旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リンダーホフ城とヘレンキームゼー城

2021-07-02 22:06:06 | ドイツ
2005年南ドイツの旅より
バイエルン王ルードヴィッヒ二世のノイシュヴァンシュタイン城を見学するツアーはごまんとあるが、他二つの城へ行くツアーはとても少ない。

●リンダーホフ城は唯一完成した城で、ヴェルサイユ宮殿の離宮=プチ・トリアノンそっくりにつくられている。



内部は本家ヴェルサイユ以上?の超絶ロココ様式の装飾。
ルードヴィッヒはここで七年も暮していたのか。

建てられている環境はフランスのヴェルサイユとはぜんぜんちがってアルプスの中。

本宮は小さいが庭園はとてもひろく、

定番の散歩道だけではなく、王だけためにファンタジー・ランドを出現させていた。

↑人工の洞窟への扉がひらくと、中には白鳥の騎士の乗るボート。
ジーメンスによって当時最先端のカラー電気照明。
ここへの入場は時間が決められている。

いちばん上の円筒形のモニュメントまで登り

↑本宮を見下ろしたところ↑
**
キーム湖にうかぶヘレン島に建設されたヘレンキームゼー城を訪れるにはいちばん時間がかかる。

船で島に渡り、桟橋から「新宮殿」まで歩けば三十分近くかかる。

そして、ここはヴェルサイユ宮殿本宮をそっくり再現しようとしている巨大な宮殿なのだから。
19世紀の立憲君主であるルードヴィッヒ二世は、「朕は国家なり」と言いきれた時代の絶対君主ルイ十四世を崇拝していた。
ドイツ語のルードヴィッヒはフランス語のルイと同じ名前。

内部は未完成だが宮殿前の噴水はぱっと見できあがっている。
真っ直ぐいけば湖につきあたる。
ルードヴィッヒ二世はこんな立派なものを自分の趣味のためだけに建設し、誰かを呼んでパーティをひらくようなことはまったくなかった。

キーム湖はノイシュバンシュタイン城からミュンヘン方向への途中にある。琵琶湖の八分の一ほどの面積だが「バイエルンの海」と呼ばれる。
湖の中のヘレン島(男島)、フラウエン島(女島)には八世紀からベネディクト派の修道院が建設されていた。
1808年にはしかし修道院は一時閉鎖され、教会はビール工場になったり、その後木材加工会社が島を所有したりした。
1873年にルードヴィッヒ二世が島を買い取って建設した「新宮殿」は、湖の島に建設されたなかではもっとも新しい建造物ということになる。

古い小さな礼拝堂↑

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バイロイト~祝祭劇場内部見学、ヴァーンフリート荘

2021-06-25 09:25:32 | ドイツ
2003年12月ドイツの旅より
バイロイト音楽祭は1876年に完成した当時の外観を見せる「祝祭劇場」で行われている。

ニュルンベルクに連泊した中日、一度内部を見学してみたいと思って内部見学ツアーの時間に合わせてオプションを組んだ。

10:45からと14:15から、一日二回の内部見学ツアー※2021年6月現在やっておりません

ワーグナーは生きているうちに自分の作品だけを上演する劇場を実現できた幸運な人。
バイエルン王ルードヴィヒ二世が彼の大ファンだったから可能になったことではあるけれど。

猛暑の七月から八月かけて行われる「バイロイト音楽祭」。冷房のない客席ではなく屋外の方が快適。
上の写真のバルコニーからファンファーレが鳴って入場するまで、観客は外ですごす。

↑ごく狭いホイヤーからこの扉をおして入ると、

簡素な客席がひろがっている。

十九世紀当時とほとんど同じ↑
ギリシャの劇場をイメージしている↓特にデルフィをモデルにしたと言われると、納得。

席数は二千に満たない。日比谷野音よりも小さいということ。
ここはワーグナー自身の意図により、楽曲に集中させる空間ための簡素に徹したつくりになっている。

特にこの座席の、簡素…というか粗末というか…

大柄なドイツ人は我々以上にキツイはず。
ガイドをしてくれた劇場の方が「このシートは改善予定です」と言っていただけれど、どうなったのかしらん?


