10世紀のカイロに建設されたムイッズィ通りでは職人ごとに住む地区が決められていた。
今もその流れは引き継がれている。中心部のエリアは金属加工業↓
路上実演中
↓手作りのモノは裏返して見るとわかる↓
↓これはモスクのドームの上につけるモノ。なんでもあるんですな。
↓水タバコのセットも
水道のなかった当時の大事な水場↓
↓すぐ目の前のスルタン・カラウンのマドラサ(学校)入口は↓アッコンにあった教会の入口をそのまま持ってきてしまったのだそうだ↓
↓そう言われてみれば確かに教会↓
●1125年に建設されたアル・アクマル・モスク↓
↓入口いちばん上には寄進した支配者の言葉が刻まれている↓
「慈悲深き神の名においてこれを建築したのは…」と
モスク内部へ↓
↓小さいけれど静かな空間
↓メッカの方向を示す
↓この仕切り版みたいなものは何?
ガイドさんに訊ねてもらうと、壁際に座って礼拝に参加するお年寄りの前に礼拝のスペースを確保するために工夫されたものなのだそうだ
●ハマム
小さな部屋がたくさんある蒸し風呂