旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

フィレンツェの午後、ピサへ、夕食は妥協なく

2018-02-22 21:00:00 | イタリア
ヴェッキオ橋の真ん中にある胸像はチェッリーニという金属彫刻士のマエストロ↓

シニョーリア広場にあるこの像が修復されて戻ってきたのを見て、はじめてその腕前に気付いた↓

先月、ヴィーンで彼のつくった「サリエラ(塩入れ)」を見てあらためて認識した。
彫刻の発展は絵画よりも早い、ベルニーニの百年前にこんな作品がすでにあったのか。
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フィレンツェ大聖堂への入場は近頃大行列になるので、ツアーにも組み込まれなくなってきた




個人的にはこの洗礼堂の内部が気に入っている↓教会が出来る前はこの洗礼堂も教会本体だったのであります↓

こちらは有料だからか行列はほとんどない。また今度ゆっくり見学したいとおもいます(^.^)

*****
ご希望の方をピサへご案内↓この「奇跡の広場」を見た瞬間、だれもが「おお」っと声をあげる↓

斜塔でガリレオが重力の実験をしたという伝説がある↓
※これをアポロ15号が月で実験した話を書きました

★洗礼堂の奇跡の「エコー」ぜひ、お聞きください
※youtubeにのせた小松撮影動画、ごらんください

上階への階段は斜塔と似ている↓

上から見下ろす↓


いつもピサは時間が足りない。これだけの回数きているのに、ピサの町に宿泊したことはない。旧市街を観光したのは《手造の旅》での一回だけ。イタリア小都市めぐりの《手造の旅》はまだまだ行くべき場所がある。

******我々がピサへ行っている間、フィレンツェでアカデミア美術館を訪れた方から「ダビデ」の写真が送られてきた
この像のコピーは世界中に数限りなくあるだろう。誰もが見たことがあるだろう。小松も本物を見る前に幾度となくコピーを見てはいた。
しかし、本物を見た時の衝撃が忘れられない。

数十年前とは比較にならないほど精巧なコピーが製作可能になった現代、その気になれば素人の我々など簡単に騙されてしまう。
本物・オリジナルを見なくてはならない意味はどこにあるのか?と、時々思ってしまうのだが、
「いやいや、やっぱりホンモノでなくては伝わらないモノがあるよね」
と、このダビデ像との出会いを思い出すのだ。

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18時半、フィレンツェのホテルに帰着。すぐに、ずっとまえから好きな気軽なレストランへ↓





ホテルへ歩いていく道での夜景が美しい


ストロッツィ宮殿↓


ノヴェッラ教会↓


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フィレンツェ、ヴェッキオ宮殿

2018-02-22 13:00:53 | イタリア
フィレンツェ市庁舎が入った塔のあるヴェッキオ宮殿。ここを見学するツアーは、ウフィッツィ美術館に比べてびっくりするほど少ない↓

今回、ひさしぶりにガイドさんにご案内いただいた。
入口前庭↓

ここに置かれている「イルカを抱く天使」像はもともとこの場所のためのものではないが、ちょうどよくおさまって見える。宮殿内部に展示されたホンモノがこちら↓

作者はダ・ヴィンチの師匠であったヴェロッキオ。つまり15世紀の後半の作品。とすれば、今の目でみるよりもずっと先進的で新鮮な作品に見えていたことだろう。

いちばん大きな五百人広間↓

映画「インフェルノ」で主人公たちが走り回っていた天井裏を見上げると↓

中央には初代公爵コジモ一世メディチ↓

この人、どの肖像を見ても印象的な意志の強そうな顏をしてます。父親のジョヴァンニ似なのかしらん

大広間の大きな壁にダ・ヴィンチとミケランジェロの壁画対決が計画されていたが実現されなかった。現在のヴァザーリが描いた絵の中に「Cerca trova(探せば見つかる)」という文字があり、これは絵をはがせばダ・ヴィンチの未完作品が隠れている暗示だと言われている。近年ファイバースコープで調査が実施され、あらためてその可能性ありとされたが、剥がせません(^.^)

この大広間から、とても小さな「フランチェスコ一世の秘密の小部屋」に入る入口がある※こちらに少し載せました


広間に置かれたミケランジェロの彫刻「勝利」↓

いろいろな解釈がされているが、若者に組み敷かれた老人はミケランジェロ自身だとするものが多い。
もともとは法皇ジュリオ二世(システィーナ礼拝堂の天井を描かせた人ですね)の墓碑のために製作をはじめた群像彫刻のひとつになる予定だった。

**居室群に入っていく~16世紀の公爵コジモ一世メディチが百年前の先祖に敬意を表して装飾している
メディチ家を隆盛に導いた名君に敬意を表して最初に
●コジモ・イル・ヴェッキオの部屋↓

現在のフィレンツェからも彼が貢献した様がしっかりかんじられる。
メディチ家の菩提寺となるロレンツォ教会の建設現場で、建築家ブルネレスキとミケロッツォがコジモの前にモデル模型を見せている図↓

