すごい!
カトリック教会に「修道院」という概念がもたらされたのは、四世紀にこの岩場で祈りの生活をはじめたベネディクトによる。中部イタリアのノルチャで生まれ、ローマ帝国崩壊直後のローマで学んだが、十七歳ごろに幻滅してひとり祈りの生活が出来る場所を探した。
ここスビアコでロマヌスという修道士に出会い、彼の住む崖の下にある洞窟を教えてもらう。三年間、ロマヌスがなけなしの食べ物をロープで下してくれるなどして暮らした。後年、その場所は「サクロ・スペコ=聖なる洞窟」とされ、巡礼地、そしてこの修道院が建設されていった。
そんな場所だが、現代ではそれほど苦労せずに近づける。この駐車場突き当りの道から少し登りの道をゆく⇒ 小さな階段から下を覗くと・・・
修道院がかつて使っていたと思われる畑が段になっていた。すぐに最初の写真の入口に到達する。
入口付近は13世紀頃に建設されたロマネスク様式の建築。かつては跳ね橋があった。それは、15世紀に描かれたフレスコ画の背景にも見ることが出来る↓いちばん左の部分、確かに跳ね橋が見える。頂上にはベネディクトに洞窟を教えたロマヌスが住んだ場所にある礼拝堂↓
このフレスコ画は入口入ってすぐの場所にある。ルネサンスの華麗な筆致で描かれたキリストと四人の福音者⇒そこをすぎると、天井の高い礼拝堂にでる。ここは13世紀に建設された部分↓
フレスコ画の洪水の中にある、簡素な説教壇がオリジナルのもの。シンプルなロマネスク的な造形である↓
フレスコ画はよく見ると何層にも重なっている。つまり、この説教壇が造られた頃よりあとに何度も画かれなおされているのだ↑それでも、現在みられるものは14世紀のシエナ派による、「キリストの受難」ストーリー
この礼拝堂の奥に至ると天井が低くなり、「聖ベネディクトの生涯」がはじまる。こちらのフレスコは前出とは別の15世紀の画き手によるもの↓なかなか面白いストーリー、少し紹介します。
★修行するベネディクトがだんだん人望を集め、近くの修道院に招かれるようになる。厳しい諫言をはばからないベネディクトは毒杯を盛られ、暗殺されそうになる。しかし、ベネディクトが十字をきると、毒杯は割れた。下はそのシーンを画いたもの↓
★ベネディクトの双子の妹スコラスティカも修道の道を志すが、兄とは一年に一度しか会う事が出来ない。スコラスティカが「もう少しいっしょに居させてください」と祈ると、外は嵐になった。神様が雨を降らせている。弟子のひとりが空を見上げている↓
★悪魔に誘惑され、修道院を飛び出そうとしたブラザー、それを叱るベネディクト↓
●修道院は崖にへばりつくように建設されているので、岩山が崩れてくるのをいつも警戒していなくてはならない。「現代はセンサーがあるが、かつてはこんな像をつくっておりました(笑)」と、案内してくれた修道士さん↓写真右下に「崖よくずれるな」と手を上げている像↓
★修道院は、下の階へ行くほどに古くなっている。そちらに、いよいよ「聖なる洞窟」があるのだ
横に小さな部屋があり、自然の岩肌がむき出しになっている。バロック時代になってから付け加えられた大理石彫刻がある。ここが、ベネディクトが三年を過ごした場所だとされている↓
おどろいたのは、この部屋の壁に使われていた緑色の筋が入った大理石の板。古代ローマ皇帝ネロの宮殿にあったものを再利用したとされている。 思い出したのは、イスタンブール(当時のコンスタンチノポリス)のアヤソフィアの壁に使われていた大理石。同じように、大理石を薄く切って開いて壁に貼る手法をとっていた↓
すぐ近くの別のロマネスクの礼拝堂⇒この部屋には、アッシジの聖フランチェスコの全身肖像画がある。なんと、これは彼が生きている時代に描かれた13世紀前半のもの。その証拠にまだ光輪がなく、生痕も描かれていない。※これについては別に書きます。
洞窟の下にある「★聖なる階段」↓ 巡礼者達が、一段一段膝まづき、祈りながらベネディクトの洞窟へのぼっていったのだそうだ↓
階段左右には「死の勝利」のフレスコ。中世にはよく描かれた主題。★若者を襲う死↓
★三人の生者と三人の死者↓
下に降りるにつれて、フレスコ画の時代はふるくなってゆく。
階段の下の小さな場所が、かつてベネディクトが羊飼いの訪問をうけた場所だとされている。そこにあるフレスコ画はなんと七世紀とされた。画き方が時代をうつしている↓
ここから出ると、修道院を一番下から見上げることが出来る。下部の丸いロマネスク壁が現存する一番古い部分↓
かつて巡礼たちがいちばん最初にたどり着いたこの入り口部分。「修道士たちの墓でした」と説明された↓
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再び一番上まで戻り、サクロ・スペコ(聖なる洞窟)の修道院を出る。車で少し下にあるスコラスティカの修道院へ移動。ベネディクトの双子の妹の名前が付けられた修道院。現在ではこちらの方が修道院としての主要機能を果たしている。
入口の部分に「祈れ、そして働け」のベネディクト会の標語↓
何世紀にもわたって増設されてきた建物の中心にそびえている13世紀頃のロマネスク鐘楼が夕陽を浴びている↓
これを囲むように、時代のちがう三つの中庭が配置されている。それぞれに味わい深い。もっとも古い中庭にある緯度は、よく見ると前出の「サクロ・スペコ」でも見られた色大理石のをつかってある。古代のネロ帝宮殿からの再利用ということ↓
ちょうど夕陽のさしてくる時間になった
教会部分の柱。一部は古代の宮殿からの再利用であるのが分かる。近くにはそれを模して彩色してある柱↓
ロマネスク鐘楼の基部に至る。建物の中に埋没しているが、階段の向こう部分の壁は時代が古いのが感じられる↓
入口アーチの部分には古い時代のフレスコも残されている↓