ステージ側に入ると、印象はだいぶん変わる。
客席が十九世紀のままみたいなのに比べると、最新の舞台装置がちゃんとスペースをとって用意されていた。

↑この舞台装置は十九世紀のものではない。

現代の透視図をみると↑ちゃんと現代の舞台が実現できるように改築されていた。
ワーグナー時代のままなのは…お客の目にふれる部分と、

「奈落」とよばれるオーケストラブース

ここにワーグナーの楽劇に必要なオーケストラを詰め込むなんて!

指揮者はも汗だくでリハーサルの時の写真をみるとほんとに軽装でした(笑)↑こんな感じで指揮しているのでしょ(^^)

客席からオーケストラはまったく見えなくなるように↓ご丁寧なカバーまでとりつけられている。

舞台上から客席をみると↑こんな感じ↑指揮者の上に観客席が見える↑
指揮者からは客席はまったくみえませぬ。

そでに↑こんな「楽器」があったので訊ねてみると

「パルシファル」のなかで四音だけつかう特別な音のためにつくられたモノでした(^^)さすが
**

ワーグナーが六十三歳から住んだ「ヴァーンフリート荘」も訪れた。


↑バイエルン王ルードヴィヒ二世の胸像↑この人がパトロンになってくれたのでこんな屋敷に住むことが可能になった。
二十四才離れたフランツ・リストの娘コジマと。

↑息子のジークフリートと。


七十才で旅先のヴェネチアで没するまで。

遺体は馬車でこの屋敷まで移送され↑埋葬された↑

(ヒトラーと同じで)大の愛犬家だったワーグナーは買っていたルスの墓をすぐちかくに置いた。




バイロイトの街もクリスマス




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エアハルト父子の木彫

2021-06-23 17:08:36 | ドイツ
2014年3月のフランス、ルーブル美術館で出会っていた「マグダラのマリア」

※その日のルーブル見学記ブログはこちらからごらんいただけます

※ルーブル美術館の公式サイトからこの作品の公式写真がたくさん見られます
等身大より大きなこの木彫の作者
★グレゴール・エアハルトGregor Erhart (1470ごろウルム生まれ~1540アウグスブルグで死去)
彼が、2018年1月にウィーン美術史美術館で出会った下の木彫作品をつくった人の息子だったことを知った。

「美のうつろい」をテーマに、若年・中年・老年の姿を一本の木から丸彫りしてある
※ウィーン美術史美術館の公式サイトの写真をご覧いただけます
★ミカエル・エアハルトMichel Erhart (1440から1445頃ウルム生まれ ~1522以降にウルムで死去)

父と息子の作品。
そう思ってみるからだろうか、「なるほど血はあらそえない」とおもわされる。

父のミカエルは二十代の初頭にヨーロッパ遍歴修行に出てウルムに戻りJörg Syrlin the Elderの元で本格的に仕事をはじめた。
そのころ結婚し、長男グレゴールが生まれた。ほどなく独立した工房をかまえ、息子たちはそこで木彫の基礎をまなぶ。
息子グレゴールの細かい経歴は不明だが、1496年にアウグスブルグで独立工房をかまえるマイスターになっている。

同時代に同じバイエルン地方で活躍ていた同世代の彫刻家にティルマン・リーメンシュナイダーがいる。
父ミカエル・エアハルトより二十歳ほど年下。息子グレゴール・エアハルトより十歳ほどわかい。
お互いに名前は知っていただろう。作品も見て敬意をもっていただろう。
直接に会う機会は、あったのかしらん。

こういう市井の職人たちの記録というのは、なかなかないのです。
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バンベルク~燻製ビールと旧市街

2021-06-22 22:53:52 | ドイツ
2003年ドイツの旅より
世界遺産都市バンベルクで忘れられないのは「ラオホ・ビア(煙・燻製ビール)」

原料の乾燥麦芽=モルトをつくるときにブナの木を焚いた煙にあてることで、出来上がったビールにその煙の香りが生かされる。

老舗ビア酒場で↓クヌーデル(じゃがいもをすりつぶしてつなぎと混ぜて団子にして茹でたもの。日本の年配層では「戦争で食べ物のない時期に食べ続けたすいとんみたい」と好まない人も多いが、小松はもちもち食感が気に入っております(^^))とポークステーキと共に。



レグニッツ川の中に建てられた旧市庁舎↑
司教の強権に反発して何度も反乱を起こしていたバンベルグ市民だったので司教は領地内に市庁舎をつくらせなかった。
財力と自治力があった市民側は、境界線となっている川の中に人工の島をつくってそこに市庁舎を建てたとされている。
十四世紀のこと。