いちばん左端でこちらを見ているのは彫刻家のドナテッロ。
二人は良き友人で、現在ロレンツォ教会ですぐ近くに葬られている。

コジモは身分としては一般市民だった。1433年の政変で有罪となりこのヴェッキオ宮殿の塔にある牢獄に幽閉された。死罪をまぬかれてヴェネチアへ亡命↓


ボローニャのベンティボーリオ家が復位するのを助ける図↓

下にある肖像はコジモの父、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ

メディチ家の赤い丸薬の紋章も、この時期には二つ多い八つ↓


●ロレンツォ・イル・マニーフィコの部屋↓

ここに入ると紋章も彼の時代の三角形・六つ玉になる↓

↑フランス王家に貸した金のかわりに使用を許されたという青地に白いユリの玉もひとつある
天井中央に、各国大使からの贈り物にかこまれたロレンツォ↓

すぐ目の前に差し出された赤い帽子↑は、次男のジョヴァンニが枢機卿に任命されたことを表す。後の法皇レオ十世となる人物。
↓ナポリ王フェルディナンドと手をとりあうロレンツォ↓

↑メディチ家に対するいわゆる「パッツィの反乱」(1478年4月26日)を鎮圧した後も、ローマ法王と周辺諸国がメディチ家に対する包囲連合を構築する。それを打開するため、ロレンツォは単身ナポリへ赴き自ら囚われ、ついにはフェルディナンド王の信頼を得て事態を打開するに至った。29歳のロレンツォの転機を描いている。
誰が見ても美男とは言い難かったという彼の顔、ちゃんと描かれております(^.^)顔ににあわず、頭も性格も良かった。逆でなくてよかった。

次の●レオ十世の部屋の床はなんとオリジナル↓

壁の絵よりもこちらの美しさに目を惹かれる↓


****ここから先は順不同、記憶に残ったものをメモしておきます

先ほどの「五百人広間」にてダ・ヴィンチが描きかけていたという絵の模写のコピーがある↓

これ、本物は1992年に日本の富士美術館が正当に所有することになったが、イタリアへ寄贈した。
※仔細はこちらに書かれていました

※その経緯によりこういう特別展を開催することが出来るのだ

*****フィレンツェ生まれのダンテ、政変により亡命してラヴェンナで亡くなっている↓

役人・外交官のひとりだったマキャヴェッリの胸像もある↓




もともとは外に置かれていたドナテッロの「ユディート」↓







個人的に、しっかり予習してからまた訪れたい場所だ。
コジモ・イル・ヴェッキオが幽閉されたという塔の監獄部屋まで見学できるツアーへも、参加してみたい。いつ?
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夕暮れのフィレンツェ到着、翌朝のウフィッツィ美術館

2018-02-22 10:10:10 | イタリア
ちょうど夕暮れがはじまる時間にフィレンツェを見晴らすミケランジェロ広場についた↓

アルノー川の両岸にひろがる旧市街↓




駅の目の前のホテルにチェックイン↓

バスは目の前に止まりにくいが、今回はこの立地がとても重要。
だいぶ以前に泊まったことがあったが、ぐっとモダンに改装されていた↓


歩いて、近くのバリオーニホテルの最上階レストランへ夕食に↓
  

*****
翌朝、予約のあるウフィッツィ美術館まで歩いていく。ノヴェッラ教会↓


市場に置かれた有名なイノシシの像↓


市庁舎のあるヴェッキオ宮殿↓


ウフィッツィ美術館09:15予約入場↓
以前は写真撮影禁止だったが今はOK、あれはなんだったんだ?↓


最初の部屋の主役はジョットなのだが、だいぶ以前にシエナに滞在して「マエスタ」に感激してから、ドゥッチョの作品が好きになった↓

遠近法の上手下手をルネッサンスの魅力に数えるかどうかは知らないが、それを超えてこの聖母の衣の表現は美しい↓


ウッチェロの三部作のひとつ↓

最初に見た時にはその魅力がよくわかっていなかった気がする。
今の自分におもしろいのは、こういう動物の表現。現代のプリント柄にも合うのではないかいな↓



↑ボッティチェリの作品によく登場する同じ顏の女性は、誰なのだろう?

↓★「トリブーナ」と呼ばれる部屋は、16世紀のオリジナルの姿を留めているとされる数少ない場所↓
以前は絨毯通路で中へ歩みいることができたが、今は外から見る↓入れなくなることによって、すばらしい床モザイクの全貌が見られるようになった↓

この部屋の神髄を知るには上を仰ぎ見なくては↓

真珠貝を貼った輝くドーム↑
丸い壁の部分を拡大するとここにも螺鈿のような輝きが↓


この部屋をつくらせたフランチェスコ一世メディチはなかなかに個性的な人物だったようだ。となりのヴェッキオ宮殿内にある彼の「秘密の小部屋」をあとで見せていただいた



***
ミケランジェロの数少ない絵画作品、ドーニ家の結婚祝いの絵↓

やっぱり額縁の彫刻のほうに目が惹かれてしまいます↓


ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」は、先日ドイツのドレスデンでジョルジョーネの「ヴィーナス」を見たばかりだったのであらためて意識した。
先輩ジョルジョーネの描いたヴィーナスを完成させた経験が、二十年以上後にもこうして画面に影響を与えずにはおかなかったのだ↓

※こちらのドレスデンの日記に載せております、比較してみてください

***
カラヴァッジョの「メドゥーサの楯」

「バッカス」


★ウフィッツィ美術館の展示環境、ここ十年で大きく進歩しておりました。別に書きます。

****
ガリレオ七十一歳の肖像↓

後のコジモ二世メディチの数学の家庭教師をやったこともあり、メディチ家は彼の庇護者だった。

以前、ローマのアンジェリ教会でやっていた「ガリレオ・神のような人」という展示を思い出した。
午後に訪れるピサが楽しみになった。




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