スプリト近くのリゾートホテルの朝
テラスから桟橋をパノラマ撮影
ゆっくりしたいけれど、8時前には出発。今日はドゥブロブニクへ行く前にコルチュラ島へ寄る。この島、マルコ・ポーロ家の出身地として有名で、確かに美しい旧市街を持つ島なのだが、いくのがけっこう遠い。お昼までえんえんと三回のストップをして向かった。
幸いこの旅いちばんの好天となり、海岸線の風景は見飽きない
カフェで一休み。おっと、ここのお砂糖はクロアチア印だ
くねくねとした海岸線をくねくねと走ってゆく。高速でない道路は岸壁にそっていてつくられているので、イタリアのアマルフィ海岸を思い出させる。
ずっと切り立っていた左の山が遠のき、バチーナ湖群がみえてくる
ここをすぎると、ネレトヴァ川の河口にさしかかる。
★去年の《手造の旅》でここにさしかかった時「ネレトヴァの戦い」という映画があったことを教えてくださった方があった。
それは第二次大戦中に、チトー率いるレジスタンスが、圧倒的戦力のドイツとイタリアにネレトバ河口に追い詰められていた時を扱った映画。ユル・ブリンアーなどが出演していた。
※こちらにネット辞典wikiのページがあります
この一帯はいわば水郷地帯になっていて、豊かな水とあふれる太陽でおいしいミカン!がつくられている。これオレンジではなくてほんとに日本の冬ミカンそっくり。
展望に止まったところに出ていた店でみんなに買ってあげた(^^)/
実は去年の《手造の旅》でドライバーさんが買ってくれたのが忘れられなかったから。
こうして体感した味というが、この先ずっと忘れられない旅の思い出になるのなら、安いもんです。
※去年2015年の写真日記に、ミカンを載せておりますのでごらんください。
試食にだしてくれた乾燥フルーツ
小松が買ったのはもちろんはちみつ(^^)/これもオレンジのはちみつです。今年六月にカリフォルニアで買ったオレンジはちみつとくらべてみよう。
河口の果樹園地帯をすぎると、道は再び崖と海との間に入る。そして、突然国境が見えてきた↓
なんと、こんなところにちょっとだけボスニアヘルツェゴビナの領土が海にはみ出しているのだ。
かつて、ヴェネチアと同じアドリア海の海運国ドブロブニクが、進出してきたヴェネチアと領土を接するのを嫌い、一部だけをオスマントルコに割譲したなごり。
ここネウムのドライブインには必ず止まるドライバーさんたち。いろんなものが安いんです。
そこのスーパーの入口に我々極東の国々の旗が・・・やっぱり多いのですね。
クロアチアを去年訪れた日本人は過去最高の13万人。韓国人はなんと40万人だそうだ。しかし、クロアチアを訪れる外国人は1400万人にもなっている。GDPの17%が観光収入というクロアチアなのであります。
ふたたび、クロアチア領に戻る国境昔はここからドゥブロブニクの領土だったということ。
★コルチュラ島へはここからペリシャツ半島という細長い半島を延々走らなくてはならない。半島にはいってすぐにストンという町があるここは昔から製塩業で栄えた小村で、堅固な城壁でまもられていた。その城壁は今でもこうしてみることができる↓
ペリシャツ半島はワインの一大産地。ブドウ畑が続く。
半島の尾根を越えて、大陸側の道路から見えなかったアドリア海の広い水平線が見えた↓向こうに見えているのがコルチュラ島。
朝八時前にホテルを出て正午を三十分まわって、コルチュラ島へいくフェリー乗り場に到着。ここから島へのフェリーは、夏にはとんでもなく混み合うそうな。※2009年に《手造の旅》でコルチュラ島を訪れた時にはまったくそんなことはなく、一台フェリーに乗り遅れてもまったく問題なかったのだが。あ、あれも10月だったからかもしれませんが。
13:40、チャーターしておいた船が島からこちらへむかってきた↓
ほんの十五分ほどで島の旧市街が近づいてきた↓
降りたところでガイドさんがまっていて、すぐにレストランへつれていってくださる
食事の終わった午後二時から、半島へ戻る船の出る15時半までが、我々がコルチュラ島の旧市街を楽しめる短い時間である。
いちばん有名なのはやはりマルコ・ポーロの家。シーズンにはごったがえすのだろうが、今は閉まっている。と、ガイドさんがカギをもっていて開けてくださった。
小さな塔だが上がればやはり旧市街が一望できた
**
こぢんまりした大聖堂もゴシック初期の建築。
ポーチの彫刻はボニーノ・ダ・ミラーノという北イタリアの彫刻家の作。彼はドゥブロブニクのロランドの騎士像の作者でもある。
入口横に、十字を刻んで「ジュビリオ」と刻まれていたのでガイドさんに訊ねたが、実際になんの記念なのかはわかっていないものなのだそうだ。
内部にはやはりヴェネチアの画家ティントレットの若いころの絵が祭壇に飾られている。以前来た時には撮影禁止だったが、OKになったようだ。
ゴシックというより小松にはロマネスク様にみえる彫刻群
大聖堂の塔へも登らなきゃ!
