ハバナへ向かって降下をはじめ、真っ暗な窓の外を見下ろすと船がたくさん浮かんでいるのが見えた。船?なんだか形が不揃いだから島? エアカナダ機の位置表示を見ると、なんと外は海ではなかった それでは見えている灯は何なのだ? 近づいてきた地上に目をこらすと、それは個人の家の灯だった。まわりの道に街灯はまったくない。それで、海上の船のように見えていたのだ。「キューバの夜は暗い」というのが、小松の最初の印象となった。
空港ターミナルに入ると、そこらじゅうが赤いやっぱり社会主義の色は赤だから? スーツケースは無事にぜんぶ到着。ロビーでアントニオさんが迎えてくれた
両替所は外にあるキューバの通貨はペソだが、CUP(人民ペソ)と外国人用のCUC(兌換ペソ)がある。発展途上国に時々見られる通貨政策だが、キューバの場合両者の差は二十倍以上。兌換ペソはUSドルと等価という位置づけだが、USドルからの両替には10%以上の手数料をとる。つまり、日本円やユーロやスイスフランからの両替が有効。
※兌換ペソは、ソ連崩壊後1993年の経済危機から認められたUSドルの国内利用が拡大し続けるのを止めるために、2004年に導入された。
バスは中国製キューバと経済関係の強い国のベスト3は①ベネズエラ ②中国 ③スペイン といったところ。続いてブラジルやカナダ、敵対してきたアメリカもその次ぐらいにははいってきている。 四十分ほどでミラマーレ地区のホテルに到着。もう23時ちかい。古い巨大なアメリカ車はきいたとおりどこでも見られる フロントスタッフはひとりしかおらず、チェックインには時間がかかった。深夜0時になると、突然ロビーの電気が消された。まだまだお客さんおりますのに。部屋は広くひととおりの設備があるただ、ほとんどの部屋でバスタブの栓がない。シャワーとの切り替えノブがとれていて使いにくいなど、予想された不自由は、ある。とにかくも、おやすみなさ~い。
翌朝、12月の穏やかな晴れた南国ホテル 海まで二ブロックほどだというから、このミラマーレ地区を少し歩いてみよう。部屋から見えた教会は、後からきくとハバナで最大のものだそうだ。別に観光名所ではないけれど、覗いてみたい・・・閉まっておりました。社会主義体制下の宗教というのはどこでも苦しい立場にある。キューバでも1959年の革命時にカトリック教会指導部は富裕層の味方をして国外追放、教会財産は国に没収された。それ以来の確執は1996年のフィデル・カストロのバチカン訪問、1998年のヨハネ・パウロ二世法王のキューバ訪問でずいぶんなくなったけれど。
ミラマーレ地区は★ニューヨークのマンハッタンをモデルにして碁盤の目状に区画整理・都市計画してつくられている角々には何番通りの東西南北どちら側化を示した四角錐のプレートが置かれている。海に沿って一番通りが走り、奇数番号で続く。つまり、ホテルのある五番通りは三番目の道。海に対して垂直にひかれた道は偶数番号。ホテルは70番通り。これさえ覚えておけば迷うことはない
ハバナ旧市街の外側につくられた19世紀の町は飛行機から見るとほんとうに区画整理されていた。※ハバナから飛び立つ飛行機からその様子がよく見えたので、別に載せます。
**海まで五分ほどで到着思ったような砂浜ではない 高級地区らしく、高層ビルがいくつもあるきのうはけっこう雨がふったときいたが、水はけはあまりよくないのかも。
ひときわ目をひくロボットのようなかたちのビルは・・・あとからロシア大使館だと知った。
9時からの観光が楽しみ楽しみ(^.^)