旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

イスタンブル宝箱~エユップ・スルタン・モスク、ロティのカフェ、リュステム・パシャ・モスク

2012-10-07 12:55:39 | トルコ
イスタンブルは何日見ても見終わるということがない。
朝一番で素晴らしいモザイクの残る旧ホーラ(コーラ)教会へ。
こちらにしっかり書きました。

金角湾の奥に、イスラム教徒にとって重要な巡礼地になっているエユップ・スルタン・モスクがある。

イスラム教徒がはじめてコンスタンチノープルを攻めたのは西暦674年。ムハンマド(マホメット)の友人で弟子であったエユップはその遠征で亡くなった。エユップはアラビア語で「アイユーブ」。彼のフルネームはアブー・アイユーブ・アル・アンサーリー。「アブー・アイユーブ」は旧約聖書に出てくる「ヨブの父」という意味。※アル・アンサーリーは「助ける者」という意味があるようだ。

彼がコンスタンチノープルの包囲戦にやってきたときに八十歳を超えていた。それでも遠征軍には加わり、病に倒れ、最後にこういった「出来うる限り敵陣に攻め入り、私の遺骸はコンスタンチノープルの城壁の下に葬れ」。

彼の墓は、1453年にコンスタンチノープルを陥落させる直前のメフメット二世が礼拝した場所から偶然に発見され、それ以来ここはイスラム教徒にとってトルコでは一番重要な巡礼場所となっている。
オスマン・トルコ時代、歴代のスルタンは即位にあたってここを訪れ、戴剣式をここで行ってきた。この絵はスレイマン大帝が訪れている図


トルコ人以外でもたくさんのイスラム教徒が訪れる。
下は1957年にカダフィ以前のリビア首長、イドリース一世が訪れた記念パネル。


周辺、金角湾を見下ろす斜面は何百年ものあいだに積もり積もった墓でいっぱいだ。

彼の墓にご利益を求める人々が殺到している。

モスク内部は1980年頃までイスラム教徒しか入ることができなかった。

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ゴンドラで丘の上へあがっていく

19世紀のフランス人士官で小説家だったピエール・ロティがよく訪れたというカフェがある。


トルコ人の服装をして水パイプをふかすロティの写真がかざってあるカフェ内部

天気が良ければテラスも気持ちよさそうだ。


降りてゆくゴンドラからエユップのモスクが見える。

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昼前にもう一箇所。
スレイマニエ・モスクを見学。かのスレイマン大帝のために建築家シナンが建てた傑作。

しかし、近年の修復はドームの内側装飾を西欧式の遠近法柱にしてしまっていた

午後、こちらもシナンの手がけたシュステム・パシャ・モスクを訪れる。

ここはスパイス・マーケットに近い市場の中に位置している。
路地の階段を上がっていくとタイルの美しい入口。メッカを表すこんな絵柄は、あとからはめ込まれたものだろう。

内部はこんな
市場にはいっぱいの果実スパイス・バザールは実際観光客がたくさんやってくるので日本語のこんな看板もある。「エドちゃん」とは、トルコ人の名前「エルドゥアン」を勝手に日本風にしたものだそうな(笑)

***
アヤ・ソフィアの見学へ。入口のこの支え壁はシナンによる修復。
長年かかっていた内部の修復は終わり、唯一無二の空間がもどってきていた。
1204年にこの街を征服した第四回十字軍を指導したヴェネチアのドージェ、エンリコ・ダンドロの墓石。これは、もともとここにあったものだろうか?それにしてはどうも設置のしかたが不自然に見える。
内部はあまりにも見るべきものが多すぎるので、別の機会に、ぽつぽつと。

近接して18世紀のスルタンたちの廟がいくつかある。このいりぐちのタイルについては
こちらに書きました。


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夕食は旧市街の路地にあるクレタ料理の店へ。前菜があまりに多彩で美味しくて、たべきれません。
こういう料理は日本人も大好き
デザートも
コメント
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