やっぱり高いところへはのぼってみなきゃ(^^♪
最後に、再び旧市街の入口の塔へもどる。14世紀の四角い塔に、19世紀に優雅な階段をつけた。なるほど言われてみれば時代の雰囲気が全然違う。
再び船でペリシャツ半島へ。振り返るとコルチュラの城壁
***
ドゥブロブニクの町を見下ろすスルジ山の見えてきたころには、ちょうど夕日が山肌を赤く染めていた。
一度ホテルへチェックインして、夕食はドゥブロブニクの旧市街にあるレストラン。
はじめてみる旧市街が夜景というのもよいものです(^^)/
明日も晴れますように
テラスから桟橋をパノラマ撮影
ゆっくりしたいけれど、8時前には出発。今日はドゥブロブニクへ行く前にコルチュラ島へ寄る。この島、マルコ・ポーロ家の出身地として有名で、確かに美しい旧市街を持つ島なのだが、いくのがけっこう遠い。お昼までえんえんと三回のストップをして向かった。
幸いこの旅いちばんの好天となり、海岸線の風景は見飽きない
カフェで一休み。おっと、ここのお砂糖はクロアチア印だ
くねくねとした海岸線をくねくねと走ってゆく。高速でない道路は岸壁にそっていてつくられているので、イタリアのアマルフィ海岸を思い出させる。
ずっと切り立っていた左の山が遠のき、バチーナ湖群がみえてくる
ここをすぎると、ネレトヴァ川の河口にさしかかる。
★去年の《手造の旅》でここにさしかかった時「ネレトヴァの戦い」という映画があったことを教えてくださった方があった。
それは第二次大戦中に、チトー率いるレジスタンスが、圧倒的戦力のドイツとイタリアにネレトバ河口に追い詰められていた時を扱った映画。ユル・ブリンアーなどが出演していた。
※こちらにネット辞典wikiのページがあります
この一帯はいわば水郷地帯になっていて、豊かな水とあふれる太陽でおいしいミカン!がつくられている。これオレンジではなくてほんとに日本の冬ミカンそっくり。
展望に止まったところに出ていた店でみんなに買ってあげた(^^)/
実は去年の《手造の旅》でドライバーさんが買ってくれたのが忘れられなかったから。
こうして体感した味というが、この先ずっと忘れられない旅の思い出になるのなら、安いもんです。
※去年2015年の写真日記に、ミカンを載せておりますのでごらんください。
試食にだしてくれた乾燥フルーツ
小松が買ったのはもちろんはちみつ(^^)/これもオレンジのはちみつです。今年六月にカリフォルニアで買ったオレンジはちみつとくらべてみよう。
河口の果樹園地帯をすぎると、道は再び崖と海との間に入る。そして、突然国境が見えてきた↓
なんと、こんなところにちょっとだけボスニアヘルツェゴビナの領土が海にはみ出しているのだ。
かつて、ヴェネチアと同じアドリア海の海運国ドブロブニクが、進出してきたヴェネチアと領土を接するのを嫌い、一部だけをオスマントルコに割譲したなごり。
ここネウムのドライブインには必ず止まるドライバーさんたち。いろんなものが安いんです。
そこのスーパーの入口に我々極東の国々の旗が・・・やっぱり多いのですね。
クロアチアを去年訪れた日本人は過去最高の13万人。韓国人はなんと40万人だそうだ。しかし、クロアチアを訪れる外国人は1400万人にもなっている。GDPの17%が観光収入というクロアチアなのであります。
ふたたび、クロアチア領に戻る国境昔はここからドゥブロブニクの領土だったということ。
★コルチュラ島へはここからペリシャツ半島という細長い半島を延々走らなくてはならない。半島にはいってすぐにストンという町があるここは昔から製塩業で栄えた小村で、堅固な城壁でまもられていた。その城壁は今でもこうしてみることができる↓
ペリシャツ半島はワインの一大産地。ブドウ畑が続く。
半島の尾根を越えて、大陸側の道路から見えなかったアドリア海の広い水平線が見えた↓向こうに見えているのがコルチュラ島。
朝八時前にホテルを出て正午を三十分まわって、コルチュラ島へいくフェリー乗り場に到着。ここから島へのフェリーは、夏にはとんでもなく混み合うそうな。※2009年に《手造の旅》でコルチュラ島を訪れた時にはまったくそんなことはなく、一台フェリーに乗り遅れてもまったく問題なかったのだが。あ、あれも10月だったからかもしれませんが。
13:40、チャーターしておいた船が島からこちらへむかってきた↓
ほんの十五分ほどで島の旧市街が近づいてきた↓
降りたところでガイドさんがまっていて、すぐにレストランへつれていってくださる
食事の終わった午後二時から、半島へ戻る船の出る15時半までが、我々がコルチュラ島の旧市街を楽しめる短い時間である。
いちばん有名なのはやはりマルコ・ポーロの家。シーズンにはごったがえすのだろうが、今は閉まっている。と、ガイドさんがカギをもっていて開けてくださった。
小さな塔だが上がればやはり旧市街が一望できた
**
こぢんまりした大聖堂もゴシック初期の建築。
ポーチの彫刻はボニーノ・ダ・ミラーノという北イタリアの彫刻家の作。彼はドゥブロブニクのロランドの騎士像の作者でもある。
入口横に、十字を刻んで「ジュビリオ」と刻まれていたのでガイドさんに訊ねたが、実際になんの記念なのかはわかっていないものなのだそうだ。
内部にはやはりヴェネチアの画家ティントレットの若いころの絵が祭壇に飾られている。以前来た時には撮影禁止だったが、OKになったようだ。
ゴシックというより小松にはロマネスク様にみえる彫刻群
大聖堂の塔へも登らなきゃ!
やっぱり高いところへはのぼってみなきゃ(^^♪
最後に、再び旧市街の入口の塔へもどる。14世紀の四角い塔に、19世紀に優雅な階段をつけた。なるほど言われてみれば時代の雰囲気が全然違う。
再び船でペリシャツ半島へ。振り返るとコルチュラの城壁
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ドゥブロブニクの町を見下ろすスルジ山の見えてきたころには、ちょうど夕日が山肌を赤く染めていた。
一度ホテルへチェックインして、夕食はドゥブロブニクの旧市街にあるレストラン。
はじめてみる旧市街が夜景というのもよいものです(^^)/
明日も晴れますように