旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

メテオラ~天空の修道院

2020-04-15 22:02:04 | ギリシャ
2011年4月《手造の旅》ギリシャより
にょきにょきのびた岩山の上に修道院が建てられている。

ギリシャは内陸に行けばけっこうな山国。メテオラ岩塊の最高標高は千メートルに至る。
周辺はヤギも放牧されている。ホテルのすぐちかくでも↓




カランバカは山脈から平野にながれこんでゆく川が作りだした地形。
もともとの地面はにょきにょきのびた岩山の高さにあったということ。

固い地質だけをのこして川が洗い流してこの形状になった。

**

神との対話を真剣に追い求める者はいつも孤独に向かう。
西暦九世紀、すでにギリシャ正教の修道院が多く集まっていたアトス山を離れた修行僧がメテオラ岩塊の割れ目に登り、住みついた。
↓今もそういった場所はこんな風に祀られている↓

当時は岩塊の修道院は存在せず、隠者たちは平地にあるドゥピアニ教会(※今も存在する)に定期的に集まっていた。
14世紀ごろからトルコの侵攻がはげしくなり、数も増えていた修道士たちは岩塊の上に修道院を建設することにした。
セルビアの皇子が求めてここで隠者となり聖人となったこともあり、セルビア王国の庇護も厚かった。

最盛期には二十四もの修道院が岩塊の上で活動していたが、現在は六ヶ所のみ。
そのうちで最も古くもっとも規模の大きいのがメガロ・メテオロン修道院↓

↑いちばん下の穴から階段を登っていくが、1920年より以前は階段はなかった。
いちばん上のつり上げ機をつかって入るしかなかった。
↓他の修道院も同様


メガロ・メテオロンの入口への階段

登ると周りの景色が見えてくる

修道院へ入る女性は長いスカートでなければならない↓
↓こんなのを貸してくれます

自給自足の生活をしていた彼らの生活の中心はもちろん教会
14世紀後半から増改築を繰り返してきた


だが、トルコからの独立戦争を支援していたギリシャ正教という側面からの博物館も併設されている↓

ギリシャ民族はローマに飲み込まれたあと19世紀はじめまで国を持つことがなかったので、ロシアなど各地にギリシャ人のコミュニティをつくって彼らの生活と宗教を守っていた。
独立戦争の時に、そういった共同体が小さな国をつくっていき、それらが統合して現代ギリシャが形成されていったのだ。

オスマン・トルコの首都イスタンブールにはギリシャ正教の総主教がいたが、独立戦争に加担したとされミサに踏み込んだトルコ兵によって絞首刑にされてしまった↓※今もその教会の扉はある。黒く塗られ溶接されて誰も通ることはできない。


アテネに戻る

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デルフィの神域と青銅の御者像 | トップ | アテネに一泊して、翌日クル... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。