2020年の日本との繋がりに注目する台湾の旅への下見
成田空港から直行便で高雄へ、午後四時前に到着。

すぐに竹田駅へ向かった。
1919年、日本統治時代に建設された駅で、当時は最南部だった。

当時の駅名は「頓物駅」だったが、1920年に路線が延長されて荷物がここで乗降されなくなり改名。
竹林と田んぼが多いからという単純な命名。
↓2013年に高架化されたので今は使われなくなったが、当時そのままの改札がのこされている↓

南部開発の拠点だったこの場所に住んだ日本人たちが使った日本式の風呂が、駅前広場の建物に残されている↓

↑地下水をくみ上げてトイで誘導していった先には
↓お風呂ですね

↓駅舎に向かって右側に移築された小屋が「池上一郎文庫」↓

軍医であったが地元の人々も分け隔てなく診療して感謝され、戦後には日本から書籍を集めてこの日本語図書館を贈った。
※「池上一郎文庫」についてはこちらに書かれております
**
竹田駅から台湾鉄道に乗る↓
↓電子パスがここでも便利


高架となっているホームからの眺め↓
↓高い木は椰子だがその下にある椰子に似た木は「ビンロウ」なのだそうだ。

↑最近はその下にコーヒーの木を植えるのだそうだ。
↓遠くに高雄85スカイタワーホテルのシルエットが見えた。今年二月の《手造の旅》ではあそこに泊まったが、その後経営が変わって現在は営業していないそうな。



川にかけられた鉄橋は途中で途切れている↓

↑近年の台風で流されたそうだが、すでに高架化で使われなくなっていたので今は観光のためにあの先端まで歩けるのだそうだ。
九曲堂駅で降りてパイナップル工場跡の資料館を訪ねた
※こちらに書きました
パイナップル産業の重要さを知ってから再び鉄道に乗り高雄方面へ
三塊厝(さんかいせき)駅で降りる↓ここにも日本時代の駅が保存されていた

1908年に高雄港の港湾駅として開設されたが1985年に一度廃止。高架になった2013年に再開。
かつて港が近かったので、駅の近くは今も大きな市場となっている。

今日はもう遅いので人影は少ないが、それでも乾物屋がたくさん営業していた↓





成田空港から直行便で高雄へ、午後四時前に到着。

すぐに竹田駅へ向かった。
1919年、日本統治時代に建設された駅で、当時は最南部だった。

当時の駅名は「頓物駅」だったが、1920年に路線が延長されて荷物がここで乗降されなくなり改名。
竹林と田んぼが多いからという単純な命名。
↓2013年に高架化されたので今は使われなくなったが、当時そのままの改札がのこされている↓

南部開発の拠点だったこの場所に住んだ日本人たちが使った日本式の風呂が、駅前広場の建物に残されている↓

↑地下水をくみ上げてトイで誘導していった先には
↓お風呂ですね

↓駅舎に向かって右側に移築された小屋が「池上一郎文庫」↓

軍医であったが地元の人々も分け隔てなく診療して感謝され、戦後には日本から書籍を集めてこの日本語図書館を贈った。
※「池上一郎文庫」についてはこちらに書かれております
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竹田駅から台湾鉄道に乗る↓
↓電子パスがここでも便利


高架となっているホームからの眺め↓
↓高い木は椰子だがその下にある椰子に似た木は「ビンロウ」なのだそうだ。

↑最近はその下にコーヒーの木を植えるのだそうだ。
↓遠くに高雄85スカイタワーホテルのシルエットが見えた。今年二月の《手造の旅》ではあそこに泊まったが、その後経営が変わって現在は営業していないそうな。



川にかけられた鉄橋は途中で途切れている↓

↑近年の台風で流されたそうだが、すでに高架化で使われなくなっていたので今は観光のためにあの先端まで歩けるのだそうだ。
九曲堂駅で降りてパイナップル工場跡の資料館を訪ねた

パイナップル産業の重要さを知ってから再び鉄道に乗り高雄方面へ

三塊厝(さんかいせき)駅で降りる↓ここにも日本時代の駅が保存されていた

1908年に高雄港の港湾駅として開設されたが1985年に一度廃止。高架になった2013年に再開。
かつて港が近かったので、駅の近くは今も大きな市場となっている。


今日はもう遅いので人影は少ないが、それでも乾物屋がたくさん営業していた↓




