2011年4月《手造の旅》ギリシャより
アテネに到着しすぐデルフィまで移動して泊まった。
デルフィはパルナッソス山の斜面に位置している。
遠くに見えるイテアの港まで「オリーブの海」が地面を埋め尽くしているのが見えた↓
かつて、デルフィの「アポロの神域」へ詣でる人々の多くはあの入江から歩いてきたのだろう
デルフィの村は19世紀末まで神域が破壊されたあとの遺跡の真上にあった。
が、フランスが発掘するにあたりまるごと近くに移転させ、今日我々が泊まる新しい村ができた。
夕暮れの村を歩く↓
村の教会↓
ギリシャらしいフェタチーズとオリーブのサラダ
↓このミニコロッケは豆でできている
**
翌日、デルフィの神域へ↓ここがその中心となる太陽神アポロの神殿↓
ギリシャ世界指折りのお告げを授けてくれる場所だった
↓その巫女が出入りしたと推察されている↓いわば楽屋口
↓神殿の基礎となる石垣は不規則ゆえに地震が多いギリシャでも現代までそのままだ↓
↓神殿の石垣表面にはびっしりと髪への約束事が刻まれている↓
奴隷の解放を約束した文章などだと、すべて解読されている
↓神殿の周囲にはギリシャ世界の都市国家が競って奉納した宝物庫の後がみつかった
★アルゴスという都市国家が奉納した「クレオビスとビトン」の像が有名
※これについてこちらに書きました
デルフィの博物館は大きくはないが見所がぎっしり↓これはアポロがカラスを黒くした話が描かれた小皿↓
↓焼けて黒くなった象牙製のアポロ神の顏↓
デルフィの神域はキリスト教時代のローマ皇帝テオドシウスによって紀元後390年に閉鎖された。
多くの神像は焼かれたり壊されたりしたのだろう。
石像に比べ、ブロンズ像は圧倒的に残っていない。溶かされてしまうから。
そんななかで、ギリシャ時代屈指の秀作である「デルフィの御者」が地中に埋まって難を逃れたのは幸運だった
↓紀元前五世紀半ば、アポロ神に捧げて開催されたピティア祭のレースで優勝した御者がウィニングランをしているところ
↓四頭立ての馬車を操りながら、顔を少し聴衆の方にむけている
彼の前方には実物大の馬のブロンズ像もあったと思われる。
※実際に1896年に発掘された時にその破片と思われるものもみつかっている。
馬が引く車の上に立っているの足先にはちゃんと力が入っている↓
細部への描写は驚異的。ガラス製の生けるが如き瞳、その周辺のまつ毛※Wikiの頁へとびます
背中にはたすきが回されていたのだろう↓
若き御者の名前はわかっていないが、奉納者の名前が台座にのこされていた。
「ゲラの君主ポリザロス、アポロに捧ぐ」
地中海世界のブロンズ像はギリシャオリジナルがローマ時代に石像としてコピーされてそれが現代に伝えられているものが多い。
古代ギリシャのオリジナル・ブロンズ像がこれだけの精度で展示されているのは稀有なことである。
とはいえ、発掘されて百年以上展示され続けてだんだんと緑青がかった色に変ってきたという話もある。
アテネに到着しすぐデルフィまで移動して泊まった。
デルフィはパルナッソス山の斜面に位置している。
遠くに見えるイテアの港まで「オリーブの海」が地面を埋め尽くしているのが見えた↓
かつて、デルフィの「アポロの神域」へ詣でる人々の多くはあの入江から歩いてきたのだろう
デルフィの村は19世紀末まで神域が破壊されたあとの遺跡の真上にあった。
が、フランスが発掘するにあたりまるごと近くに移転させ、今日我々が泊まる新しい村ができた。
夕暮れの村を歩く↓
村の教会↓
ギリシャらしいフェタチーズとオリーブのサラダ
↓このミニコロッケは豆でできている
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翌日、デルフィの神域へ↓ここがその中心となる太陽神アポロの神殿↓
ギリシャ世界指折りのお告げを授けてくれる場所だった
↓その巫女が出入りしたと推察されている↓いわば楽屋口
↓神殿の基礎となる石垣は不規則ゆえに地震が多いギリシャでも現代までそのままだ↓
↓神殿の石垣表面にはびっしりと髪への約束事が刻まれている↓
奴隷の解放を約束した文章などだと、すべて解読されている
↓神殿の周囲にはギリシャ世界の都市国家が競って奉納した宝物庫の後がみつかった
★アルゴスという都市国家が奉納した「クレオビスとビトン」の像が有名
※これについてこちらに書きました
デルフィの博物館は大きくはないが見所がぎっしり↓これはアポロがカラスを黒くした話が描かれた小皿↓
↓焼けて黒くなった象牙製のアポロ神の顏↓
デルフィの神域はキリスト教時代のローマ皇帝テオドシウスによって紀元後390年に閉鎖された。
多くの神像は焼かれたり壊されたりしたのだろう。
石像に比べ、ブロンズ像は圧倒的に残っていない。溶かされてしまうから。
そんななかで、ギリシャ時代屈指の秀作である「デルフィの御者」が地中に埋まって難を逃れたのは幸運だった
↓紀元前五世紀半ば、アポロ神に捧げて開催されたピティア祭のレースで優勝した御者がウィニングランをしているところ
↓四頭立ての馬車を操りながら、顔を少し聴衆の方にむけている
彼の前方には実物大の馬のブロンズ像もあったと思われる。
※実際に1896年に発掘された時にその破片と思われるものもみつかっている。
馬が引く車の上に立っているの足先にはちゃんと力が入っている↓
細部への描写は驚異的。ガラス製の生けるが如き瞳、その周辺のまつ毛※Wikiの頁へとびます
背中にはたすきが回されていたのだろう↓
若き御者の名前はわかっていないが、奉納者の名前が台座にのこされていた。
「ゲラの君主ポリザロス、アポロに捧ぐ」
地中海世界のブロンズ像はギリシャオリジナルがローマ時代に石像としてコピーされてそれが現代に伝えられているものが多い。
古代ギリシャのオリジナル・ブロンズ像がこれだけの精度で展示されているのは稀有なことである。
とはいえ、発掘されて百年以上展示され続けてだんだんと緑青がかった色に変ってきたという話もある。