「今日の今日まで死ぬことしか考えていませんでした、
しかしこの絵を見て、明日から生きていけそうな気がします」
17才の高校生が感想ノートに残した言葉を紹介してくださった佐喜眞さん。
命の極限を描いたおどろおどろしい絵から
「生きろ」というメッセージをうけとる人がいる。
※「佐喜眞美術館について」のHPにリンクします
原爆の惨状を描いた丸木夫妻は、世界中から請われて巡回展をした。
そこで世界中の戦争体験者と出会い、日本が空襲=戦争体験だと誤認していることを憂慮した。
「地上戦の悲劇を知らない人々は、また戦争をするのではないか」
沖縄の地上戦を描き遺しておかなくてはならないと思い、移住して描きはじめた。
十年かけて完成した14の大作は佐喜眞さんに託された。
※今回ちょうど14作全部を展示している。
その後十年の苦闘を経て、
アメリカ軍から土地を返還させてできた美術館である。
↑普天間飛行場の航空写真↑右の赤い矢印が美術館。基地に食い込んだカタチになった佐喜眞さんの先祖の土地だった。
↑今、先祖の亀甲墓も美術館の敷地になっている。
↑その存在感は圧倒的。
どっしりと、この場所の変遷を見守ってきたのだ。
↓今日も修学旅行のバスがやってくる
↑白い建物の左端に見える階段から美術館屋上に出ると↓
最上部への階段は6段と23段。
沖縄の組織的戦闘が終わった6月23日を表している。
この日に太陽が正面から差し込むように設計されている。
普天間飛行場と、周辺の未返還地の森に
埋もれた村の跡があるのがわかる。
*
戦争を記憶する施設はたくさんある。
沖縄のツアーなら南部戦跡や「ひめゆりの塔」を訪れるだろう。
だが、とおりいっぺんの解説で定番の戦跡を訪れても
なにかが足りないと思っていた。
沖縄に来たら「戦争」にふれずにはすまないけれど、
とうりいっぺんの場所を組み込んで
「わかった顔」をする旅にしたくなかった。
そんな時、佐喜眞美術館を訪れる機会をもった。
戦跡でなくても、
丸木さん夫妻の作品と向き合って佐喜眞さんにお話してもらえる時間をもちたいと思った。
これが今回の《手造の旅》沖縄のはじまりにある。
参加していただく皆さんには出発前に、佐喜眞さんのブックレット「アートで平和をつくる」を読んでいただいた。
今日、佐喜眞さんに直接語っていただくことで
様々な人の想いを感じていただけたのではないだろうか。
↑参加してくださった尾道在住の画家さんは、
長年描いてきた原爆の絵を佐喜眞さんに見てほしいと持参された。
↑対面してお話いただく時間をもてた。
※2017年に画家さんのアトリエ+自宅を訪れた時のブログにリンクします
午後四時になり、また高校の修学旅行が入ってきた。
彼らは「連れてこられた」のだろう。
けれど、ブログ冒頭の言葉を残した17才のように、
「生きろ」というメッセージを感じる一人がいるかもしれない。
しかしこの絵を見て、明日から生きていけそうな気がします」
17才の高校生が感想ノートに残した言葉を紹介してくださった佐喜眞さん。
命の極限を描いたおどろおどろしい絵から
「生きろ」というメッセージをうけとる人がいる。
※「佐喜眞美術館について」のHPにリンクします
原爆の惨状を描いた丸木夫妻は、世界中から請われて巡回展をした。
そこで世界中の戦争体験者と出会い、日本が空襲=戦争体験だと誤認していることを憂慮した。
「地上戦の悲劇を知らない人々は、また戦争をするのではないか」
沖縄の地上戦を描き遺しておかなくてはならないと思い、移住して描きはじめた。
十年かけて完成した14の大作は佐喜眞さんに託された。
※今回ちょうど14作全部を展示している。
その後十年の苦闘を経て、
アメリカ軍から土地を返還させてできた美術館である。
↑普天間飛行場の航空写真↑右の赤い矢印が美術館。基地に食い込んだカタチになった佐喜眞さんの先祖の土地だった。
↑今、先祖の亀甲墓も美術館の敷地になっている。
↑その存在感は圧倒的。
どっしりと、この場所の変遷を見守ってきたのだ。
↓今日も修学旅行のバスがやってくる
↑白い建物の左端に見える階段から美術館屋上に出ると↓
最上部への階段は6段と23段。
沖縄の組織的戦闘が終わった6月23日を表している。
この日に太陽が正面から差し込むように設計されている。
普天間飛行場と、周辺の未返還地の森に
埋もれた村の跡があるのがわかる。
*
戦争を記憶する施設はたくさんある。
沖縄のツアーなら南部戦跡や「ひめゆりの塔」を訪れるだろう。
だが、とおりいっぺんの解説で定番の戦跡を訪れても
なにかが足りないと思っていた。
沖縄に来たら「戦争」にふれずにはすまないけれど、
とうりいっぺんの場所を組み込んで
「わかった顔」をする旅にしたくなかった。
そんな時、佐喜眞美術館を訪れる機会をもった。
戦跡でなくても、
丸木さん夫妻の作品と向き合って佐喜眞さんにお話してもらえる時間をもちたいと思った。
これが今回の《手造の旅》沖縄のはじまりにある。
参加していただく皆さんには出発前に、佐喜眞さんのブックレット「アートで平和をつくる」を読んでいただいた。
今日、佐喜眞さんに直接語っていただくことで
様々な人の想いを感じていただけたのではないだろうか。
↑参加してくださった尾道在住の画家さんは、
長年描いてきた原爆の絵を佐喜眞さんに見てほしいと持参された。
↑対面してお話いただく時間をもてた。
※2017年に画家さんのアトリエ+自宅を訪れた時のブログにリンクします
午後四時になり、また高校の修学旅行が入ってきた。
彼らは「連れてこられた」のだろう。
けれど、ブログ冒頭の言葉を残した17才のように、
「生きろ」というメッセージを感じる一人がいるかもしれない。