壁一面に立体的な絵が描かれた現在みられる市庁舎は十八世紀半ばに再建されたもの。


++

司教領側の丘の上には十三世紀に建設されたカテドラル=ドーム教会。
高さ八十メートルのロマネスクの塔を持つ。
1007年に新たに司教区を創設し、最初の教会を建設したのは神聖ローマ皇帝ハインリッヒ二世。

彼ら二人が四本の塔を持つバンベルグの大聖堂を捧げたこの絵は↑16世紀以降のものであろう。
実際に彼らが葬られた大聖堂は二度も焼失している。

ハインリッヒ二世は1146年、妃のクニクンデは1200年にローマ法王によって列聖された↑現在みられる二人の墓碑は十六世紀初頭に名工ティルマン・リーメンシュナイダーによって彫られたもので、教会内で何度か移動させられ1971年からこの場所にある。

↑死の床にあるハインリッヒ二世(左端の髭の人物)を看取る↑クニクンデ妃の悲しげな表情。それぞれの人物が無表情なロマネスク時代の影響が残る時代にこれだけの表現ができている。個々の人物の手の表現はさすがリーメンシュナイダー。浅浮彫だが、ベッドの上の布の折れた表現。リーメンシュナイダー作品が大好きな小松には、この作品を見るためにだけでも、もう一度バンベルクを再訪したいです(^^)

↓★「バンベルグの騎士」彫刻は、リーメンシュナイダーより二百年以上古くから教会にある名品↓

リーメンシュナイダーもこの像を見上げていたにちがいない。
**

大聖堂を出るとすぐ横に大司教の宮殿↑

外観とはうらはらに、こちらは十八世紀バロック時代の雰囲気が強い内部だった。

支配者の大司教は、この丘の上の宮殿から市民たちの街を見下ろしていた。




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カルテンベルグの騎士祭

2021-06-21 08:45:15 | ドイツ
2009年ドイツの旅より
世が世ならバイエルン国王だったヴィッテルスバッハ家の現当主プリンツ・ルイトポルド氏58才が主催する騎士祭。

彼が二十代のころに英国で騎士ショーを見て感激してはじめたのだそうだ。

ミュンヘンの西三十キロ。普段は観光客などまったくやってこない小さなカルテンベルグ村には13世紀起源の城がある。その中庭に面してプリンツの運営するビール会社直営のレストラン、ビア・ホールがある。
店の人やスタッフも皆中世風の服装をしていてちょっとタイムスリップ気分である。


その気になればお客も同じような服を借りたり買ったりできるようになっている。
「江戸村」ですね(^^)

開催期間は三週間にわたる。パレードも行われる。


見世物なのかしらん、ラクダも登場

牛も

今日(2009年7月4日)ミュンヘンからここへ来るバスの中で猛烈な雨に降られた。
屋根のないアレーナでどうなるか心配したけれど、夜が近づくにつれて空はどんどん晴れわたっていった。

パレードも面白かったけれど、ここに来たらアレーナでの騎士のショーをみなくちゃ。

↑こちら、開会を宣言するヴィッテルスバッハ家の現プリンツ↑このイベントをはじめたその人。

カラフルな衣装の面々が登場し

フィレンツェなどでもみかける旗を投げ上げるパフォーマンス

それにしても、すごい数の馬が登場する。

車が登場するまで、良い馬を持つことは最高のステータス。その馬を自在に乗りこなすことは騎士の誉れ。

練る時にも立っているという馬を↑こんなふうに座らせたり。


一番印象的なのは一騎打ちのシーン。
アレーナの両端から全速力で駆けてくる騎馬が、すれ違い様に長槍で相手を突くのである。一瞬で勝敗が決まる。

すれ違い様「バシッ」と音がして一方が馬から落ちると、演技とわかっていてもハラハラさせられる。
※上の写真は流鏑馬のように馬上から的を槍で突く競技

揺れる騎乗で長い槍の先を思う場所に突き刺すというのは熟練の技で、しかも、相手よりも早くに当てないと自分がやられてしまう。
練習試合用には先が簡単に砕ける槍が使われるけれど、それでもかぶとに刺さったりする危険は必ずある。
実際フランス国王アンリ二世は騎馬試合の時に目を突かれて死に至っている。

またゆっくり見学に行きたいです(^^)

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