日本遺産
六甲山のふもと「灘五郷」は
東西12㎞のエリアで日本の酒の四分の一=1.1億リットルを生産している↓と解説されていた。
6/30
ローマの説明に六甲道駅近くに伺ったら、逆に灘の酒蔵を四軒も案内していただいた。
最初は「福寿」
ノーベル賞の晩餐会で出される日本酒に選ばれた
※リンクします
併設のレストランでお昼をいただいた時に「濁り酒」を注文した。
醸造酒というものははじめは濁っている。
日本酒も江戸時代初期に伊丹で偶然「澄み酒」⇒清酒ができてから今のような日本酒になった。
※伊丹の鴻池での話を載せた「富翁」のページにリンクします
**
二軒目は「白鶴」
外国語の案内がずらりとならび
実物大の人形も設置されて行程がわかりやすく説明されている。
団体バス受け入れ態勢もしっかりしている。
冒頭の日本遺産の写真も白鶴の展示より
***
三軒目は「菊正宗」
↓「昭和十五年新調」と書かれた巨大な絞り器
ここで絞って何も手を加えない「生原酒」を味見させていただいた
度数は強くても飲みやすい。
二階の展示室で↑「貧乏樽」「貧乏徳利」なるものが展示されていた↑
調べてみると、一升(約1.8リットル)以下の酒の入れ物をそう呼んでいたのだそうだ。
****
四軒目は「浜福鶴」
酒の命はやっぱり水↑
四つの酒蔵でいろいろ試飲してきたが↑最後にこの「秘蔵酒」を↑
「絞る」のではなく「したたる」酒はつまり、
オリーブオイルにたとえればファースト・プレス以前のもの。
たしかに、別格の味わいだった。
最後の最後に
ソフトクリームもお勧めです(^^♪
****
灘中・灘高は三つの酒蔵が共同出資して創設した学校。
※ビジネスジャーナルのページにリンクします
フランク・ロイド・ライト設計の「ヨドコウ迎賓館」の施主も酒蔵の主。
※HPにリンクします
六甲山の恵みが灘に文化を育んできたのだと知った。
****
1995年(平成七年)の阪神大震災の震源地は灘五郷に近い。
60あった蔵元は29に半減したと解説されていた。
六甲山のふもと「灘五郷」は
東西12㎞のエリアで日本の酒の四分の一=1.1億リットルを生産している↓と解説されていた。
6/30
ローマの説明に六甲道駅近くに伺ったら、逆に灘の酒蔵を四軒も案内していただいた。
最初は「福寿」
ノーベル賞の晩餐会で出される日本酒に選ばれた
※リンクします
併設のレストランでお昼をいただいた時に「濁り酒」を注文した。
醸造酒というものははじめは濁っている。
日本酒も江戸時代初期に伊丹で偶然「澄み酒」⇒清酒ができてから今のような日本酒になった。
※伊丹の鴻池での話を載せた「富翁」のページにリンクします
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二軒目は「白鶴」
外国語の案内がずらりとならび
実物大の人形も設置されて行程がわかりやすく説明されている。
団体バス受け入れ態勢もしっかりしている。
冒頭の日本遺産の写真も白鶴の展示より
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三軒目は「菊正宗」
↓「昭和十五年新調」と書かれた巨大な絞り器
ここで絞って何も手を加えない「生原酒」を味見させていただいた
度数は強くても飲みやすい。
二階の展示室で↑「貧乏樽」「貧乏徳利」なるものが展示されていた↑
調べてみると、一升(約1.8リットル)以下の酒の入れ物をそう呼んでいたのだそうだ。
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四軒目は「浜福鶴」
酒の命はやっぱり水↑
四つの酒蔵でいろいろ試飲してきたが↑最後にこの「秘蔵酒」を↑
「絞る」のではなく「したたる」酒はつまり、
オリーブオイルにたとえればファースト・プレス以前のもの。
たしかに、別格の味わいだった。
最後の最後に
ソフトクリームもお勧めです(^^♪
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灘中・灘高は三つの酒蔵が共同出資して創設した学校。
※ビジネスジャーナルのページにリンクします
フランク・ロイド・ライト設計の「ヨドコウ迎賓館」の施主も酒蔵の主。
※HPにリンクします
六甲山の恵みが灘に文化を育んできたのだと知った。
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1995年(平成七年)の阪神大震災の震源地は灘五郷に近い。
60あった蔵元は29に半減したと解説されていた。