旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

「赤毛のアン」はロブスターを食べない

2019-10-23 18:00:00 | カナダ
たべはじめると、ぴたりと会話が止まった。

今回の旅、三軒目にして、やっとほんとうにおいしいロブスターに出会えた。
一心に食べる我々にむけて、となりのテーブルからびっくりしたような笑い声がきこえてきたほど↓

この三軒目に出会わなければ、その前の二軒だって「それなり」においしいロブスターではあったのだ。
でも「これを食べにまたプリンス・エドワード島に来たい!」と昨年の旅メンバーが言った意味は分かってもらえなかっただろう。

「明日またきてもいいねぇ…」
ほんとに予約してから店を出た(^.^)

ここは他のメニューも充実しているのを、翌日夜に堪能してしっかり理解した。
クラムチャウダーは具がたっぷり

↓ムール貝も前の店より大きな身

↓牡蠣はこぶりだが味わい良し

ハリファックスを出た日にペギーズ・コーブ灯台近くで食べたロブスターロールもアンコール

↓焼いたホタテ!ああ、これももう一度食べたい

来年、もう一度来るしかないか(笑)
**
こんなにおいしいロブスターなのに、「赤毛のアン」の中にはまったく出てこない。
なぜだろう?

あの物語が描かれた二十世紀はじめ、ロブスターは嵐の翌朝海岸でたくさん拾える貧民の食べものだった。
学校にロブスターのサンドイッチを持っていくとみんなに笑われるので隠して食べるほどに。
※ピーナツバターを塗ったサンドイッチの子がうらやましがられた

作者のモンゴメリー夫人は、登場人物のアン・シャーリーのような孤児ではなく、祖父が議員をやっていてマクドナルド首相の到着を迎えにでるほど裕福な家庭に育った。
設定はともあれ、ファンタジーの主人公アンが貧民の食べ物を食べる場面は必要ないと思ったのだろう。
そういう意味でも、上手な作者である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年、改修が終わった「グリーン・ゲイブルズ」

2019-10-23 12:00:00 | カナダ
2018年の10月に訪れた時、工事用の塀に覆われ↓「2019年春に開館します」と書かれていたのだが…

※2018年に訪れた時の様子はこちらからご覧いただけます

開館したのは2019年の観光シーズンも半分終わった8月だったそうだ↓…

展示は整理され、見やすく分かりやすくなっている。

「アン」を執筆したとされるタイプライターは、左小指の「A」がみえなくなっている。


グリーン・ゲイブルズ本体は↓10月半ばを過ぎて空いていた

夏場には行列で入るのに三十分以上待たされることもめずらしくない。
シーズンを少しはずして訪れる方が良い事多いとおもうのです。

この家はもともとモンゴメリー夫人の祖父のいとこが住んでいた。

↑彼らのは養子の女の子をもらっていたそうで、こういうところも「アン」のアイデアに使われているのかもしれない。
↓現在の家の内装は、「アン」の物語に沿ってディスプレイされている

↓台所の棚には「いちご水」とか


昨年歩いた「恋人たちの小道」は、台風による倒木で通行止めになっていた↓

↓今年は「おばけの森」を歩きましょう(^.^)

秋は盛り


↓モンゴメリー夫人が通っていた小学校はこの階段の上にかつてあった

↓「おばけの森」にはこんなおもしろいかたちの木々がある

それにしても倒木が多い↓

日本で台風19号が首都圏を直撃していた頃、ここでも台風「ドリアン」が暴風雨で木々を倒していた

**
モンゴメリー夫人が通っていた教会はそのまま残っている↓


長じて、ここに赴任した牧師さんと結婚してマクドナルド姓になるのだが、ペンネームはそのままだった。
本人はミドルネームの「モード」で呼ばれるのが好きだったのだそうだ。

↓すぐちかくにある郵便局は彼女が働いていた当時のものではないが、似たものを移築している↓今年はもうシーズンが終わってクローズしております

家々がこれだけ離れていると郵便配達も楽じゃない。
私書箱がまとめてあるのです↓


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アカディアン」のルスティコ 農業銀行とロブスターのとれる海

2019-10-23 10:14:08 | カナダ
「赤毛のアン」の住むアボンディのモデルとなったキャベンディシュのすぐ南に、ルスティコというフランス人の村があった。

当時(二十世紀はじめ)のプリンス・エドワード島には今よりももっとフランス語を話す「アカディアン」と呼ばれる人々が暮らしていたのである。
ルスティコに入植していた人々の様子が再現されている


1863年に彼らの為の農業銀行を設立したジョルジュ・アントワーヌ・ベルクールという神父がいた。

いかりや長介に似たこの風貌。少し欧米人らしくないところがある。
ケベック生まれで、若いころから先住民の言葉を率先して学び、未開の西部にも熱心に布教をしてまわっていた。
年譜を読んでいくと、虐げられた先住民と先住フランス系住民のためにかけまわっていたのがわかる。

この写真がはまっているのが、まさにそのルスティコ農業銀行だった建物

昔も・今でも、カナダ最少規模の農業銀行だった。


千二百ポンドの資金をもとに、地元の農民たちが協力しあって運営していた。
共通の「紙幣」もつくって流通させていたという。

互助会のような組織だったのかもしれない。
後には学校もひらかれたそうだ。

ルスティコには五十代後半にやってきた。
情熱的で好奇心にも富んだ人物だったらしく、島ではじめて自動車に乗り・はじめて交通事故を起こしもした。

彼はカトリックの聖職者だったから、となりにある教会をベースにしていた。

今回、プリンスエドワード島に残る古い教会をいくつも訪問したが

長崎・五島列島にある明治から昭和初期にかけての教会と同じ雰囲気を感じた。
海辺にある、木造の教会。かつてはもっと多くの信者たちが支えていた、衰退してゆくコミュニティ。
共通点がある。

**帰国後に調べていたら、2013年にこんなトラブルがあったことがわかった。
※こちらから現地の新聞ホームページにとびます
ルスティコのすぐ南にはアングロ・ルスティコというもっと小さなコミュニティがある。
この地名看板は、以前「ルスティコにようこそ」だったのだが、それが行政によって「アングロ・ルスティコ」に突然変えられてしまった。

住民がこれに怒った。
「アングロ・ルスティコ」と無機質に書かれてしまうと、ここがルスティコではあるがフランス人のつくったまちではなく(※ルスティコというのはこの町を最初に建設したフランス人の姓からきている) 英国系アングロ・サクソンの人々の村だと感じられるてしまうから。
※英語で「アングロ~」と表記されると、そこには「イングランド人の~」という響きがあることを、この夏にアイルランドを訪れた時に理解した。
すなわち「アングロ・アイリッシュ」というと、「アイルランドだけれどイギリス人の~」と感じられる。
ここで「アングロ・ルスティコ」は「フランス人がつくったけれどイギリス人が住む~」をいうニュアンスになる。


***
ノース・ルスティコの浜にやってきた

灯台と漁師の家がならんでいる

↓このあたりはロブスター御殿(^.^)

小さな浜は固く締まっていて車がそのまま入れる

ロブスター漁で実際に使うカゴがつみあげられていた↓

↓間近にみると様子がよくわかる

捕って良い大きさが決められていて
それより小さいサイズはこの穴から逃げられるように開けられている↓

測るためのゲージが古くなって一ミリ大きすぎただけで巨額の罰金を科された人もあったのだそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする