旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ミンネリヤ国立公園でゾウに向かって突進

2017-12-30 22:47:17 | スリランカ
ゾウが水場に集まっているのが分かった。
が、そこへ近づくには小川を越えなくてはならない↓

正規の道ではないが、ジープのドライバーたちはなんとしてもお客に喜んでもらおうと川を渡ろうと突進してゆく↓

我々のドライバーも意を決して、突っ込む!


うぉ~がんばれ!対岸へのぼりきれ!!・・・

横転の危機を感じながら、三度のトライの後なんとかのぼりきった。
そこには、見渡す限りの(ちょっと大げさ)ゾウの群れ






ほんのすぐ近く。太い蛇口から出るみたいなおしっこの音まで聞こえる(これはほんとに)↓


ゾウの家族はいつも小象を真ん中にはさんで守っている↓


みんな大満足のゾウサファリだが、数年前にはじめて訪れた時よりは、ドライバーたちは無理をしなくなったと感じる。
当時はゾウをみつけると、小さな木ならなぎたおしてでも、我先に近づいていっていた。さすがにそれではいかんと思ったのだろう。

いずれにしても、ドライバーさん、よくがんばってくださいました。
日本では少数派になった喫煙派も、ここでは言葉のいらない友好関係がはぐくめる

***
ヘリタンス・カンダラマへ戻って、今晩は昨夜とは別のダイニングでセットメニュー。このカレーはじっつに!おいしかった↓





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ポロンナルワのシンハラ人とタミル人

2017-12-30 12:32:16 | スリランカ

スリランカ二番目の古都とされているポロンナルワを訪れる度に思うのは、ここは仏教国の首都だったけれど、シンハラ人だけが住んでいたのではないということ。

聖なる遺物「ブッダの犬歯」と「托鉢」を納めてあったとされる、ポロンナルワ最古の建物「アタダアゲ」の横にたてられた「ヴェリカラ碑文」に書かれている話がひとつの証拠になっている↓

「ヴィジャヤバル王(1055-1110)の治世三十年目、タミル人の侵略に対して戦いを命じられたヴェリカラ傭兵たちが反乱を起こし王を宮殿から追放する事態となったが、すぐに鎮圧された」
と、シンハラ語とタミル語で書かれているのだそうな。
王の死後に彼らは許されて再び復職した。その際、後の戒めの為に両民族が読める言葉で出来事を刻んだと思われている。
つまり、ポロンナルワでいちばん大切な場所においても、タミル人は住んで仕事をしていたのである。

王宮で「仏歯」の警護をしていたヴェリカラ傭兵は、タミル人ではあっても仏教徒だったのではないだろうか。
シンハラ人=仏教徒 と決まっているわけではない。
タミル人=ヒンドゥー教徒 とは言い切れない。
人の信仰というのは民族で一刀両断にはできない。

ポロンナルワにはミャンマーやタイから招聘された僧も多数住んでそれぞれの宗派寺院があった。
当然、商人など一般の人々の交流もあったと考えてよい。
下はタイ様式の仏塔↓


ポロンナルワの聖域にはヒンズー教徒も多くやってきて、仏教寺院にも参拝した。
多神教というのはこういうところは気にしないのであります。
小松はインドのヒンズー寺院で神々の一人にキリストが描かれていてびっくりした。

仏教寺院に入ってきたヒンズー教徒はしかし、足元に刻まれた牛を踏むのは嫌ったのだと思われる。
聖域の入口をあらわす「ムーンストーン」↓には、ふつう牛も刻まれているのだが、
↓ここでは足で踏む場所から牛の姿ははずしてある↓

わざわざ別に刻まれた牛がすぐ横にいる↓


↓別の寺院建築では外見がヒンズー寺院に似せてあったと推察されているものもある↓これはその内部↓


13世紀には南インドのタミル人ヒンズー教徒の王朝からの侵略で放棄されてしまうが、
ポロンナルワでは多民族・多宗教で繁栄していたのが、そこここで感じられるのである。

**巨大な仏塔のまわりを歩く↓









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ヘリタンス・カンダラマの魅力②ジェフリー・バワの視点を追体験する

2017-12-30 09:59:01 | スリランカ

ジェフリー・バワが七十代の前半になって設計したのがこのカンダラマホテル
熱帯の森に埋もれている姿こそ、彼が目指した姿なのだろう↓

後にいろんなホテルに取り入れられる「インフィニティ・プール」をはじめて考えたのは彼だ↓湖に同化するような視点↓



六階のバフェレストランの入り口に、巨大なフクロウがある。友人の彫刻家ラキ・セナナヤケの作品↓もとになった小作品が、コロンボの「ナンバー11」にあるのを後日見た↓



五階ロビー周辺に置かれたオリジナルの椅子↓

↓広く開いた吹き抜けからは雨ももちろん吹き込んでくるが、それで良いと考えたのだ↓

この、開け放されたベランダ回廊は、昨年見学した国会議事堂にもそのままあってびっくりしたっけ。

何百年も前の人造湖を見下ろす巨大な岩のまわりをとりまくように建てられている。
当初、施主が考えていた建設予定地を見学にやってきた折、自らが「ここにしよう」と選んだ場所。
二階部分まで降りると自然の岩がどっしりと支えていることが分かる↓


ロビーになっている五階の奥、階段の踊り場に置かれたこの椅子によく座っていたと伝えられている↓



ここから見える景色は↓二十年前なら左手の木もまだそれほど大きくなくて視界はもっとひらけていたのではないだろうか↓


七階へ上がる階段からの視点↓ヘリタンス・カンダラマにはこれで五回目の滞在になったが、まだまだ見ていなかった視点がたくさんある


★最上階のスパの様子など、以前訪れた時の写真もごらんください

★客室内



ゆったりした風呂のバスタブに横になると、ちょうど窓からの緑が心地よく光を運んでくる↓これもまたバワの意図していた視点なのだろう↓


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