに乗る四人と小松は案内人と共にホテル前の坂をぽちぽち下っていった。

すぐに、湖(人工湖)へ続く林の中の未舗装路を入る しばらく降りると、そこにモニカちゃんが我々を待っていた↓

野生動物は、たとえ馬でもはじめから人間を乗せてくれるわけではない。調教しても、人を乗せるのに向かいない馬もいる。

ゾウだって、「じゃ、のせてあげるよ」と、思ってくれる(人間にとって)性格の良いこのモニカちゃんのようなゾウさんだけが、安心して見ず知らずの観光客を乗せる仕事が出来るのだろう。

背中に大きな「桟敷席」をセットされるのを、おとなしく協力する姿がかわいい↓

「こぉんな大きな動物にどうやって乗るの?」と思うでしょ?ゾウ使いは裸足でひょいひょいっとよじ登るけれど、我々には出来ない。ちゃんと、こんな高い乗降用の台が用意されております↓

さらしを巻いて、化粧まわしを〆て、その上に六人まで乗れる「桟敷」をセットされる↓

我々はゆっくり乗りこんだ。

視界は、馬の背中よりもずっと高い。そして、馬の背中に比べてどっしりしている。五人の日本人がのっても微動だにしない安定感。 

古代の戦争で、「ゾウは戦車」と形容された意味が分かる。この巨体を自由に操ることができれば、騎馬にも負けないだろう。

小松の目の前に突き出したモニカちゃんのアタマは、どこかハゲおやじ(自分)の薄くなった髪の毛を思わせる・・・

ゾウ使いの「んゲ!」というような合図で、モニカちゃんは歩き出す。

木々の間を進む時、背中の上の我々には枝に当たるのだが、モニカもゾウ使いもそんなことは気にしない。自分でなんとかするしかない。

ゾウ使いのおじさんは裸足。ぬかるんだ道を「いつものように」という感じで歩き出す。どんな足の裏をしているのだろう。

森を出ると、雨が強くあたりはじめた。ゾウの上の我々も傘を開く↓ モニカちゃんは気にしない。

湖のほとりで、視界が開ける↓(モニカ、道草食っちゃだめ!)

我々が二泊したヘリタンス・カンダラマ・ホテルの全景を、はじめて見ることができた↓

いや、実はこれでも全景ではない。

写真の右奥にはまだ「ダンブッラ・ウィング」と呼ばれる続きの棟があるのだ。

完成から三十年を経て、このホテルは建築家ジェフリー・バワが想定したように、森の中に飲み込まれようとしている↓

水音をたてて、モニカは湖に入ってゆく↓

★★これらの写真を撮ってくれたアシスタント氏による動画 ⇒こちらのyoutubeから見ていただけます。九分ごろに、ゾウ使いがモニカから降りる時、モニカが前足をあげてちゃんと助けているところ、是非、ごらんください(^^) ゾウって可愛くて頭イイ(^^)

湖から上がりゾウ使いはモニカのアタマから降りる

我々も降りる

我々はモニカの労をねぎらおうと、日本から持ってきていた剥き栗があったのを思い出した。ゾウ使い氏に先に味見してもらってOKをもらい、モニカにあげる。ふわふわ柔らかい鼻が、たぶん生れてはじめ食べるだろう栗を「ふんふん」と嗅ぐ。そして、にょーんと口にもっていった↓

モニカちゃん、ご苦労さま! 剥き栗、おいしかった?

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