旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

二度目のハリファックス

2019-10-19 18:06:33 | カナダ
ハリファックスの古い波止場で。
モード・ルイスの絵を背景に、今回の旅メンバーが額におさまった(^.^)

1970年に亡くなった彼女は、若年性関節リュウマチで身体が小さく美術教育もうけなかったが、幸せに生きたと言えるのだろう。彼女の生涯は、2018年に「幸せの絵の具~愛を描く人」という題名で映画になっていた※公式サイトの予告編を見ることができます
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前日、羽田空港からトロントを経由してハリファックスに入った。

午後六時半にトロントの空港を離陸

トロントのダウンタウンにCNタワーが見えた


翌朝、ホテルの部屋からハリファックスの深い入り江が朝日に輝いている

穏やかに晴れた日曜日の朝。
三十五キロに切れ込んだハリファックス入り江の入り口へドライブ↓

大西洋岸に面したこのあたりはケベックよりも温暖で紅葉の時期も少し遅い。
1749年にイギリスによって建設されたこの町にはイギリス風の公園もそろっている↓
↓ヴィクトリア女王公園

↓あづまやはヴィクトリア女王の即位五十周年を記念してつくられたものだなのだそうだ

小さな池にはタイタニック号もうかんでいる↓

↓ハリファックスは1912年の事故の時、いちばん近い港だったので(それでも千五百キロ離れている)救助船が向かい、多くの遺体も埋葬された。あの映画「タイタニック」のモデルになったとされる人物の墓もある。

↓今回のドライバー、ピエールさんと今日のガイドのドナさん↓

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再開発された桟橋地区へ

ここは荒れた港湾地区だったのだというが、今は人気のコンドミニアムがならぶエリアになった。

そこで、冒頭のモード・ルイスの額縁にであったのだ↓

↓21番桟橋では1972年までこのエリアへの移民たちが検査をうけていた↓ニューヨークのエリス島にあたる場所だ↓今は移民博物館になっている↓

この近くに近年おかれたこの像は、「とらさん」ではない↓

夢と希望を胸に、ヨーロッパに家族を置いてやってきた移民労働者をあらわしている↓

ほんの半世紀前まで、いや、今でもカナダはこういう成り立ちの国なのだ。
それを、忘れないためにこういう像はたてられる。

↓一角のビルの前にこんな旗がひるがえっていた↓

ローカルガイドさんも??とのことだったが、あとで調べてみるとミックマク族の議会がここにあって、そのシンボル旗だった。
初期のフランス人移民が越冬で飢え死にしそうになった時、先住民のミックマク族の助けがあってのりきったのだ。今は五つの「保護区」に四万五千人が暮らしている状況だけれど、彼らこそがネイティブ・カナディアンなのである。

きれいな空色に塗られたのはエイモス・ピューターというお店↓

今日午後に訪れるマホン・ベイに1974年に創立された会社
↓ノヴァ・スコシアらしいこんなデザインのしおり


日本語を勉強してますという店員さん


↓アレキサンダー・キースという地元のビール会社


ハリファックスの要塞で、正午の大砲「ヌーン・ガン」を見よう



コメント
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