じゃ~ん!キューバ名物クラシックカーずらり登場これから革命広場を経由してホテルまで小一時間のドライブを楽しみます(^^)
アメリカの経済封鎖が続くキューバでは、新しい車はなかなか手に入らない。1959年の革命以前からあるアメリカ車が現役なのは、それを乗り続けるしかなかったから。古くて動かなかった車体をいろんな工夫でカムバックさせているタクシー運転手も多いんです小松の乗った車もキャデラックとなっていたが、ドライバーに訊ねると「エンジンはシトロエン」とのこと。いや、ぽわんぽわんとしたサスペンションは、台車ごとシトロエンかもしれませぬ。
映画の中に入ったみたい
いざスタート! アルマス広場を出て海岸沿いのセントラル地区海岸をびゅんびゅんとばしてゆく
この時期のキューバは暑すぎなくて、こういう遊びにはもってこいオープンカー数台で抜きつ抜かれつ爆走してゆくと、自然に声が出てたのしくなってくる。とつぜん乗っていた車が「ぶひぃぃ~ん!」と馬みたいな声をあげた。「ぅもぉおおおお!」っと牛もいる。このクラクション、楽しすぎますまわりを走る車も大笑い。指さしてカメラ向けてくるみんなで暴走するのは楽しいなぁ(笑)ハバナの道はまだまだ車が少なくてほとんど渋滞なんてしないし。「シートベルト締めて」ともいわれない。だいたいシートベルトなんぞない車も多いし
大騒ぎに疲れたころ、正面に印象的な「ホセ・マルティの塔」が見えてきた。あそこが革命広場である↴
★革命広場
このホセ・マルティの塔は高さ107mでキューバ一高い。上からみると星形をしているそうな。ホセ・マルティは19世紀末第二独立戦争の英雄である。下に彼の大理石の像が建てられているのがみえる。 この広場周辺はキューバ政治の心臓部にあたる。上の写真で見えているビルは防衛省。
広場を囲うようにして、経済省、図書館、郵政省、内務省、劇場が建てられている。広場に集まった人々に向かって塔の下から演説すフィデル・カストロは、郵政省と内務省のビルに掲げられた亡き友人二人の顔を見ていたのか↴
左はもちろんチェ・ゲバラ。アルゼンチン人であるにもかかわらず、キューバ革命に身を投じた。肖像の右下に書かれている言葉は「Hasta la victoria siempre」単純に訳すと「勝利まで、いつの日も」となる。これはキューバ革命後に他国の革命に力を貸すためにキューバを出ることを決めた彼が残した「別れの手紙」の一節。この言葉、ゲバラをたたえる歌の題名にもなって⇒ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブも演奏している※ゲバラについてはまた別のところで書きます⇒
向かって右の郵政省の建物に掲げられているのは、ゲバラの同志にして良き友人であったカミーロ・シエンフエゴ。カストロやゲバラとちがい、ハバナの庶民階級・スペインから移民した仕立て屋の息子だった。二十一才の時にアメリカに渡りニューヨークやシカゴで労働者として働くが不法滞在でキューバに送還され、政治活動に目覚めていった。
革命後にフィデル・カストロが矢継ぎ早な改革をはじめた1959年、カミーロに「これでよいのだろうか」と不安をもらしたとき、カミーロは「Vas bien,Fidel」=「それでいいんだよ、フィデル」と言ったとされる。その言葉が、右下に書かれている⇒
フィデル・カストロは、この広場で、時には三時間を超える演説を原稿なしで行った。その時、亡き友人二人が彼を見守っていたのかと思う。
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再びクラシックカーに乗り、ミラマーレ地区のホテルへもどる。また特徴的なロシア大使館がみえてくる
******夕食は再び旧市街へ。ここもヘミングウェイが訪れていたラ・ボデギータ⇒そこら中に落書きがあふれている。これが伝統の店 前菜に豚の皮を揚げたもの⇒ そして、キューバの主食である米をつかった大豆ごはん「コングリ」⇒これ、日本人には合う味です。 もちろんバンドもやってきて、ハバナの夜は社会主義国とはいえとてもフレンドリーでゆるい雰囲気になる